少し前、私はロボットが登場する名作SF映画「メトロポリス」と「ブレードランナー」を書いたのですが、今回取り上げる映画もまたロボットの映画なんです。
と言いますか、実は、この「アンドリュー」をご紹介頂いたので、ロボットの名作映画の歴史を振り返ってみようかなと思って、先にあの二つの映画を書いてみた訳なんです♪
だけど、この「アンドリュー」、果たして面白いのでしょうか?
全然、聞いた事ないタイトルですし。(笑)
ところが驚くなかれ、この映画の原作者は、SF作家として名高いアイザック・アシモフその人なのです!
アイザック・アシモフと言えば、ロボットの三原則を考案した人として、広く知られています。
まず、第一にロボットは人間に危害を加えたり、危険な状況を傍観していてはならない。
第二に、ロボットは人間の命令に従わなければならない。但し、第一の命令と相反する命令は例外とする。
第三は、第一と第二に準じつつ、我が身を守らなければならない。
以上が、有名なロボットの三原則ですが、実はこのアイディア、日本の漫画の神様、手塚治虫先生が、先に考案されていらっしゃったらしいです♪
このお二人、浅からぬ因縁があったみたいで、アシモフ原作のSF映画の名作「ミクロの決死圏」を観た手塚先生は、著書「吸血魔団」のアイディアを盗まれたと怒った事もあったそうです。(笑)
だとしたら、アシモフって、そんなにすごい人ではないんじゃ?
だけど、アシモフが手塚先生より劣った作家だったかはよくわかりません。(笑)
もし劣っていたにしても、映画「アンドリュー」を観る限り、少なくとも悪い人ではなかったんだろうなと思えなくもないです。(笑)
というか、結構、深く考えさせられる内容に、正直驚いてしまいました。
そう遠くない未来、アンドリューは、お掃除やお料理など家事全般を行う能力を請われて、マーティン家にやってきます。
ところが、メカニックの不具合?が原因で、ロボット以上の、想像力や好奇心や友情の能力を持っている事が判明します。
アンドリューはある時、ご主人様の娘、リトル・ミスが大切にしていたガラス細工の馬の置物を壊してしまい、書物で研究した末、素晴らしい木彫りの馬を作って、周囲を驚かせるのです。
それを知った主人はアンドリューを製造したロボティックス社を訪れ、その訳を聞こうとするのですが、単なる不具合だから部品を交換しますとか弁償すると言われただけで、アンドリューの素晴らしい能力を認めようとせず、落胆と憤りを感じます。
しかし、それはマーティン家の家族にとっても同じで、最初のうちはアンドリューに冷淡な態度しか示さないのです。
だけど、アンドリュー自身、自らの能力を高めようと、次第に機能も外見も人間らしく作り替えていき、周りの人々も変わっていきます。
そして、その結果、アンドリューが判断したもっとも人間らしさとは何だったのか?
ネタバレになって申し訳ないのですが、ごめんなさい。
どうしても書かずにはいられないのです。
アンドリューが下した結論は、人を愛し愛される事でした。
ただ、人を好きになるだけではないのです。
人間として生まれてきたなら、命懸けで人を愛し、愛されなければならない。
ただ、一方的に人を好きになるだけなら簡単だけど、その人の愛を得る事の何と難しい事でしょう…
そして、その愛を持ち続けるのは、もっと困難な試練がいくつも付きまとう…
この映画は、私達夫婦が、結婚生活を続けるうえでの課題を考えさせてくれました。
と言いますか、実は、この「アンドリュー」をご紹介頂いたので、ロボットの名作映画の歴史を振り返ってみようかなと思って、先にあの二つの映画を書いてみた訳なんです♪
だけど、この「アンドリュー」、果たして面白いのでしょうか?
全然、聞いた事ないタイトルですし。(笑)
ところが驚くなかれ、この映画の原作者は、SF作家として名高いアイザック・アシモフその人なのです!
アイザック・アシモフと言えば、ロボットの三原則を考案した人として、広く知られています。
まず、第一にロボットは人間に危害を加えたり、危険な状況を傍観していてはならない。
第二に、ロボットは人間の命令に従わなければならない。但し、第一の命令と相反する命令は例外とする。
第三は、第一と第二に準じつつ、我が身を守らなければならない。
以上が、有名なロボットの三原則ですが、実はこのアイディア、日本の漫画の神様、手塚治虫先生が、先に考案されていらっしゃったらしいです♪
このお二人、浅からぬ因縁があったみたいで、アシモフ原作のSF映画の名作「ミクロの決死圏」を観た手塚先生は、著書「吸血魔団」のアイディアを盗まれたと怒った事もあったそうです。(笑)
だとしたら、アシモフって、そんなにすごい人ではないんじゃ?
だけど、アシモフが手塚先生より劣った作家だったかはよくわかりません。(笑)
もし劣っていたにしても、映画「アンドリュー」を観る限り、少なくとも悪い人ではなかったんだろうなと思えなくもないです。(笑)
というか、結構、深く考えさせられる内容に、正直驚いてしまいました。
そう遠くない未来、アンドリューは、お掃除やお料理など家事全般を行う能力を請われて、マーティン家にやってきます。
ところが、メカニックの不具合?が原因で、ロボット以上の、想像力や好奇心や友情の能力を持っている事が判明します。
アンドリューはある時、ご主人様の娘、リトル・ミスが大切にしていたガラス細工の馬の置物を壊してしまい、書物で研究した末、素晴らしい木彫りの馬を作って、周囲を驚かせるのです。
それを知った主人はアンドリューを製造したロボティックス社を訪れ、その訳を聞こうとするのですが、単なる不具合だから部品を交換しますとか弁償すると言われただけで、アンドリューの素晴らしい能力を認めようとせず、落胆と憤りを感じます。
しかし、それはマーティン家の家族にとっても同じで、最初のうちはアンドリューに冷淡な態度しか示さないのです。
だけど、アンドリュー自身、自らの能力を高めようと、次第に機能も外見も人間らしく作り替えていき、周りの人々も変わっていきます。
そして、その結果、アンドリューが判断したもっとも人間らしさとは何だったのか?
ネタバレになって申し訳ないのですが、ごめんなさい。
どうしても書かずにはいられないのです。
アンドリューが下した結論は、人を愛し愛される事でした。
ただ、人を好きになるだけではないのです。
人間として生まれてきたなら、命懸けで人を愛し、愛されなければならない。
ただ、一方的に人を好きになるだけなら簡単だけど、その人の愛を得る事の何と難しい事でしょう…
そして、その愛を持ち続けるのは、もっと困難な試練がいくつも付きまとう…
この映画は、私達夫婦が、結婚生活を続けるうえでの課題を考えさせてくれました。