![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/dd/64ae9df8848f93da1c3dc2bf6063d7d4.jpg)
たまたま通った家根合集落(庄内町)内で、
石に彫られた古い道標(追分け石)を見つけました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/7d/23926f9f3471b7486c0302cca7bc8f5b.jpg)
「酒田鶴岡街道追分け石」と看板に説明がありました。
表には「向 右つるが岡 左ま津山」と案内されています。
「ま津やま」なんて表記は初めて見たなあ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/dc/526b5c54b810b87214d34d75c5af1618.jpg)
以前藤島の下町で見つけた追分け石にも、
やはり片方が指すのは「まつやま」だったのを思い出しました。
松山のお城のお殿様は鶴ヶ岡城のいわば分家。
鶴岡と松山を結ぶ街道は当時にしてみれば上級の道だったのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/5a/0cb91e549587d5e11d46226e0955fc23.jpg)
裏面には
「向後ハ あまるめ
右ハ さかた
左ハ つるおか」
と刻まれているそうです。
昔、旅人はこの追分で方角を確認して一息ついたのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/3e/709c3627c566cbd83df55746d439f58e.jpg)
とすればここに休息のための茶屋があってもおかしくない。
ちょうど角向かいにお店がありましたよ。
その商店の年季が入った味のある看板。
菓子・玩具
でん六にカバヤ
(カバヤってチョコレートのあのカバヤ?)
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