10月1日(日)久しぶりの通常開催、伝統の踊りを皆で楽しみました。
9時13分 大石(おおいし)神社 以下の画像は10月1日に撮影
さつま町中津川地区に伝わる金吾様踊り(きんごさあおどい)は、織田・豊臣の時代にこの地域を治めていた祁答院島津家初代「金吾左衛門尉歳久」を祀る「大石神社」秋季大祭に奉納される踊り(踊りの総称)です。
『大石神社』は武の神・安産の神・稲作の神として崇敬されています。(さつま町観光サイト)
9時18分 社殿側から見た鳥居方向 両側は落葉した桜木
朝から一時小雨が降り、予定を1時間遅らせて祭りが始まりました。画面左手のテント内では、プログラム配布、寄付の受付などをしていました。
以下の踊りの由来などの説明は、もらったパンフレットを参考に書いたものです。
10時1分 踊り団体ごとに参拝
雨は止んで祭りが始まりました。幼児から高齢者まで多くの人が参加して、地区を挙げての様々な踊りが、午前と午後の2回奉納されます。
昔ながらの村祭りや秋祭りの雰囲気が今も残る、鹿児島県内では貴重な祭りの一つです。
偶然話しかけた祭りの人は、私が若い頃お世話になった地元のYさんをご存じでした。優しくも厳しい方でしたが、一昨年ごろ100歳前後で亡くなられたとのこと。
10時26分 観客席に敷かれた茣蓙
雨が止んだのを見計らい長い茣蓙が敷かれました。これまでに何度か見た中でも観客は多めでした。
10月2日付の地元紙南日本新聞記事には祭りの見物客約1400名とありました。
10時9分 祭り開会の挨拶
通常開催ができて何よりもうれしい・・・感激のあまり・・・最初に泣かせてくださいと、関係者への深い感謝を込めた挨拶がありました。
すぐ横には大勢のカメラマンが陣取り、入り込む隙もなく三脚利用はあきらめました。
10時17分 稚児行列と稚児舞
幼子を抱いて、もう一人の子を見守るお父さんの姿もありました。
10時32分 棒打ち舞
戦国時代から踊られていたと伝わる、大念仏行列の一つ。祭りの地を清める舞と言われ、神楽系統の棒技とみなされています。
10時43分 地割舞(じわりまい) 笛と太鼓に合わせて厳かに踊る
こちらも大念仏行列の一つ。由来には諸説あり、領地を決める地割り説と、祭神をお招きする地を清めるための舞とあります。
重い武具を身につけて飛び跳ねる舞もあり、12分ほどの踊りにはかなりの体力が必要でしょう。
11時 俵踊り(中津川小学校 3~6年生が中心)
昔は社寺の落成式や祭りなど当日の催し物に相撲が企画されました。勧進相撲と呼ばれるもので、この催しに寄進された金品や米俵などを、土俵に積み上げて観衆に披露した様子を踊ったものと伝わっています。
踊りを見つめる保育園児
今日もカメラマンに声をかけられ、お名前を伺ったものの私の記憶が戻らず失礼してしまいました。
幼いころの記憶は長く心に残ります。三つ子の魂百までとも言われますが、今日の祭りは故郷の大切な思い出の一つになることでしょう。
11時27分 六尺棒踊り(北方町 清友会)
撃剣浅山流からあみだされたもので、藩主が一般の士気を鼓舞し、いざというときに備え、棒術を踊りに仕込んで農民の子に躍らせ、鍛錬したものという説もあります。
再び小雨が降り出し、傘を差す人も出たので木陰に移動。カメラが濡れない撮影ポイントを探しました。
11時39分 鷹刺し踊り(弓之尾 恵友会)
領主の狩猟は武士の武術の修練と領民の動向視察の目的をもって、農民を勢子に駆り立てて奉公させた。
この鷹狩りの様子を踊りにしこみ、お祭りや殿様の領内回りなどの時、武運長久と領内安穏、領民の安全を祈って踊るようになったと言われています。
11時43分 ハンヤ節を踊る
賑やかな三味線と鐘、太鼓(五つ太鼓)に合わせて、心地良い手踊りが披露されました。身振り手振りがきれいにそろい、毎月練習しているかと思うほどの素晴らしさでした。
12時35分 兵児踊り(尾原 友励会)
参勤交代の島津の殿様について薩摩から江戸間の長い行程を、苦労しながら往復した兵児たちが、士気を鼓舞し楽しい旅にしようと、夜の酒宴で踊ったものと言われています。
元気な若者たちですが、太鼓のリズムに合わせて力一杯に飛び跳ねる踊りは大変疲れることでしょう。観客席からはもっと高く飛べよと声援が上がりました。
時吉金山踊(時吉地区金山踊保存会) 今回さつま町時吉地区から特別参加
時吉地区を流れる穴川沿いに上流部の永野までの険しい道のりの金脈を探す様を表現した踊りと伝えられています。
右手の錫杖は、魔除け・獣おどし、左手の山刀は険しい道中の道開きのためのものと言われています。
参加者の旗竿持ちは昔お世話になったSさんでした。若々しく元気な姿に再会できて感謝、感謝。お互いここで再会するとはビックリ。
12時50分 午前の部が終了 抽選会発表
焼酎と米でしょうか、地元特産品が当たる抽選会の結果発表です。棒踊りの年長の踊り手さんが当選、会場が大いに湧きました。
祭りはこの後も午前と大体同じ内容の踊りが、もう一度奉納されます。朝から動いて疲れてしまい、ここで神社を後にしました。
雨が上がり、神社境内で通常開催されて幸いでした。関係者の皆様には大変お疲れ様でした。ありがとうございました。
三脚は使えませんでしたが、あちこち場所を変えて撮影。手持ちで多くの動画を記録。賑やかな太鼓や観客の拍手など祭りの雰囲気を何度でも楽しめます。
9時13分 大石(おおいし)神社 以下の画像は10月1日に撮影
さつま町中津川地区に伝わる金吾様踊り(きんごさあおどい)は、織田・豊臣の時代にこの地域を治めていた祁答院島津家初代「金吾左衛門尉歳久」を祀る「大石神社」秋季大祭に奉納される踊り(踊りの総称)です。
『大石神社』は武の神・安産の神・稲作の神として崇敬されています。(さつま町観光サイト)
9時18分 社殿側から見た鳥居方向 両側は落葉した桜木
朝から一時小雨が降り、予定を1時間遅らせて祭りが始まりました。画面左手のテント内では、プログラム配布、寄付の受付などをしていました。
以下の踊りの由来などの説明は、もらったパンフレットを参考に書いたものです。
10時1分 踊り団体ごとに参拝
雨は止んで祭りが始まりました。幼児から高齢者まで多くの人が参加して、地区を挙げての様々な踊りが、午前と午後の2回奉納されます。
昔ながらの村祭りや秋祭りの雰囲気が今も残る、鹿児島県内では貴重な祭りの一つです。
偶然話しかけた祭りの人は、私が若い頃お世話になった地元のYさんをご存じでした。優しくも厳しい方でしたが、一昨年ごろ100歳前後で亡くなられたとのこと。
10時26分 観客席に敷かれた茣蓙
雨が止んだのを見計らい長い茣蓙が敷かれました。これまでに何度か見た中でも観客は多めでした。
10月2日付の地元紙南日本新聞記事には祭りの見物客約1400名とありました。
10時9分 祭り開会の挨拶
通常開催ができて何よりもうれしい・・・感激のあまり・・・最初に泣かせてくださいと、関係者への深い感謝を込めた挨拶がありました。
すぐ横には大勢のカメラマンが陣取り、入り込む隙もなく三脚利用はあきらめました。
10時17分 稚児行列と稚児舞
幼子を抱いて、もう一人の子を見守るお父さんの姿もありました。
10時32分 棒打ち舞
戦国時代から踊られていたと伝わる、大念仏行列の一つ。祭りの地を清める舞と言われ、神楽系統の棒技とみなされています。
10時43分 地割舞(じわりまい) 笛と太鼓に合わせて厳かに踊る
こちらも大念仏行列の一つ。由来には諸説あり、領地を決める地割り説と、祭神をお招きする地を清めるための舞とあります。
重い武具を身につけて飛び跳ねる舞もあり、12分ほどの踊りにはかなりの体力が必要でしょう。
11時 俵踊り(中津川小学校 3~6年生が中心)
昔は社寺の落成式や祭りなど当日の催し物に相撲が企画されました。勧進相撲と呼ばれるもので、この催しに寄進された金品や米俵などを、土俵に積み上げて観衆に披露した様子を踊ったものと伝わっています。
踊りを見つめる保育園児
今日もカメラマンに声をかけられ、お名前を伺ったものの私の記憶が戻らず失礼してしまいました。
幼いころの記憶は長く心に残ります。三つ子の魂百までとも言われますが、今日の祭りは故郷の大切な思い出の一つになることでしょう。
11時27分 六尺棒踊り(北方町 清友会)
撃剣浅山流からあみだされたもので、藩主が一般の士気を鼓舞し、いざというときに備え、棒術を踊りに仕込んで農民の子に躍らせ、鍛錬したものという説もあります。
再び小雨が降り出し、傘を差す人も出たので木陰に移動。カメラが濡れない撮影ポイントを探しました。
11時39分 鷹刺し踊り(弓之尾 恵友会)
領主の狩猟は武士の武術の修練と領民の動向視察の目的をもって、農民を勢子に駆り立てて奉公させた。
この鷹狩りの様子を踊りにしこみ、お祭りや殿様の領内回りなどの時、武運長久と領内安穏、領民の安全を祈って踊るようになったと言われています。
11時43分 ハンヤ節を踊る
賑やかな三味線と鐘、太鼓(五つ太鼓)に合わせて、心地良い手踊りが披露されました。身振り手振りがきれいにそろい、毎月練習しているかと思うほどの素晴らしさでした。
12時35分 兵児踊り(尾原 友励会)
参勤交代の島津の殿様について薩摩から江戸間の長い行程を、苦労しながら往復した兵児たちが、士気を鼓舞し楽しい旅にしようと、夜の酒宴で踊ったものと言われています。
元気な若者たちですが、太鼓のリズムに合わせて力一杯に飛び跳ねる踊りは大変疲れることでしょう。観客席からはもっと高く飛べよと声援が上がりました。
時吉金山踊(時吉地区金山踊保存会) 今回さつま町時吉地区から特別参加
時吉地区を流れる穴川沿いに上流部の永野までの険しい道のりの金脈を探す様を表現した踊りと伝えられています。
右手の錫杖は、魔除け・獣おどし、左手の山刀は険しい道中の道開きのためのものと言われています。
参加者の旗竿持ちは昔お世話になったSさんでした。若々しく元気な姿に再会できて感謝、感謝。お互いここで再会するとはビックリ。
12時50分 午前の部が終了 抽選会発表
焼酎と米でしょうか、地元特産品が当たる抽選会の結果発表です。棒踊りの年長の踊り手さんが当選、会場が大いに湧きました。
祭りはこの後も午前と大体同じ内容の踊りが、もう一度奉納されます。朝から動いて疲れてしまい、ここで神社を後にしました。
雨が上がり、神社境内で通常開催されて幸いでした。関係者の皆様には大変お疲れ様でした。ありがとうございました。
三脚は使えませんでしたが、あちこち場所を変えて撮影。手持ちで多くの動画を記録。賑やかな太鼓や観客の拍手など祭りの雰囲気を何度でも楽しめます。
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