花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
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花浄土 桜島撮影あれこれ 2017/05/26 (鹿児島)

2017-05-26 15:22:04 | 桜島
桜島撮影などの記事を花浄土ホームページから移転しました。およそ6年前の記事であり、現況と一致しない部分を加筆修正しています。

ランサムウエア感染による深刻な被害が世界的に多発しています。
私がWindows-Vista機で運用している花浄土ホームページの更新が困難になり、今回こちらのブログに一部の記事を移転しました。

桜島撮影あれこれ

昭和火口の活動再開後の桜島撮影について、あれこれと記録したページです。
桜島は大正3年の大爆発で大隅半島と陸続きになったことで有名です。
2006年から昭和火口の活動が再開しています。 (参照元 ウィキペディア)

桜島撮影へ通うなかでの体験などを個人メモ的に書いたものです。
思いつくままに書いたので、内容やページ表示が不十分な点はご容赦ください。

1 これまでの桜島
2 現在の桜島
3 昭和火口の噴火撮影
4 夜間撮影の注意点  
5 撮影ポイント
6 撮影機材など
7 火山活動の観察
8 噴火の実態
9 2012年 桜島の活動予測

1 これまでの桜島



桜島の誕生
錦江湾北部は姶良カルデラが陥没してできた海です。直径約20kmの巨大な火口が火山活動により陥没したのが今から2万5千年前。その時に発生した火砕流堆積物が現在のシラス台地で、鹿児島県本土の大部分を覆っています。
姶良カルデラ南東部の桜島付近では2万2千年前から海底火山活動が起こり、1万1千年前には北岳が海上に姿を現したとされています。火山としては非常に新しい火山です。

大正の大爆発
大正3年に大きな爆発があり桜島は大隅半島と陸続きになりました。距離最大400m最深部100mの海峡を溶岩が埋めたのです。記念石碑には「住民ハ理論ニ信頼セス」と教訓が刻まれています。
この時に流出した溶岩量は約1.5立方キロ。ちなみに姶良カルデラの入戸火砕流は約200立方キロですから桁違いに巨大な噴火でした。

昭和期の活動
1946年(昭和21年)1月から溶岩を黒神地区と有村地区に流出させました。
1970年代から再び活動が活発になり噴石や火山灰の被害が拡大し、有村地区では旅館が噴石に直撃されたほか民家や農地への被害もあり集団移転した人たちもありました。

平成期の活動
1990年代に入り活動は穏やかになりましたが、2006年に昭和火口が活動を再開し、2010年の爆発回数は896回を数え観測史上過去最大を記録。
2011年はさらに記録を更新して988回を数えています。(12月28日現在)

2 現在の桜島


東西約12km、南北約10km、周囲約55km、面積約77km2の火山島
桜島は全域が鹿児島市に属し、約85%は霧島屋久国立公園に指定されています。
明治以前は2万以上であった島内の人口は、大正大噴火の影響によって9,000人以下に激減。その後も減少が続き、1985年(昭和60年)には約8,500人、2000年(平成12年)には約6,300人、2017年(平成29年)1月の推計では約4,200人となっています。(東桜島支所管内990人、桜島支所菅内3,239人)

鹿児島市街地からは桜島フェリーで約15分の距離にあります。北側一部は道路改良中で、車で1周するには1時間程度かかります。

西側斜面、南側の有村展望台、南の垂水市からの画像


北岳と中岳
桜島の最高峰は北岳で標高1,117m。
山頂に直径約500mの火口があり、昭和20年代までは登ることができました。有史以来山頂火口から噴火した記録はなく、北東斜面に安永大噴火の火口があります。
中岳は標高1,060mで北岳から約900m南に位置し、有史以来噴火の記録はありません。鍋山や権現山、引ノ平と同様に南岳の寄生火山の一つです。

南岳山頂火口
中岳から約500m南に位置し、標高1,040m。山頂に直径約700mの火口があり、その内側に二つの小火口(A火口とB火口)を擁する。火口内にはかつて白水と呼ばれる池がありました。この火口は1955年(昭和30年)以降活発な噴火活動を続けており、山頂火口から半径2km以内は立ち入り禁止となっています。

1970年代から活発な活動をしていましたが、2003年以降は活動が低下しています。A火口とB火口があり、2001年8月時点の火口底の標高は、A火口が600m程度、B火口が580m程度でした。2004年11月にB火口の火口壁と火口縁の一部が崩落し、B火口内を埋めました。気象庁の火山活動解説資料の写真等から2006年時点でのB火口底の標高は650~680m程度と推定されています。(参照元 国際航業グループ観測による)

南岳火口は2008年は4回、2009年と2011年は2回爆発しましたが、2010年は爆発していません。2012年に入りわずかな噴火が確認されていますが噴石を伴う爆発はありません。
                
昭和火口
昭和10年代に南岳火口東部斜面で活動し、1946年(昭和21)年3月には溶岩を流出させ、東側の黒神地区と南側の有村地区で集落が溶岩に埋没しました。その後活動は休止して昭和火口は南岳の噴出物で埋没し火口跡の斜面から噴気が上がるだけでしたが、2006(平成18)年6月に噴火活動を再開し、2009年から活動が活発化しています。

活動再開後しばらくは噴火回数も少なく活動期間も数日程度で経過しましたが、2009年は548回、2010年は896回、2011年は996回の爆発回数で観測史上最大値を記録しました。
南岳B火口が埋まったことで昭和火口の活動が再開したものと思われます。

以下、次のページに続く

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