3月24日(水)午後、姶良市加治木町の薬師如来を訪ねました。
加治木町木田の用水路沿い 上流側から撮影 以下の画像は3月24日に撮影
昨年訪ねた加治木の岩屋寺跡を水路沿いに下流側へ500mほど進むと案内板がありました。画面外左手の水田地帯を分断するように高速道路が通っていて、絶え間なく車の走行音が伝わってきます。
シラス崖の下に建つ御堂
想像していたよりも大きな木像でした。腕の部分は失われていますが、全体の高さは2mほどに感じられました。
カップ酒も供えられていた
薬師如来は病気に苦しむ人を助ける仏様で現世に安らぎを与えてくださるとのこと。阿弥陀如来は主に死んだ後のやすらぎを与えてくださる仏様のようです。
450年を経た木像
木像の胎内に納められた文書には弘治3年(1557年)制作と書かれていたとのこと。桶狭間の合戦、川中島の戦いの頃です。
鹿児島では明治初期の廃仏毀釈で多くの寺や仏像、石塔などが徹底的に壊されました。この難を免れたのは個人宅に保管されていたのか、周囲の人々が排斥運動に同調せずに守り抜いたからでしょう。
他にも史跡があったような形跡
鹿児島県特有の火山灰土壌でのシラス崖ですが、ここでは土壌がやや硬めに見えます。他にも何か仏像や石塔などが置かれていたのかも知れません。
個人や周辺の人々に守り継がれてきた木像であり、観光地ではありません。一般的にはお勧めしませんが、上流部の岩屋寺跡とともに辿ると、喧騒を離れて心が落ち着きます。
加治木町木田の用水路沿い 上流側から撮影 以下の画像は3月24日に撮影
昨年訪ねた加治木の岩屋寺跡を水路沿いに下流側へ500mほど進むと案内板がありました。画面外左手の水田地帯を分断するように高速道路が通っていて、絶え間なく車の走行音が伝わってきます。
シラス崖の下に建つ御堂
想像していたよりも大きな木像でした。腕の部分は失われていますが、全体の高さは2mほどに感じられました。
カップ酒も供えられていた
薬師如来は病気に苦しむ人を助ける仏様で現世に安らぎを与えてくださるとのこと。阿弥陀如来は主に死んだ後のやすらぎを与えてくださる仏様のようです。
450年を経た木像
木像の胎内に納められた文書には弘治3年(1557年)制作と書かれていたとのこと。桶狭間の合戦、川中島の戦いの頃です。
鹿児島では明治初期の廃仏毀釈で多くの寺や仏像、石塔などが徹底的に壊されました。この難を免れたのは個人宅に保管されていたのか、周囲の人々が排斥運動に同調せずに守り抜いたからでしょう。
他にも史跡があったような形跡
鹿児島県特有の火山灰土壌でのシラス崖ですが、ここでは土壌がやや硬めに見えます。他にも何か仏像や石塔などが置かれていたのかも知れません。
個人や周辺の人々に守り継がれてきた木像であり、観光地ではありません。一般的にはお勧めしませんが、上流部の岩屋寺跡とともに辿ると、喧騒を離れて心が落ち着きます。
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