龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
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相聞歌2019年(8/18,8/19)

2019年06月15日 11時42分28秒 | 相聞歌
8/18(土)

92
たたむ手が少しゆっくりコインランドリー変わらぬ日常取り巻き続ける(た)


93
はるか沖
より妻の詠む
歌の調べ寄す
溺るるほどに
我を揺らして(ま)


8/19(日)

94
我が家に集いて原稿読み合わせ語りつつ飲むビールの旨さ(ま)


95
一人暮らし老母生き生き介護とは支えか縛りか答え出ぬまま(た)

92週末にまとめてシーツなどを家族分洗濯してコインランドリーで乾燥させる習慣がずっと(今も)続いている。病気になってもそれは続けていた。

手がゆっくりなのは、以前仕事をしていたときは日曜日の夜(明日仕事という時間)にいつも乾燥させていたので、そういう 「忙しさ 「と」はなくなったけれど、日常は変わりなくつづいていくということか。
あるいは体力の衰えを感じるもどかしさなのか。

93は歌にもなっていないが、これも書いておきたかった。妻の歌は遠いところから響いてくる、そんな気がする。それでいてここにひたひたと寄せてきて私を溺れさせてしまう。

94は読書会の1コマ。読むだけではなく書こう、という集まり。妻の看護はしていても、自分の楽しみもある。そうでないと長続きしない。この読書会のような気心の知れた仲間たちに支えられている、と当時も思っていた。

妻を喪ってからは尚更だ。

そういうネットワークがなければ人は人間でいられない。

地の縁
血の縁
知の縁

いずれも重要不可欠なのだろうが、私にとってはどちらかというとこのFacebookを利用したりして一緒に活動する知の縁のウェイトが大きい。

いずれにしても出会いから紡がれていくいく 動的な「織物」が、人間として生きるためには必要だ、ということをしみじみと感じる。

95
は、同居して妻が世話をしていたはずの母親が、独居老人になってからむしろ元気になったように見える、その様子について詠んだもの。ケアの不思議というか支援の難しさがありそうだ。