龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

相聞歌2019年(8月9日)

2019年06月12日 20時56分22秒 | 相聞歌
相聞歌2019年
(8/9)

57
同学年再任用の同僚に最後の仕事ほめられし待合室(た)

58
炎症が正常値ですよと良いニュース報告できるうれしさ抱いて(た)

59
きしみ音上げて歯車動き出す誕生と死が運命を廻す(た)

60
今までで一番良かった旅先は?問われて答える白神山地(た)

61
弘前の桜か阿蘇の草千里思い出指折り一番を探す(ま)

62
魂の限りと叫ぶ恋でなしただそばにいてみつめていたい(ま)

63
今まででどこがいちばん良かった?と共に旅した思いに和む(ま)

64
計画をしていた紀伊路の旅を止め近き温泉で妻と語らう(ま)

65
こんなにも静かな時があるのだ貴女の眠る傍らで流れるもの(ま)

57
プライドを持って、全能力を傾けて仕事をしていた妻にとっては、最期の仕事を認めてもらえるのは本当にうれしかったのだと思う。他人の評価を気にしている、というのとは少し違う。彼女は、自分の仕事の価値をよく知っていた。ただそれを認めてくれる同僚に恵まれなかった。

それにはもちろん理由がある。
一つには人間のコトバで説明するような領域をはみ出したところで仕事をしていたから、ということがあるだろう。
中学生というけものから人間にメタモルフォーゼしていく時期の彼らに通じるのは、大人たちのコトバの領域ではないエナジーのやりとりだったのだろう。少なくても妻にとっては、そういう種類の現場だった。
だから、理解者には、恵まれなかった。それは想像に難くない。
「放し飼い」として自由にはやっていても、その仕事は孤独の中にあったのだろう。
それでも、そんな動物の彼女を面白がってくれる人が時にはいてくれたはず。そんな数少ないシーンかと。

58
は今読んでも切ない。値が良くなると本当にうれしそうな表情をみせてくれた。私もうれしかったが、卵巣癌の再発(転移)は治療も完治か目的というより病気と付き合っていくことが主になる、ということも頭にあり、一喜一憂を越えて彼女を支えねば、という思いが強く、喜ぶ彼女と嬉しさを共有しつつも、どこかで 「覚悟」をしておかねば、という思いも抱えていた。
「覚悟」はある意味で強さではなく、フラジャイル(コワレモノ)であることの自覚なのかもしれない、と今ではそうも思う。
とにかくこの一首はなぜか読む度に泣きたくなる。オレと喜びを共有したいという彼女の正直な思いが垣間見えてしまうからだろうか。
彼女を失ってから読み直す全部の歌の中でも、もっとも切ないものの一つだ。

59の誕生ちさについては、本人と話したことがないのでわからない。
だが、姪がこの時期に結婚をしている。おそらく、自分の道の先に見える 「死」と、姪の道の先に見える 「生」を重ねた一首か。

60~64は、8月8日の部分でも書いた旅行ネタのやりとり。
50才から10年間、連休や長期休業の時は必ず一緒にクルマで旅行に出かけた。その10年間の旅行の記憶は、二人にとって大切な共有物になっている。
「覚えてる?」 「覚えてるよ」
そう言い合うだけで分かる。
もちろん42年間共に生きてきたのだから苦い思い出も嬉しいことも無数にあるわけだけれど、旅の話題は楽しいことだらけだから、いつも話題にしていた。
旅行しておいて良かった、とこのときもしみじみ思った。

65は、ある意味で今も妻は遠くで眠っている、という感がなくもないので、そういう意味では今に通じるイメージ、ともいえる。ただ、今はもう彼女の傍らではなく、遠く遠く離れてしまった。それを考えすぎるとヤになっちゃうので、そのころを思い出すので止めておく。ともあれ、眠る妻の脇で過ごすひとときの意味が身にしみて分かった一首。