『人はみな妄想する』松本卓也 青土社刊を読み始めた。
若い書き手による更新されたラカン論。
昨日届いた國分先生の
『中動態の世界』(医学書院刊)
も読みたいのだが、来た順番に応接せねば、ということでこちらから先に着手。
また序論を開いたところだが、抜群に分かりやすく、かつ面白い。
サルトルは主体と意識を一体として考えていたが、ラカンはそれを区別していた、と初っ端から楽しいフレーズ。
これはジル・ドゥルーズが『スピノザ-実践の哲学-』でスピノザは意識の価値の切り下げをしたのだ、といっていたフレーズとリンクしてくる。
まあ、ラカンが単にスタティックな構造主義者だった、なんて本気で思ってる人は、(少しでもそのテキストを読んだことのある人なら)ほぼいないだろうけどね。
むしろ謎だらけで???と思うのが普通のラカンおよびラカン論について、序論で明快に見取り図を示る手捌きは明快で心地よい。次を読んでみたくなる。
この後に國分先生の『中動態の世界』もあるし、千葉雅也氏の『勉強の哲学』もあるし、星野太、東裕紀と春の人文系読書は続く。そろそろアウトプットもしなきゃならないんたけどなあ。
若い書き手による更新されたラカン論。
昨日届いた國分先生の
『中動態の世界』(医学書院刊)
も読みたいのだが、来た順番に応接せねば、ということでこちらから先に着手。
また序論を開いたところだが、抜群に分かりやすく、かつ面白い。
サルトルは主体と意識を一体として考えていたが、ラカンはそれを区別していた、と初っ端から楽しいフレーズ。
これはジル・ドゥルーズが『スピノザ-実践の哲学-』でスピノザは意識の価値の切り下げをしたのだ、といっていたフレーズとリンクしてくる。
まあ、ラカンが単にスタティックな構造主義者だった、なんて本気で思ってる人は、(少しでもそのテキストを読んだことのある人なら)ほぼいないだろうけどね。
むしろ謎だらけで???と思うのが普通のラカンおよびラカン論について、序論で明快に見取り図を示る手捌きは明快で心地よい。次を読んでみたくなる。
この後に國分先生の『中動態の世界』もあるし、千葉雅也氏の『勉強の哲学』もあるし、星野太、東裕紀と春の人文系読書は続く。そろそろアウトプットもしなきゃならないんたけどなあ。