龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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やっと『自然権と歴史』レオ・シュトラウスを読了。

2017年03月31日 15時44分38秒 | メディア日記
ちくま学芸文庫『自然権と歴史』レオ・シュトラウス

をようやく読み切った。第6章がルソーなので、そこまでなんとかたどり着こうと思って頑張ったが、ロック、ルソー、バーグについてのところはけっこうグダグダで、
序論
第Ⅰ章「自然権と歴史的アプローチ」
第Ⅱ章「事実と価値の区別と自然権」
第Ⅲ章「自然権観念の起源」
までを読めばレオ・シュトラウスの理論的な立場は理解できる。というか、その後は私の教養が足りなくてスッキリ分かるまでに至らなかった、のたが。

で、その前半の中身は、といえば

岩波の雑誌「思想」2008年10月の「レオ・シュトラウス特集号に載っている「自然主義者の運命」という國分功一郎氏の論文にまとめられていることが分かった、というだけのことだった(>_<)

ちなみに、コンベンショナリズム(規約主義)と歴史主義の二つを相手取って、同時に「自然権」を擁護しつつニヒリズムに対抗しようとしたレオ・シュトラウスが、なぜ「ネオコンの祖」になってしまったか、をジル・ドゥルーズと対比しながら論じているのが「自然主義者の運命」(國分氏の論文)だ。
哲学の発生を遡り、そこに「自然」の追究を見た点では共通する出発点を持っていたはずのレオ・シュトラウスとジル・ドゥルーズが、その後どうして大きく道が分かれたのか、というお話。

とりあえずその理解で十分かなぁと思いつつ、とにかく読み切っておこうとページをめくってみた。

すると、レオ・シュトラウスの本が後半ワザと曖昧に書いているのではないかとすら思われるほど分かりにくい。
レオ・シュトラウスは、最後にいってルソーについて書きながらも、「宗教」の方を半ば振り向いてしまっているような印象を受ける。ロックのところも歯切れが悪い。そこがおもしろくなると思って我慢したのに、と少し腹が立った(苦笑)。

それに対して、最後に書かれている保守主義者だったエドマンド・バークの(いかにも英国らしい?)、「自然権」にたいする反駁についての記述にむしろ私は興味を惹かれた。

レオ・シュトラウスの求めた「自然」は、どこか遠くの点に収斂していきかねないものを感じる。

逆に、これからバークについては読んでみなければならない、と思った。
保守主義のところは置いておくとして、むしろバークの指摘しているものの中に、何かむしろ「自然」と響き合うモノがあったら面白いのにとすら思ったりもしたのである。

ちょっと検索すると、崇高とか美学とかもバークは書いているらしい。
ここのところ、もう少しうろついてみる価値あり。

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