龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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レオ・シュトラウス『自然権と歴史』第三章「自然権観念の起源」読了。

2015年04月05日 14時45分13秒 | 大震災の中で
レオ・シュトラウス『自然権と歴史』の第三章「自然権観念の起源」を読んだ。

しかし、何がいいたいのか今ひとつはっきりしない。

コンベンショナリズム(規約主義?)の議論をずっと追っている。基本この人はアンチ・コンベンショナリズムのはずだから、理論的な輪郭の明示によってそのコンベンショナリズムの限界を示そうとしているのではないか、とは推測できる。

まあ、書き手の意図の汲み取りはさておくとして、「自然権観念の起源」について考えていくのことは、どこかで哲学の起源と重なって見える、という論の進め方は興味深い。

起源を云々するのは基本的に「思考実験」みたいな感じを受けていて、省略可能であるかのように感じていたけれど、この議論を読んでいると、そうばかりいって片付けられない、と思った。

今までは、ルソーとかホッブズとか、「自然状態」とか「起源」とか、妄想癖のカテゴリーに入れてましたから(笑)
「ねえよ、そんなもの!」
って感じでね。

どこかに予め「真理」が予定されていてそれを宝探しみたいにしているかのように「教わる」と、なんだかつまらなくなる。そうじゃなくて、探索しつつ発生してくる感じを捉えるのだとすれば、それは面白いかもしれない。

概念の発明=誤読

みたいな、ね。
そういう意味では、レオ・シュトラウスのこの本、なかなか面白そうだ。
たどり着かない、といいながら単に神様を招き寄せる身振りになってしまわないためにも。

私はもちろん、神様が規約のうちに予め存在するとはおもわない。
では、神様はどこにどんな風に「いる/ある」んだろう。

自然について考えることは、政治について考えることでもあり、神様についてかんがえることでもある。

なんだかまとまらないけれど、面白そうだ。
再読しながらちょっと整理しておこうと思う。

佐藤優×柳澤協二「安保法制の問題点」(3)終

2015年04月05日 11時11分17秒 | 観光
柳澤、佐藤両氏の報告が終わって、質疑応答に。
まず司会からの質問。

佐藤優氏は公明党が頑張っている、と述べている。創価学会と平和主義の関係と集団安全保障の関わりを聞きたい。
また、与党合意がある。今後閣議決定を守れるのか、守られそうにないのか?

佐藤優
木村草太氏が、集団的自衛権についていっていること に、見るべきものがある。

創価学会と平和主義ということでいえば、
2015年11月、創価学会で重要な決定があった。先月教学部の解説が(聖教新聞に?)に載っていた。
そこにあるのは、創価学会が世界宗教になる、ということだ。たとえば、中国でも(いずれ5000万~1億人ぐらいになるだろう。
そして、政教分離でいえび、公明党と学会は明らかに近づいている。そういう意味で学会は歯止めになる、と評価している。


たとえば、『新・人間革命』にこんな話がある。

戦争で人を殺したくない、と第二次大戦中に信者が思ったとき、「お題目を唱えなさい」という教えに従った。すると大砲が壊れて撃てなくなった。その結果1人も人を殺さずに済んだ、と。

まあそれだけをとると「奇蹟かっ!?」ということになってしまうけれども、これはいわば


存在論的平和主義

とでもいうべきだろう。今いる場で何ができるか。ある意味では、むしろ良心的兵役拒否は、別の「精鋭」が戦場にいくだけだ。そうではなく、

今いる場で何ができるか。

それは迎合しているようにみえるが。

柳澤

与党合意というが、結局何も協議していない。話を詰めるつもりもない。公明党は統一地方選まではそんなことをなるはずがない。

終わってから法案がでたときに考える、というつもりだろう。

そして、実質は何も決まらないまま法律は通るんだろう。

その後どうするの?という話しだ。
それで終わりじゃない。

おかしいことはおかしい、と言わなければならない。

そういう意味で公明党は歯止めになっていないとおもう。公明党は妥協している(だけだ)。

個別的自衛権→集団的自衛権

この変化は「独り歩き」をはじめるだろう。

それなのに政府にフリーハンドを与えていいのか?、公明党は不真面目だ。

法案が通ってから、大変なことが始まる。


佐藤優

いいたいことをいわせているだけ、という公明党の役割はある。

 安倍首相の、
個別的自衛権ということばを否定して集団的自衛権にする(ことだま)の要求を満たしただけ。

一発の弾も中東で撃たない選択はある。

逆に、民主党には、集団的自衛権の賛成派と反対派が両方いて、だから民主党を代表した「話者」が信頼されていない。

安倍は自分の思っていることを正直に言っている。つまり、ことばの信頼性はある。

公明党にも言葉の信頼性はある。

社民党と共産党は、現実性の問題があるね。



司会(猿田)
私は法律家だからかもしれませんが、法律の条文にこだわるところがあるんですけれども。

佐藤優
私も13年前なら、猿田さんと同じ意見でした。しかし、私は有罪になった人間です(笑)
本来公共圏には出てこれない。

法というものがどういうものか、拘置所でそして事実を曲げてでも真実を追求する検事との取り調べで私は考えた。

そこでインテグリティとか、宗教者のあり方とが、皮膚感覚で心に届くためには、ということを考えるようになった。

柳澤

安全保障の議論は、世界観・国家観があって、日本はこうあるべき、というそこで考えるというのかあるべき。
つまり、そこでリスクを説明するべきだ。

それなのに、(安倍首相の)心の満足のためにやっていることがなぜ通ってしまうのか?
それを阻止するのは国民だ。

私はイラク以上のことをやってはいけない、という考えだ。
(様々な考えはあると思うが)とのポイントで多くの声を集めて政権批判するのかが大切。

(今の状況は)民主主義の成熟がなっていない。戦争の基準を勝手に決められてはだめ!
それでは法治国家ではない。

今はいろいろな問題が問われている。
それぞれが原点を持って、しかし同時にどこで政権を止めるのか。
止められないかもしれないが、落胆しないでいきながくやっていくことが必要。

佐藤優

立場が違うと、官僚は言えない。
心にぐっと来ても自分の意見を言えない、それが完了。
沖縄の仲井真知事はなぜ追い込まれていったのか、を考えることが重要。
柳澤さんには、折り合いをつけていく強さがある。

質問に答えて
1,自衛隊が29人自殺している。民間人殺傷の危険もある。憲法違反では?「リスクがあるようなことはしない」という答弁があったが、それは考えられないのではないか?

2,目ティアと政府の関係は?

3,容認派には、アメリカに役に立つと思われなければいられないということがあるのではないか?



1,について、
どこまで民間かも分からない、そういうことが常識的に危険としてそこにある、というならまだ分かるが、それすらないのが問題。

3,アメリカの国益についていえば、米軍基地が日本にあるだけで十分。
日本独自の道で外交をすることが尊敬される道だろう。

佐藤
今は内閣法制局=公明党



外務省=(官邸?)

のタッグマッチ。
ミクロの権力維持については、官邸は細心の注意を払っている。人事でそれを押さえてもいる。

マスコミはたんなるメディア。

私の場合も、マスコミに腹も立たないわけではないが、基本は外務省と検察が情報を流した。

そこでスピンコントロールしている。
ただし、マスコミには危機感がある。インターネットも意識している。

信頼が重要だ。人は、多少裏切られてもプライドがあるから、簡単には不信に陥らない。なぜなら、いったん信じてしまった自分が惨めになるから。
だから、ちょっと裏切られたぐらいなら信頼し続ける。

これが壊れたときは本当に大変なことになる。

会場質問(つづき) 

(自衛隊は)いつ出て行くのか?何を考えていけばいいのか?

柳澤
西太平洋・東シナ海・東シナ海・南沙諸島は既に緊張している。
米中もルールを作る努力をしている。
漁民とかはべつとして、中国海軍自体は動いていない。アメリかもストレートには動けない。どこまでいったら本気なのかがわかっていない。

動く理由はシーレーン、資源などいろいろあるだろうが、米中は戦争の敷居を上げようとしている。
そこで日本がアメリカの後方支援をする意味がどこにあるのか?

中国のミサイルはアメリカにはとどかない。日本には届く。誰が最初に殴られるのかは明白。

佐藤

日本の弱点を考えようよ。
異相を変えることが大切。
尖閣で何が起きるか。
尖閣は明らかに日本以前に沖縄だった。現在地、中国では尖閣は台湾省の区域。

だから、ローカル名問題として台湾と沖縄の問題にすれば位相が変わる。
地方レベルでやれることはある。
石原慎太郎のときは言ってるだけだった。
猪瀬は金を集めた。これはまずい。お金が動くと位相が変わる。そういうことが重要。
沖縄が(部分的な)外交権を持つ、ということはありえる。

会場質問(つづき)山梨大の宮川さん

・公明党ばかりここ数年普通の政党になってしまったのでは?
・米軍再編と安保法制のかんけいは?
・翁長知事と菅官房長官の会見はどうなる?
・そして最後に一言。


柳澤
・米軍再編と安保法制は別のものだ。アメリカの財政の問題。集団的自衛権とは全く別のものだ。

最後に、本質的なことは、出てくる法律は納得できるのか?、だ。
納得出来なければ声を一つにしていく必要がある。

佐藤優
今も普通ではなく学会と党はつながっているとおもう。

翁長知事と菅官房長官の会見は、お互いの違いを確認することになるだろう。
ただ、県の代表と会うのだから、県庁で会ってしい。沖縄の記者も、冒頭取材とかブリーフィング方式とかでやろう、と言った方がいい。

国家レベルだけではなく、中間領域(団体戦)のところで考えていくのが大切。

(つるし上げにならないように、ということか?)

 以上、こんな感じでした。
話者が違ってたりするかもです。あくまで個人メモですぅ。