龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

iPad2が来た!

2011年10月31日 20時32分32秒 | 大震災の中で
79歳になるうちの母が、iPadを甥に勧められてその気になったものだから、早速注文(SBのiPhone持ってるヒトは3G付きiPad2が安いキャンペーンで。ま、そんなに安くもないんだけど)。
一週間ぐらいで届いたから、割と早い感じですね。

で、ブツが届いたら最初母親は
「あんたがつかえばいいよ」
などと尻込み。私も欲しいっちゃほしいが、仕事では全く使える環境にないので、家のPCとiPhoneでとりあえずはいいから、
「そんなこといわないで、パソコンとは全然違う使いやすさだよ」
とプッシュ。
そしたら昨晩から、花の図鑑とレシピ、それに楽天市場の安売り価格を次々見て回り
「便利だねぇ」
を連発。

脇で見ていても、正直パソコンを使っていたときの難渋とはいっさい無縁のサクサクぶりにかなり感動。

余計なことを考えずに自宅の中で、あるいは持ち出してWi-Fiのあるカフェで、ITの「今」を満喫できるのが素晴らしいと思う。

ま、田舎にはそんなカフェはないんだけど(笑)

せめて、スタバがあればいいのだが。
マックじゃちょっとゆっくり原稿を書いたり一冊本を読むってのもちとしんどい。

「若い人がネットに夢中になるのもわかるわあ」
との79才の感想は、なかなか重みがありました(^_^)
なんだかんだいっても、ドンドン進歩してると思う。
iPad使ってると、キーボード入力だけが仕事やあそびじゃないさあ、って気持ちになってくるから不思議。


母親が、使わないよこんなの、っていったら自分で使おうと思っていたけれど、こうなると無理みたい(^_^;)
だから、Amazonの新しいKindleが日本語書籍に対応したらそっちを購入しますかね。

あるいはドコモの超高速通信のタブレットにするか。




週末、生まれて初めて能を観た。

2011年10月31日 15時46分42秒 | 大震災の中で
番組?は、「仲光」という曲。

いやあ、寝た寝た。たぶん観ている間に100回ぐらい気を失ったんじゃなかろうか。
これだけ意識が寸断される経験は、人生史上初めてかもしれない。

まあ、能というのは催眠作用があるのは織り込み済みとみえて、劇場で渡された注意書きにも、
「ページをめくる音やいびきに注意」
とあった。
寝てもいいけど静かにね、という信号と見た(笑)

というのは、もう一方の項目についても、思いの外謡曲(能は謡曲っていうんですよね、たしか)を持参して読みながら芝居見物してる人が多かったのにびっくり。

お勉強モードなんですかね?

まあ、そういうわけで、あたかも催眠光線に当てられたかのごとくに意識は寸断され、約100回ほど「死んだ」勘定になります。

明らかに話がおもしろいかどうかとかいう次元じゃない。

これに比すべき経験はおそらく人生の中で2つだけ。
ひとつは子供の頃に見た歌舞伎の劇場中継。
もう一つは高速道路を長距離長時間走って、パーキングエリアまであと15キロぐらいで眠気を催したとき。

車の運転はかなり好きな無頼に属するし、長ずるに及んで劇場で観た歌舞伎はメチャメチャ面白かった。

この能の眠さはだから、単に詰まらないから眠かったというのとは訳が違うようなのだ。
詰まらない講義を聞いていると確かに眠くなるが、そんなときは席を立つか爆睡するか、別なことをはじめるから、こんな眠さにはならない。

芝居は席を立てないし本も読めないから縛られている、という点があらのは確かだが、つまらない芝居だって、これほど寝たり起きたり意識の寸断は起きない。

能というのは実に不思議なものだ、と思う。

つまり、表面は動かないんだなあ。世界が徹底的に内面的な表象に満ちていて、外側の動きは超制限されているのに、一方内面世界は想像を絶する烈しさがある。
だから、惹かれるけど、見えない。観ようとする見方が不適切だと、こういう風に受容すべきこちらの意識が寸断されてしまうのではないか。
いや、不適切、とかいうと、何か能を観るのに適切な方法があるみたいだけど、方法というより、むしろ文化みたいなものか!?

なんだか分からないけれど、武士を身近に感じた。中世という訳の分からないモノを感じた、と言ってもいいかもしれない。
まさか、お話が武士の美意識というか生き方死に方についてだったから、とかいう話じゃなくて(笑)

能楽の論文とか、批評とか、割と興味津々に読めたりもする。花伝書とか、この前原文で一気読みしでしまったし。

ても、本体を観劇すると「瞬殺」。
そしてまた観たいと思って劇場を後にするという不思議。

53歳、遅すぎる能の観劇デビューは、もう少し自分自身と向き合う修行のようなことが続きそうな予感でとりあえず終了。夢幻能的な番組を今度はぜひ観たいものです。