
最近トランプアメリカ大統領がイスラエルのエルサレムを首都として認めるという決定をして問題になっています。(国際的には認められていない)エルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖地が隣接してあり歴史的に対立しています。
キリスト教の聖地はイエスが磔刑にされたとされているゴルゴダの丘にあるイエスの墓でそこには聖墳墓教会があります。そこを2010年に訪れました。そのときの様子をこのブログ(2010年7月1日)に書きました。その一部を再録します。写真はこの教会内部です。
「中はいくつかのセクションに分かれ、それが各々、カトリック、コプト、アルメニア、ギリシア、ロシアの宗派に管理されて競い合っています。ここ全体の出入り口の管理は各宗派の争いにならないようにイスラーム教徒の人にゆだねられています。この話は実に愉快ですね。キリスト教の各宗派間の争いをイスラー教が仲裁しているのですから」
マスコミはイスラーム教徒とキリスト教の対立ばかり取り上げていますが、このような話も時には報じてほしいですね。
ついでにもう一つ。ウズベキスタンのブハラで自由時間に個人でシナゴーグ(ユダヤ教の教会)を訪れたときのことです。受付の人がイスラーム教徒でした。(私が尋ねました)(2005年12月9日ブログに紹介)前者はキリスト教徒とイスラーム教徒、後者はユダヤ教徒とイスラーム教徒の平和共存ですね。
なお、私の訪問後、ユダヤ系でカトリックの元アメリカ国務長官のオルブライトがここを訪問したことが新聞に報じられました。
マスコミは対立だけでなくこのような平和共存の話も伝えてほしいですね。
先般のトランプ氏の発言以来、イスラエルとエルサレム・パレスチナのことを考える日々です。神が「約束の地」と言われましたが、どうなのか・・・。
「カテゴリー」、拝見したいものが沢山です。また、訪問させてくださいね。楽しみができました♪
をお届けしお詫びに換えます、宜しくお願いします。
http://blog.goo.ne.jp/kszh4-shimin/e/d1f04b9ba5f597484e8a8090e1b1db3e
>聖墳墓教会の鍵をイスラム教徒の一族が管理することが、ある程度宗教間の平和の維持に寄与している
とありますように、どこかに共存の「鍵」を保持しておかねばならないのだろうと思います。ただ、旧約聖書を読めば読むほど、例えば「約束の地」をどのように捉えるのか・・・、難しい問題だと痛感させられます。