5月4日、ギャラリー楓で個展をされた作家が数名出展されている和水町肥後民家村の「里山美術展」を見に出掛けました。
久しぶりに訪れた肥後民家村は「里山美術展」で多くの人で賑わい、最近の古民家人気やイベント利用もあるためか、以前より手入れが行き届き、使い込まれていて好印象を受けました。以前来た時は移築、保存が主目的となり生活感がない資料館のようで、建物の魅力が失われている気がしていました。
写真の二棟造りの民家は30年程前に玉東町原倉西から移築されたものだと作家の方から教えてもらいました。原倉西は父の故郷であり、子供の頃から何度も訪れていたので、こんな民家が残っていたことは意外でした。5、6歳の頃(たぶん数ヶ月?)生活したこともあり、その頃の微かな記憶では比較的新しい農村のような印象を持っていました。
熊本駅からJR鹿児島本線木の葉駅で降り、母や妹と歩いて行った道(約5km?)は、子供心にすごく遠く感じました。水田が広がる平地からだんだん山道へ入って、中頃に山北小学校があり、その辺りだけ鬱蒼とした木々に囲まれ古民家が点在し趣きがありましたが、そこが中間地点で「まだこれから遠いな」と思っていたのを思い出します。目的の祖母の家は、広い土間と座敷のある民家で、母屋の北側外に井戸があり、南外には小屋と庭が在った。古民家と言えるものだったか、茅葺きだったか思い出せません。
この二棟造りは一棟は土間で、もう一棟が板の間と座敷になっていて、中央に板戸があり取り外すと全体が一つの空間になります。二棟中央の谷樋を挟み、曲がり木の木組みと茅葺きの竹組みが対になって独特の美しさを持っています。当然二棟の間は谷樋があり、内部に樋の瓦や竹組が見えていて、雨の多い熊本でなぜ二棟にしたのかすごく不思議ですが、当時樋部分は面積に含まれず、税金対象外だったとの話(?)、他にも外壁の土壁を柱より張り出し斜めにしたり、窓を小さくしているのも税金対策との事、昔は建築基準法などの規制では無く、税金(年貢?)が建物を規制していた訳で、そのお蔭で工夫した造り方が美しく、当時の大工さんの技量やセンスが優れていたことに改めて感心しました。
現在小林政嗣美術館として使われているもう一つの二棟造りの民家は菊池から移築されていて、内部は仕切りを外しワンルームで使われています。一棟の土間側は大きな樅の木のテーブルがあり、囲むように喫茶スペースがあり、もう一棟側はタタミ敷きの座の展示場になっています。窓が少なく薄暗く感じますが、土壁に展示された絵と二棟の小屋組が一体となって洗練された素晴らしい空間になっています。 二つの小屋組と谷樋のリズム構成が不思議な魅力を醸し出していて新鮮な感動を受けました。