AKILA's えgo

気まぐれに、ドラムや音楽の気になった事上げとります。

オリジネイターの貫禄

2022-04-13 01:28:00 | ノンジャンル
時期によって、触れる機会ってのは出てくると思う。
ソレが初めてであったり、または久々であったり。

前者に関しては、自身の嗜好開拓の機を与えてくれる事になるワケだが、果たしてその存在をその後もテメェにとって重要な位置を占めるかは、また疑問であるが。

人によっては、その存在からある原点となる存在へと掘り下げていく傾向もあるので、その時その原点へ到達した際に、また選択肢が分かれてくる。

所謂、オリジネイター、或いはイノヴェイターと呼ばれる存在がその原点的存在となるワケだが、そこに触れた時に、入り口となった存在との「違い」が「差」になるかどうかを問われる事になる。

勿論、コレに関しちゃ個人の感覚様々なので、入り口となった存在をその時点で見限ってしまう事もあれば、原点よりも入り口に戻って愛でるという事だってあり得る。

ソレも自身の下へ入る情報のタイミングによるので、その時が然るべきタイミングとなる。
流行に乗せられた時であろうと、そうでない時であろうと。

自分にとって影響を与えたオリジネイターとしての貫禄を、対象物から感じ取れるか。
時間が経つにつれ、それもまた把握できるようになる。


・・・などという事を、MESHUGGAHの『IMMUTABLE』を聴いて、考えてしまった。

オレにとっては、MEHSUGGAHは彼ら結成時から追っていたワケではなく、4thアルバム『NOTHING』リリース時から耳にする様になった。
この辺りも、当時デスメタルの括りの中でバンドの名が挙がったり、メタルシーン第一線級バンド達の口からも出ていた事で、聴いてみたいなと意欲を駆られるようになった。

彼らの音楽を最初に触れた時は、ミュージックビデオでたまたま目にしたっていう事だったんだが、率直な感想は「なんじゃこりゃ?」だった。
『NOTHING』に収録されている「RATIONAL GAZE」だった。
先ず、鳴っている音(ギターサウンド)が、それまでオレの知っていたサウンドとは明らかに違っていたし、当時音数の多い中での異常なテクニカル度合を叩きつけるバンドを好んでいた向きとっては、あの曲はミドルテンポであり、それこそMESHUGGAH特有の、リズムアクセントが通常の感覚ではズレていくように感じるあの引っかかりが心地よく思えなかった。

そう、その時にオレはこのバンドに“引っかかった”ワケで、アルバムに手を伸ばしてしまう事になった。
その心地よく思えなかった引っかかりが取れて心地よく思えるのにも、それなりに時間はかかったが、個人的に『NOTHING』はMESHUGGAHのアルバム内でも大好きなアルバムとなったし、バンドの歴史を俯瞰しても、重要なアルバムだと言える筈。

あのアルバムは彼らが想像した8弦ギターを目指したサウンド作りの起点であり、それまでのスラッシュメタル由来の音数の多さ/スピードに頼らない、サウンドの持つ圧迫感の強い低域を誇張するが如きミドルテンポを軸とした、よりシンプルで淡々とした展開が支配する亜空間を生み出していた。

今にして思えばだが、個人的にはこの『NOTHING』から入ったというタイミングで良かったんだろうと思う。

それ以前のアルバム、それこそ『CHAOSPHERE』でMESHUGGAH初聴きであったら、「妙にごちゃごちゃしてる」で終わり、このバンドの魅力に惹きつけられるのは、更に遅くなっていただろうね。
下手したら、聴かず終いになっていた可能性すらある。

まァ、少なくともオレの音楽観としては、知り得て良かった存在だったとは言える。

ジェントという、ある一定の音楽ジャンルを指す始祖的存在として君臨する(本人たちはそこを自負していない事は言っておく)に至るが、これまでリリースされたアルバムを聴いてきて思うのは、本質的な部分で彼らは変わっていないんだな、という事。

ギターが6弦であろうが7弦であろうが8弦であろうが、彼らの放出するサウンドの雰囲気はMESHUGGAHというバンドでしか成し得ないものである。
その辺りは、上記3機種のギターを使い分けて作成された『KOLOSS』で立証されている。

結局、ジェントの始祖と敬われているこのバンドは、これまでもこれからもMESHUGGAHという唯一無二のメタルバンドだったという事に尽きる。

その後にPERIPHERYという、ジェント/プログレメタルが介在する事により、この手の音楽を提示するバンドが一気に増える事になったが、MESHUGGAHに比肩、超えるほどの存在感を示すバンドはオレの中では出てきていない。

その手の音楽から出てくるのを期待しても、ソレは無理だろうと思ってしまう。
8弦を使ってMESHUGGAHの様に野蛮なサウンドを表現する、MESHUGGAH以上にテクニカリティを強調するような音楽性を標榜する・・・といった考えは、結局のところMESHUGGAHという比較対象があればこそであり、彼らと同じ土俵に立っている中でそこを声高に述べたところで、自身がその存在を超える事は出来ない。
結果、イミテイターの強がりで終わってしまうのが殆どだと思う。

オリジネイターは、自身の創作に没頭している。良い意味で周囲を見ないことで、その貫禄を増幅させている事にも繋がっていると言えるだろう。

今月号のBURRN!!で、ドラマーのトーマス・ハーケのインタヴューが掲載されているんだが、色々と共感させられた。

このバンドはスウェーデン語で「狂った」という意味を持ち、その通りの気がふれた様な亜空間を音楽で生み出している狂気集団だが、メンバー各々は頭の切れる、堅実な人たち。
冷静でなければ、こんな音楽を生み出せるとは思えない程、彼らの発言は説得力を伴っている。

オリジネイターの貫禄は、こーいうところでも表れていると感じた。


つまるところ、MESHUGGAHはやっぱスゲェな、って事を再確認した次第。