9年目
黙祷を家族で。
お墓参りをしてきた。
幸枝さんの妹さんと、その年に生まれたという長女、その下の次女が一緒にお墓参りに来ていた。
「ありがとうございます。」
と言われた。
妻と長男と三人で行った。
長男を見て、大きくなったねと驚いていた。
確かに、僕よりも大きいからね。
9年とはそんな時間。
下の子を抱っこして桜の花を一緒に花立てに入れた。
線香に火をつけて、それも一緒に。
「ナムナムしようか。」
「ん。」
「ナムナム〜」
とっても可愛い子でした。
「え〜?!いっつもすごい人見知りなのに!どうした?(笑)」
とお母さんが言っていた。
僕たちに対して、そんな様子はなかった。
小さい子と動物には人気があるんだ。
(自分と同じように、コイツは子どもだと思われてるんだろう、いつも。)
変わるべきこと。
変えるべきこと。
変えてはいけないこと。
色々あるけれど、僕は変わらずにいたい。
子どもの頃に感じていた「正しさ」と照らし合わせながら成長出来たら、きっとその人は愛される人になる。
小さい子は誰もが愛される天才だと思うから。
いつからか「可愛くない要素を身につける」ことこそが大人だと勘違いしてどうしようもない方向に向かう時がある。
クールと無気力を勘違いしたりね。
でも、戻ればいい。
素直であればいい。
「まぜて!」
と言える人であればいい。
嬉しかったらニコニコと笑えばいい。
悲しかったら泣けばいい。
そんな人がいたら、黙ってそばにいればいい。
美味しいものを食べたなら、一緒に食べよう?と差し出す人であればいい。
余計なことを考えずに、過ごせばいい。
僕らと彼らの違いの一つに、そんな日々を過ごせていることに感謝できるってのが大人なんじゃないかと思う。
思うけど、変に大人になるぐらいなら子どものままでいい。
新型ウィルスがこんな風になって、僕ら大人の動き方を見て子ども達は何を思うだろうか?
「仕事ができない」とか「経済が」と言う前に、子ども達の学力を心配すべきなんじゃないの?
自分の心配の前に、未来を憂うべきだ。
どんなことがあっても強くあれる人になりたい。
電気がなくても平気。
水?なんとかします。
食べるもの?探してくるよ。
そんな逞しさや強さが大人でしょう。
誰かがなんとかしてくれませんでした。
だから、助け合いました。
こんな時だからこそ見せてやろうじゃねぇの。
もう一回、見せてやろうじゃねぇの。