素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

始祖鳥についての改訂増補版(2)

2024年03月13日 08時05分27秒 | 絶滅と進化
                 始祖鳥は「鳥類」なのか、それとも「恐竜」なのか(2)
          


                 第1章 始祖鳥の化石とその標本について

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  先ずは、始祖鳥について、ほんの入り口だけに過ぎませんが述べておきましょう。「始祖鳥」という呼び名は、わが国で使っている「和名」です。欧米ではアーケオプテリクス(Archaeopteryxまたは「アルカエオプテリクス」と呼ばれています。その意味は鳥類という意味があるわけではなく、聞くところでは「古代の翼」(アーケオ:「古代の」、プリテックス:「翼」)の意味だそうです。始祖鳥の分類階級をみますと、「綱」は爬虫綱であり、「目」は始祖鳥目(Archaeopterygiformes)です。この「目」に「科と属」が含まれますが、1888年にドイツの解剖学者で、脊椎動物の解剖学的研究、特に鳥類の形態と分類に関する研究で知られるマックス・フュルブリンガー(Max Carl Anton Fürbringer :1846 – 1920)が始祖鳥科と始祖鳥属を含むように始祖鳥目(Archaeopterygiformes)を設けたと言われています。マックス・フュルブリンガーは、鳥類の骨格、形態、解剖学的特徴を組み合わせた大規模な研究に基づき、鳥類群を初めて系統的に分類したのですが、その際始祖鳥科(Archaeopterygidae)と始祖鳥属(Archaeopteryx)に分けています。そしてまた、マックス・フュルブリンガーは、恐竜の筋肉と骨に関する論文で博士号を取得し、その後、ハイデルベルク大学で比較解剖学者ゲーゲンバウル(Karl Gegenbaur :1826‐1903)のもとでプロセクター(次席職)を務め、後に同大学教授に昇進しています。

 1860年のことですが、ドイツのバイエルン州のゾルンホーフェンの石灰石の採石所において、作業中に一人の作業員が鳥の羽の化石(風切り羽の化石)を発見したことが話題になりました。それが19世紀ドイツの古生物学者ヘルマン・フオン・マイヤー(Christian Erich Hermann von Meyer :1801-1869)の知るところとなり研究の結果、その石炭石採石所があった地層は、何と1億5000万年前のジュラ紀後期の地層であることも分かりました。それまでにもマイヤーは翼竜などの化石の研究(1857)にも携わった経験がありましたが、1860年羽毛の化石と初めて出会いました。マイヤーは羽毛化石を学術的に研究し、1861年にその記載を行いました。その際、学名をArchaeopteryx lithographicaと命名したと言われています。前述のように、始祖鳥と言う名は和名に過ぎませんので、正しくはアーケオプテリクス(Archaeopteryx)と書くべきなのでしょうが本稿では、余り拘らずに、「始祖鳥」と言う用語と併せて用いることにしました。

 さて、20世紀になってからのことですが、英国の哺乳類及び鳥類の研究で知られる動物学者マンチェスタ-大学名誉上級講師(Honorary Reader)デレク・ウイリアム・ヤルデン(Derek William Yalden、1940~2013)は、 Natureに発表した論文 The flying ability of Archaeopteryx(1971)において、始祖鳥(アーケオプテリクス)に関し、以下のようなことを記しています。
 ヤルデンは翼開長(翼を広げた長さ)、質量(重さ)、翼を開いたときの広さ(面積)の推定値を提示し、これらの数値を用いて始祖鳥の飛行状況や、特に飛行距離を明らかにしようとしたものと考えられます。またヤルデンは骨格構成要素の長さに関する利用可能な数値を、始祖鳥のベルリン標本の鋳型や実物大の拡大写真を使って測定しています。翼開長は58-59センチメートルあり、開翼面積は479平方メートル、標本となった始祖鳥の体重は約200グラムと推定しています。その結果、飛行距離はおそらく6から7メートルであったであろうと推算しています。なお、「翼開長」とは鳥類が両翼を広げた長さと考えられます。ヤルデンが、この論文でこれらのデータに触れたのは、始祖鳥が果たして現生鳥類のように飛べたものなのかどうかを考察する上で、彼にとっては大切なデータであったからだと考えられます。

 少々横道にそれますが、ここで米国の有名な古生物学者ジョン・オストロム((John H. Ostrom、1928 - 2005)について述べておきましょう。彼は、イェール大学の教授であると同時に、イェール・ピーボディー自然史博物館(Yale Peabody Museum of Natural HistoryYPM)の古脊椎動物学の名誉キュレーター(curator)でした。キュレーターとは博物館・美術館などの、展覧会の企画・構成・運営などを企画する専門職で、一般に「管理責任者」を指すのですが、オストロムは名誉キュレーターでしたからアドバイザーのような立場だったと考えられます。イェール・ピーボディー自然史博物館は、オスニエル・チャールズ・マーシュ(Othniel Charles Marsh、1831 - 1899)によって始められたのですが、大変重要な化石コレクションが収蔵されていることで有名なのです。そんなわけで、オスロムは博物学者と呼んだ方がいいような学者だったんです。

 オストロムは、恐竜とはトカゲ(爬虫類)のようなものではなく、飛ばない大きな鳥であると説明したことで話題になりました。実は、英国の自然科学者であり卓越した地質学者であり生物学者でもあったチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin 、1809 - 1882)の「種の起源」(1859)の大の支持者だった、英国の生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley、1825 - 1895)により、1860年代に、この見解は初めて提起されたのですが、余り支持を得ていなかったようなのです。そのアイディアを明確に論証したのがジョン・オストロムだったのです。また、オストロムは1976年には、初めて原始的な鳥類である始祖鳥ついての広範な骨学と系統学についてのレビューを行っています。

 鳥類学者の川上和人氏は、「鳥類学者無謀にも恐竜を語る」(新潮社、平成30年)において、1964年、オストロムが獣脚類のディノニクスを発表し恐竜ルネッサンスが始まったことを指摘し、オスロムは、鳥とディノニクスなど獣脚類では、手首の形態に共通の特徴があることに触れています。かくしてオストロムは、獣脚類の恐竜が鳥の祖先だろうという見解を示したとも述べています。また、川上和人氏は、恐竜と鳥との関係を語るとき、始祖鳥を抜きにしては語れないだろうとも言われています。それは、始祖鳥が鳥と同様に羽毛を持ち、一方爬虫類と同様に骨のある尻尾を有し、さらに歯のある口をもっているからだ、それが恐竜起源説の発端になった理由だというのです。また、川上和人氏は、鳥と恐竜との類縁関係を最初に明らかにしたのはトマス・ヘンリー・ハクスリーだと述べています。



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