素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

素人の考古学:抄録・人の移動、その先史を考える(その8):中本博皓

2015年06月18日 17時19分06秒 | 人類の移動と移住
抄録・人の移動、その先史を考える(その8)




 〔以下の記事は、小生がこれまで扱ってきた「人の移動史」(日本人の出移民小史)から、ふとしたことで、人の移動、その先史 を専門家の孫引き・後追いで考え るようになり、ノートを作成する気になったもので、老化予防のために「80過ぎての手習い」といったものです。〕  



  (1)人は移動する生き物

  7)アフリカを出た新人ホモ・サピエンスの進化-後期の新人たちの拡散と移動-
  一方、前述の彼ら初期の新人たちは、カバや象など大型の草食動物を狩りする道具を考え出すようになっていた。それが彼らの石器の制作だった。彼らの道具は、狩りの用途別に効率的に考えられた道具だった。

  大型動物を狩りするのに適した弓矢、槍、あるいは漁を行うための釣り針などの狩猟、漁業の道具にまで及んでいた。また、ヘルト村の近辺で発掘された哺乳類の骨の多くには、石器で切り付けられたような傷痕が残されていることまでは分っている。

  だが、その骨の化石の傷はホモ・サピエンスが狩りをし、その哺乳類の肉を食したときの傷なのか、それとも他の動物の食べ残しであったのか、どうかの確かなことは必ずしもはっきりとはわかっていない。それに、彼らの居住の痕跡なども発掘されてはいないからだ。それ故彼らが火を使っていたか、どうかもまだ分っていない。わからないことの方が多いのが古人類史の特長と言えるのかもしれない。

  それでは、本稿で言う「後期」の新人とはどの時代からを言うのか、素人なりの考えを述べておこう。手短に言えば、アフリカを旅たち世界に拡散、移動を始めて以降のホモ・サピエンスである。彼らがアフリカ大陸を旅だったのは凡そ10万年~5万年前と言われている。初期の新人(ホモ・サイエンス)が誕生して、彼らが急速に増え始めたと考えられている時代は、中期石器時代(MSA:Middle Stone Age)以降のことである。

  近年、特に世界的にも学術的な大がかりな遺跡調査が行われるようになったこと、加えて放射性年代測定法の進展といった科学的解析技術、そしてDNAをもとに人類、とくにホモ・サピエンスの進化の道筋を解明する「DNA人類進化学」(宝来聰【1946-2004】による同名の著作も岩波書店から刊行されているように)が発達したことなどもあって、考古学上の考察もかなり正確に行われるようになった。

  さて、年代的に、いつ頃から後期の新人(ホモ・サピエンス)を定義できるかはそう簡単なことではない。しかし、最近(2015年1月29日)の情報(英国の科学誌『ネイチャー』)として、『ネイチャー』誌は、5万5,000年前の新人の頭蓋骨の一部が中東で発見されと伝えている。同誌はまた、この発見が今後現生人類の先祖を解明する上で大きな鍵となるであろうとも論じている。

  新たに発見されたこのわれわれ現生人の先祖の頭蓋骨から、われわれ現生人類(ホモ・サピエンス)の大移動・拡散の新たな道筋を解明することも可能になるのではないか、という期待も持たれているようだ。

  その一例が、米ケース・ウェスタン・リザーブ大学(Case Western Reserve University)のブルース・ラティマー(Bruce Latimer)氏ら国際研究チームが発表した論文によると、イスラエル北部ガリラヤ(Galilee)地方の西部にあるマノット(Manot)洞窟遺跡で発見されたこの頭蓋骨は、解剖学的現代人(解剖学的にホモ・サピエンスであっても、行動学的には現代的とは言えない人類集団があり、これら人類を「解剖学的現代人」と呼ぶ)と呼ばれる初期の現生人類「ホモ・サピエンス(Homo sapiens)」の特徴を持っているという。

  マノット洞窟から北と北西に数十キロしか離れていないケバラ(Kebara)とアムッド(Amud)の2か所の洞窟遺跡では、これまでにネアンデルタール人の骨が発見されている。これらの古代人の骨は、5万年前から6万5000年前の時代のものだとされている。事実とすると、この2種の人類は、同時代に、おそらく地理的にきわめて近い位置で共存共栄していた可能性が推測されるのである。

  上述の国際研究チームが発表した論文がそれを指摘しているである。また、イスラエル北部ガリラヤ(Galilee)地方の西部にあるマノット(Manot)洞窟遺跡で発見された頭蓋骨には、「解剖学的現代人(解剖学的にはサピエンスでも行動学的には現代的とは言えない人類集団を、解剖学的現代人と呼ぶこともあるようだ)と呼ばれる初期の現生人類」、すなわちホモ・サピエンスの特徴が秘められていると言うのである。非常に難しい見解だが。

 今回発見され頭蓋骨のあった洞窟(マノット)から北と北西に5、60㎞しか離れていない地点にも二つの洞窟があり、これまでにもケバラ(Kebara)とアムッド(Amud)の洞窟遺跡からも5万年前~6万5000年前と推定される旧人(ネアンデルタール人)の人骨が発掘されていることを考えると、その意味するところは何かと言う問題が提起される。すなわち、マノット洞窟からは新人ホモ・サピエンスが発見され、そして既述の旧人ネアンデルタール人が、ヒト属2種の人類が、万年単位ではあるがほぼ同時代に、極めて地理的にも近隣の地域に2種のヒト属の人類が共存していた可能性が窺えるということになるのである。

  ところで、必ずしも定かではないが、考古学上は人類史の上で5万年前頃には、新人(ホモ・サピエンス)はアジアからヨーロッパに広く移動・拡散するが、そこから中央アジア、ロシア、北欧、北米、南米、そしてさらにはオセアニアにまでも、もう少し分り易く言えば、太平洋の島々にまで、新人集団は一気に拡散したものと推察されている。オセアニアへの新人集団の拡散と移住の波は5万年前が第一波だったとされている。

  当時は、まだ氷河期だった。そのために海面は通常よりも100mから140mも低く、インドネシアの島々との間にウォーレス線があり、その東側に立地するニューギニア島、オーストラリア大陸(豪州)、そしてタスマニア島は氷河期には地続きで、サフール大陸が形成されていたことが分っているのである。

次につづく



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