〔以下の記事は、小生がこれまで扱ってきた「人の移動史」(日本人の出移民小史)から、ふとしたことで、人の移動、その先史 を専門家の孫引き・後追いで考え るようになり、ノートを作成する気になったもので、老化予防のために「80過ぎての手習い」といったものです。〕
(1)人は移動する生き物
6)人の移動の始まり
現代人であるわれわれ人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)は、今では世界の至る所へ、そしていろいろな目的をもって拡散し、また計画的に移動を繰り広げていることは多くの人々が経験しているところである。
以下、本稿で取り上げる「人」とは新人(ホモ・サピエンス)である。学術的にはともかくとして、新人を時代的に初期の新人と後期の新人の2段階に分けてみる。本稿における初期の新人とは、最古の新人で今から16万年前から8万年前頃に生存していたと考えられるホモ・サピエンスで中期の旧石器時代に彼らの化石骨はエチオピアで見つかったとされている。
なお、国立科学博物館の海部陽介人類研究部人類史研究グループ長によれば、「20万年前にアフリカで旧人から進化したホモ・サピエンスが登場した」(『人類がたどって来た道〝文化の多様化″の起源を探る』(NHKブックス1028,2005年.)のだと述べている。同じ国立科学博物館人類研究部長(2009~2014)をされていた溝口優司研究員は「十数年前、ホモ・サピエンスがアフリカで生まれた」、と言っている。そしてまた次のようにも言っている。
「ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人よりも早く、おそらくは十数万年前にアフリカで、ホモ・ハイデルベルゲンシスの中から誕生した」(『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』・ソフトバンク新書162、2011.)と述べている。また、海部陽介氏によれば、彼らは旧人から進化した最古(初期)の新人たちであり、彼らは誕生して10万年くらいは、アフリカを出て世界に拡散するような行動はとっておらず、彼らは主としてアフリカ東部の大地溝帯(グレートリフト・ヴァレー)に留まっていたのではないかとも言われている。
さて、人類学や考古学では一口に十数年前と言うが、最古の新人とはいつ頃のことなのか、既述の溝口研究員によれば、エチオピアのキビシュで発見されたホモ・サピエンスはおそらく19万5000年前ではないか、と言われている。とにかく古人類学や考古学の世界では数万年くらいの時間空間は一瞬のうちに過ぎてしまうので、年代をめぐる異論も多く論争は絶えないようだ。
現時点で認められている最古のホモ・サピエンス=新人の化石は、1997年にエチオピアのヘルト村(牧畜民アファール族の村)で発見された頭骨の化石であって、それは推定16万年から15万4000年前のホモ・サピエンス・イダルッ(現地語で年長者を意味する)もので、現代人(ホモ・サピエンス・サピエンス)と区別する意味で、ホモ・サピエンス・イダルッと表記して呼んでいるものと言われている(溝口『前掲書』、57頁)。
この化石の推定年代古人類学上は大きな意味を持つようだ。なぜなら、世界の各地のホモ・サピエンス・サピエンスのDNAを比較した遺伝学的解析によって、人類の誕生はアフリカを唯一の起源とすると言う「アフリカ単一起源説」が唱えられてきたことはよく知られているからだ。
NATIONAL GEOGRAPHIC 2010年7月号の「最古の女性〝アルディ″が変えた新・人類進化の道」を参考にするならば、われわれ現生人類ホモ・サピエンス・サピエンスのすべてが、今から20万年~10万年前にアフリカで誕生した同じ祖先の血を延々と引き継いできているのだ、と言うことが分る。
しかしながら、長いこと、それを(単一起源説)裏付けるに足る人骨化石の発見がなされていなかったのだ。だからこそアファール族のヘルト村に近いところで眉の部分が隆起した額の広い、相当古い男のホモ・サピエンスの頭骨の化石が発見されたことで、その空白が埋められたと見られているのである。
つづく(少し時間を要しています。)
抄録・人の移動、その先史を考える(その7)
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