人種とは・日本人の昔を探る(25)
日本人の昔を探る(その2)
(9)縄文人の暮らしと「食」について-その2-
縄文人の食について、前回にも触れましたが、随分いろいろな食べ物を食べていたようです。1万3000年前頃の縄文草創期には、狩猟が生業で大型草食獣を射止め主食にしていたと考えられるのですが、1万年前から8000年前頃になりますと、植物性食中心の主食で、主に堅果類および堅殻性の木の実、通常われわれが栗やドングリあるいはクルミと呼んでいる種実の採取を生業にする人々も多くなりました。
また、稗や粟そしてゼンマイ、キノコなどの山菜なども採取し、多く食していたものと考えられます。つまり縄文時代の食文化は、木の実、キノコなど、それに山菜、そして肉や魚介類などを用いた食文化には美味しさも加わっていたものと考えられます。
また、石うすのような調理具なども用いるようになり、石器や土器などを使い、煮炊きによって食していたものと考えられます。
ところで、大事な主食の一つであった栗の実(くり)ですが、食にだけ用いられたのではなく、「クリの木」もまた重要な役割を担っていました。それは縄文時代だけではありませんで、現世のわれわれも栗の実だけでなく、クリの木についても資材として重要視してきました。
たとえば、最近でこそ鉄道の枕木がコンクリート製枕木になりましたが、以前はすべての枕木がクリの木だったのです。古くなると取り替え、その廃材は新たな用途があり、土留めや土台などに使われています。
そんな訳で縄文時代にも住居の柱や杭などにクリの木が多く使われていたことが遺跡から検出されています。
さて、縄文人の食文化についてですが、縄文時代のひとびとは、主に食用植物採集(木の実や山菜などをと採ること)、狩猟(地域によっては、シカ、野牛、イノシシなど野生動物だけでなく、海浜に近い縄文人たちはトド、アザラシ、オットセイから鯨などの捕獲猟を行っていたことも明らかです。)、そして漁撈の三つの活動によって、食べ物を得ていたと考えられています。
縄文人その時代、約1万年を通じて、食用植物の採集、狩猟、そして漁撈を生業に日常の活動を行い、「食」の文化を築き上げてきたと考えられています。
まず、もっとも重要なのが木の実など植物質の食べ物ですが、四季によって木の実の収穫期は異なります。したがって、堅果類で保存できる栗などは、冬に備え蓄えておくような手法、貯蔵穴などを工夫したものと考えられます。
野生(棲)動物については、罠や落とし穴などを作り捕獲するケースも多かったでしょうし、石器や(牙、角等を含めて)骨器で尖頭器、鏃(やじり:矢尻)などを作り、利用していました。
また、人類の進化と狩猟具の多様性などを研究されている研究者佐野勝宏氏は、ブーメラン方式の飛び道具もあったことを明らかにしています。
(注)恐縮ですが、写真は割愛いたします。
縄文人の食文化が豊かだったのは、狩猟具、漁撈具の技術、及び調理の技術(あく抜き、渋抜き、さらしなどの技術)、そして定住化が進むことで、貯蔵の技術、住まいの大型化など技術の進化によるところが大きかったと言えそうです。