人種とは・日本人の昔を探る(23)
日本人の昔を探る(その2)
(7)縄文人の暮らしと「衣」について-その2-
縄文人が日常の生活の中で着ていた衣類は、アサやカラムシ、アカソなどの植物性繊維から糸を紡いで編んだ衣服だったようです。
前回も述べましたが、縄文海進の影響もあって、縄文前期は、かなり気温が高い状態だったようですから、比較的軽装だったと考えられなくはないのですが、寒い地方で発掘されている土偶を見てみますと、防寒着に身を包んだものが多いのに気づきます。いつの時代も衣服の役割は、防寒対策として用いられていたようです。寒冷地の縄文人たちも、土偶を見る限りでは、防寒には相当知恵を凝らしていたようです。
土偶からでは、どんな布で作られた衣類であるか判断することが難しいのですが、縄文遺跡から出土した布の中には、あさ、あかそ、からむしなど植物繊維を使って編まれた布、編布(あんぎん)だったようです。縄文時代の編布(あんぎん)は編物で、織物ではないという説があります。しかし、国立民族学博物館教授の佐々木高明氏は、縄文晩期の青森県石郷遺跡から出土した布目圧痕の例を引き合いに、当時、現代の晒しよりも細かい織物らしい布が存在していた、と言われています。
また、佐々木氏は、「越後編布(あんぎん)」に触れております。下に掲げました写真は、新潟県津南町の歴史民俗資料館に展示されています麻製の「アンギン布」による「袖なしアンギン」の例です。
縄文の衣服に詳しい『縄文の衣-日本最古の布を復元-』(学生社、1996)の著者として知られる尾関清子氏によりますと、編物とは「一本の糸またはひも状のもので編目(ル-プ)をつくりながら布状に編まれたもの」だそうです。
毛糸でセーターを編むのは、通常「編物」と言いますが。どうも、それだけではないようです。いろいろ調べて見ますと、すだれ(簾)やたわら(俵)の編み方も編布(あんぎん)というらしいのです。
編布(あんぎん)は、考古学者伊東信雄(1908年 - 1987年:東北地方の縄文・弥生・古墳時代等の先史時代の研究者で東北大学名誉教授)によって縄文の布に対する呼称として命名されたものだ、と言われています。
編物か、織物かの議論があるのですが、編布も後期から晩期になりますと、その編み方も織物の織り方のような経糸と緯糸を用いる編み方があるようです。縄文晩期は弥生と重なる時期でもありますから、織物があっても不思議ではないように思います。
それよりも縄文人の冬の防寒着が本当はどんなものだったのか、縄文時代の衣装として紹介されている衣類が正しいのか、どうか正直判断できません。編布(あんぎん)がすだれ、たわら、箕のなどの編み方で、麻、アカソなどの植物繊維を撚って糸に近い細い紐(ひも)を作り、頭を通せるような編布を編んで使っていたのではないか、と推測しています。
しかしそれは温暖な時期の衣装として用いていたのではないか、専門家の中には「晴れ着」のようなもので、普段は褌や腰巻のようなものだったのではないか、そして縄文中期ぐらいまでは、防寒着はもっぱら動物の毛皮の「なめし皮」を衣類として用いていたのではないか、そう考えた方が良さそうです。なお、「なめし」の技術は旧石器時代からあったようです。
アンギン布による袖なしアンギンの例