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再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(3)

2017年09月26日 21時54分46秒 | 島嶼諸国

再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(3)



  第1章 フィジーのプロフィール(3)

  ≪フィジーの歩み-主な事項-≫                 
  一般に知られているフィジーの歩みは、大体1643年のオランダ人探検家タスマンによる、フィジー諸島の北部離島に偶然来着し、島々を発見した事実から始まっている。

 1643年 オランダ人探検家タスマンが、フィジー諸島の北部を発見したと言われている。
 1797年 キリスト教布教団の船「ダツフ号」のウイルワン船長フィジーの北方諸島に関する簡単な報告書を作成した。
 1820年 オノ・イ・ラウ群島は、ロシア人指揮者ファビアン・ベrンスゴウゼンによって発見された。
 1830年 フィジー諸島のラムケバにタヒチ人宣教師初めて上陸した。
 1840年 米国の探検遠征隊長ウイルクス氏、信頼に足る海図を作成した。
 1871年 タコムバウ王、フィジー王国のために憲法を採択するかどうか、全種族代表による初の会議を開催する。
 1872年 選挙が行われる。第1回フィジー議会が1872年6月に召集された。 

 1874年10月10日 タコムバウ王(バウ酋長)ら、フィジー諸島を英国に引き渡し、植民地となる。
 1970年10月10日 英国より独立(立憲君主制)。
 1987年5月、9月 ランブカ中佐による無血クーデター。
 1987年10月 英連邦から離脱し、共和制へ移行、国名をフィジー共和国に改称した。
 1990年07月 フィジー系を優遇する改正憲法発布 。
 1997年09月 改正憲法を公布し、英連邦に再加盟を果す。
 1998年07月27日 民族融和を目指す新憲法発効、国名をフィジー諸島共和国に再度改称した。
 1999年05月 労働党党首のチョードリーが初のインド系首相に就任 。
 2000年05月 フィジー系の武装グループによる国会占拠事件が発生、首相が監禁されて、軍が戒厳令を発令した。
 2000年07月 ガラセを首班とする暫定文民政府が発足。
 2001年09月 総選挙を経てガラセが首相に就任。
 2006年05月 ガラセ首相が再任。
 2006年12月06日 ガラセ首相解任、クーデター起こる。軍部、実権を掌握。バイニマラマ軍司令官は6日、非常事態宣言を発令した。バイニマラマ司令官は「いかなる反乱も直ちに鎮圧する」と述べた、と伝えられる。
 軍部が必要と判断すれば武力行使もありうるとの姿勢を強調した。ガラセ首相は同日解任、直ちに首都スバのあるビチレブ島を離れ、出身地のラウ諸島バヌアバラブ島に向かった。
 2006年12月、同日付けでバイニマラマ軍司令官が、軍医のセニラガカリ氏を暫定首相に任命した。 

 次回につづく