4.旧エリス諸島から主権国家トゥヴァルへ
1892年ギルバート諸島とエイリス諸島はイギリスの植民地となった。1960年代、世界の植民地の独立運動が進む中で、イギリスは両地域を独立させる計画であったが、ギルバート諸島はミクロネシア系、エリスはポリネシア系という人種の壁が立ちはだかって両地域を1つの国家にまとめあげるために難航している間に、ポリネシア系のエリス諸島が一歩先に分離独立に向けて準備を整えた。
1974年に国民投票を行い、賛成91.9%の圧倒的支持を得て分離独立を決めた。1975年には正式に英領ギルバート諸島(現キリバス)から分離し、国名をトゥヴァルとして1978年に英連邦下の立憲君主国として独立を勝ち得たのである。ちなみに、ギルバート諸島がキリバス共和国として独立したのは1979年であった。
トゥヴァルは、独立に先だって1978年5月、1980年を目標年次として、第1に独立国の実現、第2に国民の団結、そして第3に経済的独立を謳った第1次開発計画を発表した1)。1978年10月1日、現在の国名トゥヴアル(「八つ並び立つ」の意)を名乗って、旧エリス諸島から新しい独立国家トゥヴァルへと衣替えした。その後、1980年に第1に国民の団結、第2に経済的独立、そして第3に国民の生活水準向上掲げた第2次開発計画(1980-83年)を、1984年には地方の離島の開発に重点をおいた第3次開発計画(1984-87年)が樹立された。
1988-91年の4年間は人的資源の開発、海外就労機会の開発、および漁業等海洋資源の開発を含む第4次開発計画2)、そして第5次計画は、社会経済基盤のなどインフラ整備の遅れに積極的な外資導入などが計画された。台湾からの資本援助によるヴァイアク・ラギ・ホテルの建設もその1つであった。
後述するように、トゥヴァルの人口はおよそ1万人を超える程度で、1つの国としては世界で2番目に人口が少ない。ポリネシア系の人種がほとんどであるが、若干のミクロネシア系人種がいる。言葉は、ポリネシア系の言語であるが、サモア語に近いトゥヴァル語を話し、ミクロネシア地域のギルバート諸島等とは人種、文化そして言語ともに大きく異なる。その主な歩みについては、以下のように整理できる3)。
(注)
1)『トゥヴァル』・(財)国際協力推進協会・平成7年、26頁。
2)長島俊介「ツバル(6)」(『会計検査資料(「小国の財政・生活事情65」)』・建設物価調査会・1991年11月号、41-42頁。
3)次頁以下の「トゥヴァルの歩み」は、同国の歴史について多くの文献に依拠して作成した。
南太平洋島嶼国トゥヴァルについて(4)