大空を見上げて

日頃感じていること

期日前投票

2009-06-13 | Weblog
  明日14日は千葉市の市長選挙の投票日。
私は早朝から仕事で出かけるので、妻と共に不在者投票を済ませてきた。
花見川区役所か花島コミュニティセンターで受付とあったので、
いつもの花見川沿いのサイクリングロードを歩いて行くことにした。
往復で7km、途中昼食をして2時間半、17,000歩ほどだった。
今日は土曜日なので、親子連れでサイクリングする人、婦人の2人連れ、3人連れ…これが結構多い。
マラソンをしている人もいた。
コンクリートの舗装された道路を歩くのは、暑くて足も疲れるが、林の中は涼しく気持良かった。
帰ってからはすぐお風呂に入りゆったり。
TVで日本対スコットランドのラグビー観戦、12対7で日本は残念ながら負けた。

 弟は今朝の義妹の電話で、昨日は素麺や夕飯も少し食べられて小康状態との事。
1週間くらいは落ちついた状態が保てるのではないかとの事だ。

 アメリカの姉夫婦は5月末から小クルージング旅行をし無事に帰ったらしい。
サクラメントからシアトルまでドライブし、ワシントンで客船ゴールデンプリンセス号に乗船しジュノー、キチカン、スカウェーと周遊したとの事。
 私たちも誘われたが、いずれまた。

 
        (写真:義兄ハワード、デッキで朝食か?)



インドカレー

2009-06-12 | Weblog
 昨日は、日曜日出勤の代休をとった。
妻の弟が転院の為、朝8時ごろ家を出て東京錦糸町の墨東病院へ向かった。
10時頃病院を出て、私の車で同じ錦糸町のホスピスの病院の特別室に入院した。
緩和ケア病棟はは四階にあり、静かで全般的にゆったりでゆとりをもった談話室があり、とても綺麗です。
若い医師の先生や看護師さん達も穏やかで常に笑顔で接してくれて、弟もこの日は前日より身体も少し調子よく、先生とのやりとりやこれからの説明にもハキハキ応答していました。
弟は私に「いろいろありがとう!」と言い、今現在自分自身の厳しい状況を自覚しながらも冷静に行動してる姿に心より頭が下がります。
ここでも又いろいろ検査があり、その後、弟は少し疲れたのか眠ったので義妹と妻と食事(ランチ)を食べに行きました。

病院の前のインドカレーの店に入りました。
私はカレーは日本のカレーしか食べた事はなく、本場のカレーはすごい辛いと聞いていたのでとにかく甘いカレーを注文しました。
妻と義妹は普通の辛さのカレーを注文しましたが、そんなに辛くなくて、ナンと言うインドのパンもとても美味しかったです。
カレーは16世紀頃インドでスパイス料理の中でカリと言われ、イギリスに渡りカリールとなり日本には幕末から明治にカレーとして伝わった様です。
コックさんも店員さんもインド人らしかったが、妻が聞くとネパールから来たとのこと、にこやかで愛想が良く、また行きたいと思いました。

明日、ホスピスへ

2009-06-10 | Weblog
  明日、弟はホスピスに入る事になりました。

ホスピス(緩和ケア)とは、ラテン語で「温かく迎える」という意味だそうです。
末期がんの人など治癒不可能で、治療の手立てがなくなった人が入るところです。生ける限り人間らしく、痛みなく快適に過ごす事ができるように、医師、看護師、栄養師、ソーシャルワーカーなど専門家が協力してチームを作り、患者と家族をケアしてくれる所です。
病院からホスピスへ…は、いよいよという事で周囲の者も葛藤がありましたが、苦しまないようにはこの道しかないと納得しました。

弟は今週月曜日に1時間ほど外出し、職場である新聞社に行って挨拶を済ませて来ました。
今日は1時間でも家に帰りたかったのですが、吐き気があり帰れませんでした。

読書が趣味の弟は体調がいい時は本屋さんで本を買って読んでいたようです。

弟だけではなく、私たちみんな一日一日が貴重な大切な日です。(shizuko)

     (写真:裏の紫陽花)


紫陽花の季節

2009-06-09 | Weblog
  今年ももうすぐ梅雨入り。
紫陽花がきれいな季節になりました。
数年前、母が鉢植えの紫陽花を持って来てくれて、花が終わったので裏に植えたら、色が青から濃いピンクに変わり、今年は30以上の花が咲いています。
以前は普通の紫陽花とがくあじさいくらいでしたが、今は色も形もたくさんの種類があります。
写真に掲げた紫陽花は1昨年、お向いさんから切り花でいただいたものを、観賞が終わったので、鉢にさしておいたらうまく根付いて、去年も今年もきれいに咲いてくれました。
これはほとんど白ですが、隣にはほんのり薄いピンクのも咲いています。(shizuko)

     

斉真流舞踊公演

2009-06-07 | Weblog
  昨日6月6日は、3年に1度の「斉真流舞踊公演」が取手市民会館で開かれました。
1000人以上入る会館が満席で、加えてパイプ椅子を法的に許される限界の100席出すという大盛況振りでした。
会主の斉真千舟先生ご夫妻は、私たちのとても大切な友人で、私たちの結婚式では証人(仲人)をして下さった方です。
ご主人は中学校の先生をしていらっしゃいましたが、今は教会の牧師をされています。

今回も招待されて他の友人達と行ってきました。
主人はこの日、武道の高校の関東大会が横浜の県立武道館である為、早朝5時より出かけ、生徒達の送りをすませ、午前中に帰宅して私達と一緒に行く事が出来ました。
出てくるだけでかわいい2歳くらいの子供から、師範の先生方まで、100人近い方々が出演されました。(もっと多かったかも)
内容も日本舞踊をはじめ、韓国・香港・インドなどのアジア舞踊、スペインのフラメンコにバレエ、ジャズダンス、演歌に、ゴスペル…と休憩をはさんで3時間半があっという間でした。
これだけの振り付け、指導は本当に大変だったと思われます。
衣装もとても素敵でした。
帰りには、達成感に満たされて輝いた顔の皆様が送って下さいました。

私たちも久し振りに現実から離れて、楽しいひとときを過ごす事ができました。
   
*今日、主人は仕事で茨城県に行ったので、斉藤先生の利根キリスト教会の礼拝に出席できて喜んでいました。  (shizuko)


  
 (写真:斉真流家元、斉真千舟先生こと斉藤真由美さん)

ターミナルケア

2009-06-05 | Weblog
  今週から弟のターミナルケアについて具体的な相談が始まっています。
入院中の病院では「介護相談」という所で、「在宅ケア」にする場合の手順や内容について教えてくださいました。
自宅で最期を迎えたい人、いや病院がいいという人、いろいろでどちらにしても本人の意思を尊重してあげられるシステムが出来上がっています。

弟の場合は、残された期間の半分を在宅で、残りをホスピスで迎えたいとの事でしたが、どうもそんな猶予があるかどうか…。
体力的に家に帰るのは難しいかもしれません。
そうなっても、せめて2~3時間の外出で帰れたらいいなと思っています。

ホスピスは賛育会病院(キリスト教の精神で運営されている所)に入院予約をしました。
混んでいる様子でしたが、来週受入れが可能である返事をいただきました。

水曜日午後、弟と二人だけで話す機会があり「情緒的なことは置いといて、事務的に話すよ」と「エンディングノート」を渡し、具体的なアレコレについて考え、決めるように言って来ました。
今の状況では本人が思っているほど時間がない事も。
弟は私に「はっきり言ってくれる方がありがたい。つらい役目をさせて申し訳ない」と言いました。
神様が共におられて助けて下さるのでなければ、どうしてこんなに冷静でいられるでしょう。
(お風呂では思いっきり泣いていますが)
多くの友人たちの陰のお祈りに支えられていることを心から感じています。

今日、具体的なことを詰める予定でしたが、まだゆっくり一人で考えたい事があるという電話があり、来週にしました。

私も改めて今から「エンディングノート」(もしもの時の準備ノート)を書いておかなければと思います。
いざ、となってから切り出すのは大変なことです。 (shizuko)


アラスカ

2009-06-01 | Weblog
 30代の頃 始めての海外旅行で単独アメリカに行った時、アラスカのアンカレッジ空港で給油の為3時間の時間調整があった。
空港の外には出られなかったが、遠くの雪景色の尖った山々を見てその美しい景観に驚いた事が思い出される。
この度アメリカの姉の次男が子供二人と共に学校の修学旅行を兼ねて日本に来た。5年前にやはり娘のケイリンと来た事がある。
ジェシーは元アメリカ空軍(少佐)のパイロットで、湾岸戦争にも参加しその後航空大学の教授をカナダでしていた。
そこでアラスカ出身の女性と知り合い結婚し、現在アラスカのアンカレッジに住み公務員として生活をしている。

1867年、ロシア領土だったアラスカはスペインによる植民地政策の動きと、ロシア国内の財政事情や内紛でイギリスの手に落ちる恐れがあった為、ロシアはアメリカに9000万ドルで明け渡した。
1959年正式に49番目のアメリカの州となったという歴史がある。

現在のアラスカはデナリとカトマイ国立公園が有名でケナイ半島、グレイシャー湾等の自然の美しさが観光客を惹きつけるそうだ。
昨夜、帰宅して妻との話題でいつか「オーロラを見てみたいねー!」
今は仕事があるので無理だが、いずれ行きたいと思っている。
  
  (写真:浅草ビューホテルのロビー喫茶にてジェシーと子供達と)