大空を見上げて

日頃感じていること

青春を謳歌

2024-04-29 | Weblog
 

    4年前5月の連休に箱根へ  富士とツツジに感動の想い出。   

   最高の素敵な御夫婦(大谷翔平と真美子夫人)
連休は何処も出かける予定はないのでメジャーをTVにて野球観戦。

幼い子供時代を思い出しました。
私の子供時代、月一回集会所のような所で土曜の夕方幻灯会(フイルムの紙芝居)があり近所の子供達皆とても楽しみであった。
私の記憶では10歳(小3)の頃,初めて映画という物を観たと思う。
学校の課外授業で映画館へニュースと密林王ターザンを観にいった。
ターザン役のワイズミィラーは格好よく、私達ガキ仲間は山へ行き木にロープを垂らして「あ、あぁ~あ~」と叫びながらターザンごっこで夢中で遊び回ったことを思い出す。
30mの陸橋から水源地へ飛び込、急斜面を駆け降りたり、屋根から屋根へ飛び移ったり、現代の親が見たら肝をつぶす事を平気でやっていたような気がする。その後
若き青春を自衛隊空挺レンジャー隊員として過ごした!
               
46【空挺レンジャー】日本を守る!伝説の空挺隊員。Airborne Ranger Protect Japan! Legendary Airborne Brigade
 



 
船橋、空挺団選手優勝。左端私。真中作間レンジャー教官  
   

 
コメント (2)
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明治生まれの父母に感謝

2024-04-16 | Weblog

ロシアがウクライナに侵略、悲惨な戦争が始まり三年となる。
又、イスラエルとガザ及び世界の紛争が絶え間なく難民問題。
人間の心の罪が問題だろうか!歴史は繰り返す。残念!
両軍と民間人に何万人と死者、粉々に破壊された街、民家等観て
太平洋戦争の78年前の敗戦国の日本軍300万人、民間人を50万死者、日本全国焼野原を思い出す。
世界や日本の過去の歴史は残念だが戦争や紛争の連続である。
私達は生まれてくる時代や環境を自分で選べない。
もの心ついた時は自然にその時代その環境の中にいるのである。
父は明治37年1月生まれで公務員、母は明治40年生まれだった。
私は太平洋戦争開戦時昭和16年、日本が真珠湾攻撃をした年に外地で生まれた。その4年後敗戦、母、三女姉、弟が亡くなった。父と長女、次女四人で何回も危険を脱しながら引揚者となりボロボロになりながら家財をすべて捨ててリュック一つで、屋根まで一杯の満員の汽車に何日も揺られ釜山へ。
そして何日も港で待たされ引き揚げ船で長崎の港に帰国した。

私は月刊誌を拝読して感じる事だが、現在の私達日本人の平和は我々の日本民族又先輩達のお蔭だと思う。
世界の歴史を見ると戦いの連続であり勝者が歴史を作ると言われている。
人間として戦争は絶対いけないと思うが、白人の植民地政策の歴史を見ると東南アジア(シンガポール、インドネシア、ビルマ、タイ、香港、マカオ,フイリッピン)等日本近海は次々とが英国やアメリカ、スペイン、オランダ、ポルトガル等の長期植民地なった歴史がある。
黄色人種で白人にまともに抵抗して戦ったのは日本民族だけである。
人それぞれいろいろ意見があるだろうが大東亜戦争で日本は白人達の植民地政策を打破した事は間違いないと思う。
それがきっかけで戦後植民地だったほとんどの国が独立国となった。
明治時代大国ロシアは、この四季豊かな美しき日本列島や朝鮮半島を植民地にと日露大戦争がおこり我々の祖父達は戦い大きな犠牲と命をかけて日本を守ってくれた。
その後34年間日本は朝鮮半島を日本の植民地の様にしてしまったが、その頃の朝鮮は自国を自衛する能力がなく仮に日本でなくてもロシア又中国の植民地になったただろう!いわれている。
日本民族という誇りをもって人生を送り、又我が民族の先輩達のお蔭で今のこの幸せな生活があると今日も深く感謝している。          
遠き昭和の...           歌,小林旭  
(後期高齢者になったが、一生懸命生きた昭和が懐かしい!)

A Iより感想
「明治生まれの父母に感謝」というブログ記事を読みました。この詩は、私たちが持つ心の中のアルバムを通じて、過去の瞬間を大切に思い出し、感謝することの美しさを讃えています1。
記事の中で、戦争や紛争の連続について触れられていますね。世界の歴史を見ると、戦いが続いてきたことは事実です。しかし、私たちは生まれてくる時代や環境を自分で選べないことを理解し、その時代の中で生きることが大切です。
あなたの父は明治37年1月生まれで公務員、母は明治40年生まれだったそうですね。そして、あなたは太平洋戦争開戦時の昭和16年に外地で生まれました。戦争の影響を受けながらも、引揚者として家族と共に日本に帰国されたこと、その経験は貴重であり、感謝すべきことです。
また、日本民族としての誇りを持ち、先輩たちのおかげで今の平和な生活があることを感じていること、素晴らしいですね。私たちは過去の歴史から学び、未来に向かって進んでいくことが大切です。2
この詩を通じて、感謝の気持ちを大切にし、心のアルバムに美しい瞬間を刻んでいきましょう。」
         
コメント (2)
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安全運転(指差し確認)

2024-04-01 | Weblog

今日の新聞にも高齢者の交通事項のニュースが並んで載っている。

この前の夜、日曜日で午後8時なのにまだ仕事をしている自動車教習所の側を走行していると、妻に「懐かしいでしょう、又やりたい?」と言われ「うーん 正直言って二度とやりたくない」と答えた。
私は東京で自動車学校の教官を38年間勤めました。
運転を指導教習する仕事は男女年齢を問わずのさまざまな教習生が相手です。
責任ある安全運転を教え込まなくてはと大変な事もいっぱいありました。
   
ドライビングスクールを64歳で定年後、電鉄本社
の社長の運転士として私は高級車新クラウンハイブリットで東京都心、神奈川、千葉、埼玉副都心を日々安全運転に心がけ6年間勤務しました。
教官時代と違って私にとって最高に楽しく快適な仕事でした。
社長も素晴らしい人格者でいろいろ70歳迄人生経験をさせていただきました。
その後、10年間アルバイトでバス運転を無事故で現役引退。
 免許業務に携わるためには必要な資格がたくさんあり、東京都免許本部長賞や優良教習指導賞,又自動二輪指導インストラクタ―賞など頂きながら取れた時には満足感と責任ある仕事ができる幸もあるが、実際の教習には苦もあります。
私が教えた教習生との思い出は数えきれませんがいつも心より安全運転を願っています。
永年ドライバー教育に関係していたが、私も最早後期高齢者!常に初心に帰り危険予測、指さし確認、注意力の配分等ハンドルを握る責任と心構えに注意をしています。

 
 

  
AIの感想
「記事の中で、2024年4月1日に投稿された「安全運転(指確認)」というエントリーがあります。このエントリーでは、高齢者の交通事項について触れられています。fight-mさんは、自動車学校の教官として38年間勤め、さまざまな教習生に責任ある安全運転を教え込んできました。また、定年後には高級車の運転士としても活躍されたそうです。
指さし確認は、運転中に周囲を確認する際に大切なポイントです。特に高齢者の方々には、この習慣を忘れずに実践していただきたいと思います。安全運転は誰もが心がけるべきことであり、私も初心に帰り指さし確認を大切にし心にゆとりを持って注意しています。」

10年前までは毎年、楽しみ武道館に観に行って感動していました。
 
コロナで4年間中止だった世界一の自衛隊音楽まつり
     「日本武道館」
コメント (2)
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