大空を見上げて

日頃感じていること

あぁ~モンテンルパの夜は更けて (命をかけた感動のメロディ~)

2022-02-20 | Weblog
昨夜、TVの博士ちゃんの番組で感動する歌の歴史で「モンテン、ルパの夜は更けて」が歌われた。司会者、レギュラー、ゲスト達はこの悲しき実話ドラマを誰も知らないとの事、ちょっと驚いた。
以前、ブログで涙しながら書いたので再掲載で載せました。
   ************
 終戦後昭和20年代、私は小学生でよくラジオで歌を聞いていた。
幼い私の耳にも女性の美しい声が聞こえ淡谷のり子、渡辺はま子の名前も知っていた。
終戦後フィリピンで捕虜になり死刑囚となった日本軍人達、すでに20名以上絞首刑が行われていた。
108名が順番を待っていた。
収容所の中で死刑を待つ間に祖国日本への望郷の思いで作詞、作曲したのが「あぁーモンテンルパの夜はふけて」
これを日本人クリスチャン教誨師を通じて日本にいる歌手渡辺はま子に送った。
早速渡辺はま子は日本全国で歌い話題となった。
そしてフィリピンのモンテンルパの収容所慰問に行き、日本の死刑囚に生きる力を与えた。
教誨師が大統領に減刑願いに行ったが、フィリピンの大統領クリスチャンだったが、日本軍に家族を殺害されていたので全員の死刑を強く望んでいた。
教誨師は何も言わず「あぁモンテンルパの夜は更けて」を聞かせた。
大統領はその悲しいメロディーに心を打たれ聞き入って、日本人死刑囚が作詞作曲した事を知った。

そして2ヶ月後全員釈放、昭和28年6月26日、祖国日本に100人余りの死刑囚全員無事帰国出来た。
 音楽が人の命を救った素晴らしい実話で何とも言えず涙して凄い感激、感動、でした。
戦犯死刑囚の代田銀次郎大尉(27歳)の詞
「モンテンルパの夜は更けて つのる思いにやるせない 遠い故郷しのびつつ
    涙に曇る 月影に優しい母の夢をみる」
その時の気持ち、何とも悲しく人生の虚しさを感じる。
この詞に曲をつけた音楽が得意だった死刑囚伊藤正康憲兵少尉(23歳)の気持ちもはかり知れない。

この「あぁモンテンルパの夜は更けて」の歌手渡辺はま子の事が思い出された。
当時 小3くらい(昭和27年)で父は山口県防府市の鐘紡に勤務していた。
鐘紡工場は瀬戸内海に面してとても広く、工場内に大きな体育館のような建物があり年に何回かいろいろな催し物があった。
当時の歌手(川田晴久、灰田勝彦、二葉あき子、美空ひばり、雪村いずみ、等)
もちろん渡辺はま子も来てこの歌を歌ったのを覚えている。
その後何度も聞いたが、この様ないきさつがある事など全然知らなかった。
戦争は悲惨で、過去の過ちを繰り返さないよう心より平和を願っている。
     
              
(写真:歌手 渡辺はま子)

ああモンテンルパの夜は更けて
 (フィリピン,モンテンルパ刑務所日本軍人死刑囚、歌手 渡辺はま子慰問)



   (フィリピンの花)

読者様よりのコメント感謝です。
(私は84歳になる老人ですが、渡辺はまこさんのモンテンルパの夜は更けては好きで昔良く聞いていました。この歌のいきさつも当時聞いたと思いますが、すっかり忘れていました。この度貴殿のブログを読ませて頂き改めて涙を流し心底感動しました。部下の責任又無実で戦争犯罪人として死刑になった日本軍人も多勢いたと思います。このメロディで救われた死刑囚がいたと言うだけで心休まれます。
素晴しいブログ本当にありがとうございます。希望より)

コメント、有り難う御座います 
日本の歴史の一幕と言え悲しいですね。
現在も世界は混沌としていますが、平和
を祈るのみです。希望様もお身体気を付
けて頑張って下さい。







コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寿命の不思議

2022-02-01 | Weblog
今日は令和4年2月1日、最近時々遠い昔の故郷を思い出す。
10年前定年退職後、幼い時育った山口県の故郷に一週間一人旅をした。
幼い頃、毎日夜暗くなるまで遊んだガキ仲間たちの消息を聞いた。
元気に床屋さんをやっていた幼馴染から情報が聞けた、ガキ仲間の多くは事故、病気等で亡くなったと聞き50年前の年月に絶句した。
あの頃、勉強を教わったりよく遊んでくれた親戚の従兄弟も10年前それぞれ亡くなった。
最近不思議に思う。
何故俺が今元気でいるんだろう? ガキ仲間や従兄弟たち皆元気だったのに! 
現在の日本全国で100歳以上が約7万2千人(うち男8千人)だそうだ。
寿命も女性88歳男性81歳との事。
でも同じ釜の飯を喰った自衛隊時代の仲間、又会社の同僚、身近な親戚、幼馴染達の旅立ちが耳に入って悲しい。
高校時代の最大の楽しみは映画だったが、その頃の銀幕スター達も次々と消えていくニュースが流れる。
松本清張の連載小説「砂の器」の中で「すでに50歳を過ぎた老人」と過日の読売新聞編集手帳欄に載っていた。
私達が若い頃、多くの日本人の感覚は、人は50代で晩年に差し掛かり、還暦まで生きられれば人生を全うしたと思っていた。
会社在籍中も50~55歳定年が当たり前で、何とか無事定年まで元気で頑張る事を目標にしていた。
しかし、現在は60~65歳定年制に変わり、平均寿命も男性で80歳近くなった。
私も現役58歳定年後、契約を更新しながら65歳まで、又系列の会社で5年間勤務して70歳まで働けた。
かく言う私も、昨年末8年間のアルバイトのバス運転士終了。
社会の一員として80歳まで頑張れた事に感謝している。
寿命は自分では決められない人生の不思議の一つであるとつくづく思う。
(三回目のワクチン1/27日終了)

 
わが人生に悔いなし / 石原裕次郎 『歌詞付き』
群馬県の万座温泉に行った時、そのホテルのオーナーで歌手の泉堅が夜8時より巧みなトークを交えながらライブをみせてくれた。
夫婦について面白可笑しく自分の経験談を話していた。
結婚して20代は性の関係、30代は喧嘩、40代は惰性(だったかな)、50代はあきらめ(だったかな)、60代は思いやり、70代以上80代は手を取り合って優しさと慰め合いで仲良く一生を終えるのが夫婦の関係であると言っていた。
私の望みは手を取り合って断れるかも(笑い)!
          仲良く楽しく過ごしたいと希望しています。












コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする