大空を見上げて

日頃感じていること

古きアルバム

2013-01-31 | Weblog
  年齢になって、妻といろいろ要らない物を整理しようとしていたら、古いアルバムを見つけました。
その中に、私の20~30代にかけて空手道に夢中になってた頃の写真が出てきました。
私が空手を始めたのは中学生1年生の時です。
貧しくて、野球のグローブなどは買ってもらえず、空手なら簡単に始めることができたのです。
週1回、警察道場に柔道も習いに行ってましたが、空手は近所の大学生のお兄さんが上手で週に2回くらい教えてもらっていまた。
                                          
その後、自衛隊に入ってから、本格的に空手を始め、4段まで取りました。
全日本選手権にも出場し3位になりました。
東南アジア、ジャカルタ、マレーシアに日本チームとして空手着に日の丸つけて遠征もしました。
米$が360円の時代、海外なんて夢の又夢でしたのですごく嬉しかったのを思い出します。
その頃の懐かしい写真です。

                                   
          
          (夢中で練習24歳頃)       (東南アジア遠征28歳の時)      (銃剣道5段、40代~の頃)

                                                    
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姉夫婦、クルージングへ

2013-01-26 | Weblog
  私には国際結婚した9歳年上の姉がいます。
姉は日本にいた時、九州の大分別府で観光バスのバスガイドしていて、当時USA空軍の兵隊だった義兄と知り合いました。
結婚後可愛い女の子が生まれ3人で渡米しました。
言葉の問題や風習、考え方、感情表現などにかなり戸惑い、その後男の子が二人生まれ子育てに追われ異国での苦労は言葉ではいい表せないくらい大変だったようです。

それから半世紀、子供達はそれぞれ独立して長女は軍総司令官の筆頭秘書官でラスベカス郊外在住、長男は北アメリカで広大な牧場経営、二男はアラスカで幹部公務員です。

現在、カリフォルニア州サクラメント郊外で、環境も素晴らしい、数個の雄大なゴルフ場を有している住宅地ローズ・ビルで夫婦のんびり豊かに暮らしています。
             
          (姉宅の全景及び室内&一昨年11月渡米した時妻と義兄、同昼寝中の私)

  
姉夫婦は日本はもちろん世界中旅行していますがこの3~4年はクルージングが多いようです。
  優しい主人の義兄ハワードのお蔭で静かでのんびり老後を過ごしています。
   写真は現在旅行の真っ最中幸せそうな姉を見て弟としてとても嬉しいです。

            

       (豪華船の素敵な船内、正装している姉夫婦&客室)

 
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ならぬものはならんのじゃ

2013-01-22 | Weblog
  今年から始まった大河ドラマ「八重のさくら」を夫婦で楽しみ見ている。
まだ二回目で會津藩の子供教育日新館の什の掟「ならぬものはならぬ」と8つの格言を唱和。

    一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
    一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
    一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
    一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
     一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
     一、戸外で物を食べてはなりませぬ
     一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
    「ならぬことはならぬものです」
 
 私をこのドラマを見ながら、幼い時より亡父に言われた事を思い出していた。
明治生まれの父はよく私にこの「什の掟」と同じような事を言っていた。

   會津藩に限らず日本国の歴史の中で、その時代武士道に準じての人間教育だったのだと思う。

    ちなみに私には二つぐらいは守れたかな!
         いやいや残念ながらどれもこれも難しかったように思う。

                                  
  
                  (優勝チームの剣豪達 私 前列右から3番目)
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習志野の大空に花が咲く

2013-01-18 | Weblog
  
  平成25年新春、関東千葉習志野で晴天の中、大空に落下傘降下の花が咲いた。
防衛大臣、野田元総理列席の下観客3万人の前で空挺隊員のべ500人が次々と降下した。
 
               
                                        (現役空挺幹部隊員と共に) 

 
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今朝、感動した話

2013-01-11 | Weblog
 先週、教会の牧師先生のメッセージの中で神の愛は永遠だけど、人間の愛は特に夫婦の愛は限度があると言われました。
確かに男女が知り合い婚約、結婚し新婚時代の気持ちでいれるのはせいぜい3~5年で、あとはお互いの忍耐、努力が必要と思います。
今日、妻からちょっとこれ読んで見てと言われとても感動したので、少し長いですが載せてみました。


「仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。
僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。
妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。

ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。
僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」

その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!」

その夜、その口論のあと
僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。
それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!

深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は
僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。
でも
自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。

承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だ。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、
これでとうとう現実化したのだ。

その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。
夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。

朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。
彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。
でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。
その理由は明確だった。
僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため
できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。

それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。
「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。
そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして
毎朝、彼女が仕事へ行くときに
彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。

僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。

僕は「ジェーン」にこのことを話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと
ジェーンは嘲るように笑った。

僕が「離婚」を切り出して以来
僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。
なので
彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目
僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。

それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。
「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」
その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。
寝室からリビングへ、そして玄関口へと
僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら
心はひどく動揺していた。

妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。
僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。

2日目の朝
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。
こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。

妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ
髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。
その一瞬、僕は自問した。「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。

4日目の朝
彼女を抱き上げたとき、ふと
かつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は
この女性は
僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。

5日目、そして6日目の朝
その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。

日にちが経つにつれ
妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと
僕は単純にそう考えていた。

ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。
鏡のまえで何着も何着も試着して
それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は「はあ〜っ」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」

その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく
彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!

愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで
彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。

僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。

そこに息子がやってきた。
「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」

息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることが
すでに大切な日常の一場面となっているようだった。

妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと
彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!

僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ
寝室から、リビング、そして玄関口へと
彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。

彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら
僕は例えようのない悲しみを覚えていた。

そして最後の朝、

妻を抱き上げたとき
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。

僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」

そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で
自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて
それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し
オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!

      

ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。
彼女を見た瞬間、
僕は思わず口にしていた。

「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」

「ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ
そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」

僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」

「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」

「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め
ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。

僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」

『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』

その日の夕方、僕は
妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて
家についた。

はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!


出迎えてくれた妻は

ベッドで冷たくなっていた。。。。

何も知らなかった。
僕は、何も知らなかったのだ。

妻が「ガン」であったことさえも。

ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、
妻が
この数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに
気付きさえしなかったのだ!

妻は分かっていたのだ。自分がもうじき死ぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は
僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!
自分亡き後、最愛の息子から
僕が責められることがないように。

毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。
そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって
僕はまぎれもなく
「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく
「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!

僕はどうしても皆さんにお伝えしたかった。
日々のささやかな幸せ、、、それが人生で何よりも大切であるということを。
幸せは
大きな家、土地、高価な車、または銀行の残高、、、
そんなものの中にあるのではないということを。

もしも今、あなたの傍らにかけがえのない伴侶がいるのなら
毎日がどんなに忙しくても
どうか、相手が大切だと伝える小さなジェスチャーを
心を通わせる時間を
大切にしていっていただきたいと思います。」
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今年の初夢

2013-01-10 | Weblog
  2013年1月10日午前10時、今私は我が家の二階の私の部屋でコーヒーを飲みながら新聞に目を通してゆったりした時間を過ごしている。
東南の窓から晴天の青空が見え、それぞれ日差しが射し込んで暖かい。
すぐ側で妻も静かに聖書を読んでいる。

昨夜は23時過ぎに就寝。久しぶりに懐かしい父の夢を見た。
幼い頃の父子と二人だけの生活で5~7歳頃の出来事で、朝目が覚めても床の中でしばらく想い出に耽っていた。
母は33歳で(私4歳)で死亡、終戦と共に外地から引き揚げて来て、父と私は山口へ、姉達は遠く九州大分へ。
父は夜勤だったので5歳の頃から一人で夜過ごしていた。
「勝義、死んだ母ちゃんが、いつもそばにいるから寂しくないぞ。小さい電気をつけたまま、百まで数えて寝るんだ、それでも眠れなかったらもう1回百まで数えるんだ」と言って、心配そうに出かけて行った。
私は言われるまま百まで数えて寝た。

今でも真っ暗では眠れず、妻から明るくて眠れない…といつも言われる。
昨年から足元灯を1時間だけタイマーをかけて寝ている。

今度の13日午後9時、TBSTV日曜ドラマ「とんび」が始まる。
3歳で母を亡くした子と父の物語。
亡妻と子供への愛の父親像、我が父に被せてじっくり見たいと思う。

     (空挺隊員なって始めての里帰り) 
(父56歳、私19歳の頃 山口県徳山市駅前写真館にて)

*午後13時45分からフィットネスクラブでアクアビクスの為夫婦で行ってきた。
  帰りに業務スーパーによって買い物を済ませ夕方4時帰宅。
  平凡な1日の生活に幸せ感を感じている。

             

(最近の櫂生「孫1年3カ月」の写真)

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新年を迎えて

2013-01-04 | Weblog
 新年明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いします。

 今年は巳年で私は昭和16年生まれの年男である。
正月を迎えて三日間旅行して来た。        

帰宅して妻のパソコンが不調で故障と判明。
修理に2~3週間かかるとの事。
妻にとって日々の生活でパソコンは必需品となっていて、がっかりしている。
いろんなデータが全部消えてしまうらしく、困っている。
だから私のこのノートパソコンをしばらく貸すことにした。

それを口実にしばらくブログは休みます。

 年男なのでいい年になると願っています。
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