大空を見上げて

日頃感じていること

兄の様ないとこ達

2009-02-26 | Weblog
 幼い時 当時自転車で2時間位の隣町に大好きないとこがいた。
父の弟の子供で私と六つ違いの兼冶さんと(昭和10年生まれ)と二つ違い(昭和14年生まれ)の道生さんで私のことを勝ちゃん勝ちゃんと言って弟のように可愛がってくれた。
私は兼ちゃん、道ちゃんと言いながらよく家に遊びに行った。
夏休みは近くの佐波川という大きな川で泳いだり、魚釣り又村祭りや大きな天神祭りに毎年連れて行って貰った。
又山に栗拾いや毛利庭園に花見にと楽しい思い出がいっぱいで本当の兄のようで大好きだった。
兼ちゃんには私が中二の時、英語と数学の家庭教師をしてもらった。

その後叔父さんの仕事(裁判官)の都合で大阪に転勤、いとこ達とも別れる事になった。
私は別れの寂しさにとても落胆し悲しんだ事が思い出される。
いとこ達は皆優秀で兼ちゃんは国立の大阪大学を出て三和銀行へ、道ちゃんは同志社大学から山口銀行にそれぞれ就職し銀行員になった。
それから月日が流れ、道ちゃんは10年前59歳で亡くなった。
兼ちゃんは7年前64歳で亡くなった。
私は驚き絶句し気持ちの動揺が治まらずやり切れない日々を過ごした。
大好きな兄のようないとこ達がもうこの世にいない!信じたくなかった。
幼い時三人でよく遊んだ出来事が走馬灯の様に今でも思い出される。
優秀ないとこ達が早々に逝って、私のようなどうでもいい凡才が今も生きているのが不思議だなぁーと思う。

人間の運命なんて誰も分からない。いとこ達が早々に逝ってしまい私が最後まで生きてるなんて!
兼ちゃんのお墓は奈良の生駒にあり、道ちゃんのお墓は山口の防府の右田にある。以前両方にお墓参りに行ってきた。
幼い頃いとこ達が私を弟のように可愛がってくれたお礼を言いながら、まだ生かして頂いている事に申し訳ない気持ちと幼い時お世話になった感謝の気持ちで「有難う御座います」と言ってお花を供えた。
    (写真:いとこ達との思い出の防府の毛利庭園)
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おくりびと

2009-02-24 | Weblog
 昨日のニュースで日本作品がアカデミー外国語映画賞を始めて受賞したとの事。
この度受賞した「おくりびと」の映画は昨年9月に夫婦で観に行き人間の生死を考える心に残る映画でした。
死者の納棺を職業に選んだ主人公(俳優:本木雅弘)の演技が見事で、日本人の死生観や人の絆を描いた映像の力が宗教や文化を越えて人の心を掴んだのだなーと思います。
日本人の心の最深部の表現が世界中の人に通じる感動を与えての素晴らしい受賞だと思います。

私も今年68歳と年を重ねています。
時々フッと今迄亡くなった肉親や友人、知人達の顔が頭に浮かび又その人達との生前のいろいろな事を思い出しながら懐かしく時をすごす事があります。
この「おくりびと」の納棺の場面は他人事ではなく自分の事の様に観ていました。
私はブログに宗教的な事はなるべく書かないようにしています。
私はやがて旅立つ時は「人生よありがとう」言いながら喜びと感謝しながら笑って旅立てたらいいなぁーと思っています。
         
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世界ラン展

2009-02-23 | Weblog
  日本武道館内で食事を済ませ、13時頃武道館を後にして妻と東京ドームへ「世界ラン展」を見に行きました。
土曜日で最終日の前日なのですごい人です。
私はドームはプロ野球観戦で何度かきていますが、その他の催し物で来たのは初めてです。
グランドいっぱいに素晴らしいランの花が見事に展示してあり、あまりに見事な花に驚きその美しさにため息をつきながら写真を撮りました。
試合後の疲れもこの見事なランの花に圧倒され快い気持ちとなってドームの観覧席に座り、お茶を飲みながら30分ぐらいゆっくり花を見ていました。
午後3時頃ドームを後にお台場の景色を高速道路から眺めながら帰宅しました。
とても有意義な一日でした。
    
   (写真:世界ラン展の一部)
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最後の試合に悔いなし

2009-02-23 | Weblog
 全国の武道家にとって日本武道館で選手として試合ができる事は最高の名誉な事です。
高校野球の選手が甲子園、ラクビー選手が花園又秩父宮などでの試合をする事が夢で憧れなのと同じです。
私は最後の試合を日本武道館で精一杯頑張れた事に本当に嬉しく感謝しています。
すぐ側で妻の力強い応援で全力を尽くし試合ができた事に悔いはありません。
今後は監督や後輩の指導又健康保持の為のんびり練習したいと思います。
   
    (写真:試合直後二階席から妻が撮る)
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主人の試合

2009-02-21 | Weblog
  第8回全日本短剣道大会が日本武道館で行われました。

朝7時、すでに気合の入っている鉄人M氏から「さぁ行くぞー!」と電話が入りました。
主人は選手として大会に出場するのは最後だと言うので私も応援に行く事にしました。
8時半に日本武道館に着くと、気合の入った掛け声と若い熱気が立ち上り、多くの選手達が練習に励んでいました。
9時に開会式が始まり、以後プログラムにのっとって試合は進められていきました。
主人が出場する50歳以上の選手30名はベテランの指導者ばかりです。

1回戦の主人の相手は山口県代表の段位も称号も上の方、もちろんずっと若いようでした。
主人とM氏は最高齢者で勝負はともかく(勝つに越した事はないですけど)、ケガをせず堂々と戦ってくれたらそれで良し!と思っていました。
選手は試合直前に背中に赤と白のハチマキのしるしを付けます。
主人も友達の鉄人も白でした。
私は正面の一番良く見える所に場所を変え、目の前の特等席です。

お互いに礼をして審判の「始めッ」の声で主人の試合が始まりました。
お互いに激しく打ち合っています。
あらッ、審判の白い旗があがってる! えっほんと?でも3本勝負だから後1本 今度は赤、そして何とまた白が…。
そうです! 勝ったのです!すごいです。

いよいよ次に鉄人M氏の試合が始まりました。
相手は愛知県代表の50代選手です。
鉄人M氏は…あっ、審判の赤い旗が上がった、次は白、そしてまた白、やったぁ!
そうです、二人とも1回戦を突破したのです。

若い人たちに混じって快挙でした。
鉄人M氏は第1回目の全日本短剣道大会の団体戦で何と準優勝だったそうです。

2回戦は二人とも敗退しましたが、満足と充実感のみなぎったほんとに良い顔をしていました。
お疲れ様でした。

私たちは帰りに東京ドームで開催されている「世界らん展」を見て来ました。
                              (shizuko記)

        (写真:試合後武道館の前で)
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完成!

2009-02-20 | Weblog
  前回アメリカに行った時、義姉から大きく編んだ編み物を頂いて来ました。
夏は冷房よけに、冬はひざ掛けやちょっと横になる時に、と重宝して使っていますが、私も大きい物を編んでみたくなり、昨年の秋口から編み始めました。
編んでは休み、休んでは編み、ついに完成しました。
ベッドカバーくらいの大きさです。
今週16日に81歳になった母のプレゼントにしたいと思います。
母はまだ痛みが取れず、坐薬を使っても眠れない日もあり、まだまだ歩く事も出来ません。
整形外科の先生によると腰の骨の11番目が脊柱間狭窄症で足の神経にあたって痛みが出ているとのことです。
私も掃除、洗濯、炊事、病院の付き添いにと行ける限り行って手伝っていますが、今まで何もしなった父が買い物に行ったり、食器を洗ったりいろいろ手伝うようになった事は大きな進歩です。
実家の弟夫婦、近くにいる姉夫婦、私達、みんなで助け合い何とかこの時を乗り越えようと頑張っています。 
   (久しぶりにshizuko記)
   
       (写真:完成した編み物)



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正直な人

2009-02-18 | Weblog
 昨夜 混沌としていた中川財務相の進退問題だったが辞任の臨時ニュースを聞いた。
世界に発信された日本の金融担当大臣の酒による醜態会見で当然だと思った。
麻生政権の末期を感じ早急にしっかりした安心出来る内閣が必要だと思う。
アメリカのオバマ政権のクリントン国務長官が来日、美人で知性にあふれ笑顔の中に優しさと真の強さを感じ弁護士の資格をも持つ魅力的な女性政治家である。
日本の政治家と比べるとあまりにも対照的でがっかりしてしまう。
経済危機、外交(海賊問題、北朝鮮)等難問が山積で何処の政権でもいいから解決に頑張ってほしいと思う。
  
 もう5~6年前の事だけど早朝4時ごろ電話で起こされた。
私が出ると男性の声で私の名字のお宅ですかとの事。
次に妻の名前を尋ねてサイフを落としませんでしたかと質問された。
妻に聞くと最初は落としてないと言っていたが確かめると「あっ、ないッ」との事。
私は何度も電話でお礼を言いながらその方の御自宅まで行くと返事した。
その日の午前中夫婦で行くと拾ってくれた御主人は留守で、お腹の大きい奥様がいらして私達は何度もお礼を言い、感謝の品物と出産のお祝いも兼ねてお礼を差し上げて帰宅した。
奥様は日本人だけどご主人はアジア系外国人との事、生活は決して裕福ではないようで新聞配達の仕事中に妻のサイフを拾ったとのこと。

サイフにはクレジットカードや銀行のカード、現金、免許証などがあり本当に助かった。
私は妻にいい人に拾ってもらって良かったなぁーと言うと、本当に…と言いながら安心した様子だった。
しかし、相手から言われるまで失くした事に気がつかないなんて本当にのんきな妻でつい「バカ!しっかりしろ」と言ってしまった。
妻は「はい!すみません」と素直に反省していた。

しかし 今の世知辛い時代本当に心豊かな親切な人がいるのに感心した。
日本も見捨てたもんじゃないなぁーと嬉しく思った。
       (写真:美しき二月の花「梅」)

      
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マイケルの極旨ステーキ

2009-02-16 | Weblog
 姉(USA在住)の長女ドーナーの御主人はマイケルと言います。
マイケルは元米空軍の最新鋭のFファントムのジェットパイロット(中佐)で、1994年の湾岸戦争の時はイラクへ第一戦の飛行隊長として参戦した勇士です。
数年前に引退して現在ラスべガスの郊外にドーナーと住んでいます。
現在ドーナーは空軍に勤務してマイケルは家事すべてをやっています。
マイケルは幼い時から家事や料理が好きで、家庭科の教師だった母親からいろいろ教わっていて、料理が趣味で現役時代も暇をみては自分で作っていたそうです。
以前、私達がサクラメントの姉宅に訪問した時マイケルたちも来ていていろいろ作ってくれました。
特に今でも忘れられないのは「ハワイアンステーキ」です。
牛肉をパイナップルジュースやブラウンシュガーに漬け込んで味をしっかり染みこませ炭火で焼くのです。
物凄く美味しかったです。
その時私は何枚も食べてお腹いっぱいになり、テーブルの大皿にまだ何枚も残っていたステーキが今でも気になるぐらいです。
その後サンフランシスコのお店でステーキを食べましたが味が合わなく半分残してしまいました。
マイケルのハワイアンステーキは最高です。また食べたい!
   
  (写真:北米の長男宅で姉がマイケル仕込みのハワイアンステーキを焼く)
    
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バレンタインデー

2009-02-14 | Weblog
 今日2月14日バレンタインデーですが、若い人と違って私にはあまり関係ない事です。
昔自動車学校の教官時代(30代)の頃、教習生の女性から10個を越えるチョコレートを貰った思い出がありますが遠い昔の話です。
(妻はハンコがほしかったのでしょう、と笑います)

何故この様な習慣ができたのか調べて見ました
欧州の歴史でローマ帝国時代、兵士の士気が下がるという事で当時女性とのつき合いを禁止していましたが、キリスト教司祭のバレンタインが秘密裏にて密かに協力して結婚させたそうです。
それがばれてバレンタイン司祭は処刑されたのが今日の2月14日との事です。
その後世界各地で男女の誓いの日として2月14日に祝われるようになったそうです。

日本も昭和40年代頃から盛んになり、チョコレートを女性から男性に渡すことが多くだんだん輪が広がっていったようです。
会社内やお世話になった人にあげる「義理チョコ」、「友チョコ」、自分自身の為の「マイチョコ」、今では男性から女性への「逆チョコ」等があるそうです。

もう私にはあまり関係ないと思っていましたが、今日夕方妻からチョコレートを貰いました。
普段チョコレートはあまり食べないので、妻は最近くれませんでした。
予想もしていなかったので苦笑いをしながら甘いギリチョコを有難く食べました。

 チョコレートの思い出をもう一つ
終戦当時昭和22年頃進駐軍がお菓子を持って慰問に来た。
当時私は6歳くらいで、山口県防府市の鐘紡の社宅に住んでいた。
連絡があって私達子供は集会所で待っていると5~6台でアメリカの兵隊さん達がジープで来た。
あまりにも大きい大人で目が青く鼻が高く最初はとても恐かったような記憶があるが、ニコニコして言葉は分からないが優しく抱き上げられ模型飛行機や車又お菓子や野球のグローブやバット等もらった。
そして草野球などしながら遊んだ事が思い出される。
その時チョコレートやガムを始めて食べた。
その時のチョコレートの美味しいさは今でも忘れられず、アメリカ人はこんなうまい物を食べているんだ、これじゃ日本も戦争に負けるのは仕方がないやと子供心にも思った事を覚えている。
これが生まれて始めてチョコレートを食べた懐かしい思い出である。
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老いると言う事は

2009-02-09 | Weblog

 土曜日朝、妻の実家の母が昨夜より腰が激痛で一睡もできないと連絡がありすぐ実家(東京江戸川区)に駆けつけました。
昨年からいろいろ痛い所があり、腰は今年1月に又痛めて医者には行っていました。
痛み止めの強い薬を飲んでもなかなか効果が表れていないようです。
妻も掃除、洗濯など助けに行っていました。
何とか痛みをとってもらいたいと小岩のI整形外科病院に行きましたが診察の結果、腰の骨が老化で一部つぶれて狭くなっていて薬を飲みながら安静にするようにとの事でした。
今は家の中を歩くのもやっとという状態です。
治ることはないにしても痛みが治まるまでしばらくかかりそうです。


 先日武道の理事長(80歳)が、昨年の暮れ何にもしないのにあばら骨が4本折れ、それから咳ををしたらまた1本折れたと聞きました。

老いていくと言う事はこういう事なんだと思いながら帰宅しました。

TVで国会中継で麻生総理が民主党の郵政問題の質問に対しての答弁をしている場面を見ていました。
小泉内閣時代、麻生さんは総務大臣で郵政民営化で選挙して大勝利した内閣でした。
麻生総理は答弁で「私は本当は郵政民営化反対だったが仕方なく賛成した」と答えていたのにがっかりしながら聞いていました。
今迄いろいろ漢字の読み違いなど批判はありましたが、そんなのは人間誰にもあり問題ない、むしろそんな事でとやかく言われ大変だなぁーと気の毒に思っていました。
しかし今回のこのような責任逃れの答えにやはり麻生財閥のお金持ちの坊ちゃんで政治家としては出来上がってる階段を楽に上がって来た人なのかと思いました。
その時そうだったかも知れないが、それを口にだしてはいけない事だと思います。そろそろ解散して選挙で民主党に一回任せてみたら!と思うようになりました。    (正直言って人材不足で民主党では不安もありますが)

 
    
     

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