大空を見上げて

日頃感じていること

銃剣道対剣道(異種試合)

2017-07-27 | Weblog

        

現在はK1とか柔道対空手など異種試合がTVで放映されていますが、剣道、銃剣道、弓道、薙刀等は礼儀を重んじる日本古来の武道なので、現役の選手の異種競技等は時代がどう変わっても無理なような気がします。

銃剣道は日本古来の武道で昔(10世紀)からあり、その後槍術と言って歴史は古く宝蔵院流槍術と上泉伊勢守の新陰流の技法を根幹としています。
明治になって剣術は剣道に、柔術は柔道、唐手は空手道に、槍術,は銃剣術に名前が変わり銃剣術は戦後銃剣道と改め国体の種目となりました。

剣道対銃剣道の試合は1925年(大正12年)に1回明治神宮で天覧試合が行われたようです。

当時最高に名のある武道家が、日本全国から集まり代表がそれぞれ19名ずつに別れで剣道対銃剣道の異種の賢覧試合があり、12-7で銃剣道が勝ったそうです。しかし、その後、双方にしこりが残りこのような試合は武道の道に反するということで、二度としないと決めたそうです。
日本の武道の目的は、自分自身に勝つ為の精神修行で、異種試合などはしない事が暗黙の了解です。

しかし数年前日本武道館で銃剣道と剣道の試合を見る事が出来ました。

本来、武道は異種試合はやらないのだが、現役を引退された先生方で行われた。
お互いに剣道界、銃剣道界では有名な先生方で、若い頃は全日本で優勝の経験もある剣豪で3人ずつで行われた。
審判は剣道から2名、銃剣道から1名で、審判長は剣道界からの先生だった。
私は以前よりとても興味があり、剣道の剣の早さは0,6秒、銃剣道の突きの速さは0,45秒と聞いていた。
私は観覧席の一番前で真剣に見させて頂いた。
お互いに凄まじい気合で構え、睨み合い、勝負は早かった。
結果は2-0、1引き分けで銃剣道が勝った。
試合後お互いの先生方は正座して挨拶し笑顔で握手しておられた。
見ていてとても気持ちが良かった。
今度はぜひ現役の銃剣道と剣道の日本一同志の試合を見たいなぁーと思いますが神聖な日本武道の歴史上、又各連盟の事情で実現は無理でしょう。
       

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裁判員を経験して

2017-07-20 | Weblog

今日の読売新聞の気流の欄。

67歳の男性の投稿で裁判員を経験をして見たい、心待ちしているのに一向に声がかからない。

たとえ裁判員候補に選ばれても最終的に裁判員になるのはほんの一部 で宝くじのようなものらしいと書いてあった。 

 

  実は 3年前私に最高裁判所より26年度の裁判員候補の通知が来ました。

その年候補者として東京の最高裁判所より書留で、千葉の裁判所に来るようにと日にち指定で連絡があり行きました。

当日裁判所に行くと選ばれた候補の人達が90名いました。

必要書類や面接など終えて半日で帰宅しましたが、この中から6名が裁判員として決まるとの事。

その後千葉地方裁判所より書留で私に本格的に裁判員に指名の連絡が来ました。

それから二週間、裁判員として本格的に日本国民の代表として一生懸命勤めました。

私の父は戦前20年間刑務官で、私が生まれた時は刑務所の所長でした。
終戦直前退官、戦後帰国後は会社員になりました。
叔父は戦前朝鮮で検事や判事をしていて、戦後は山口、島根、大阪の地方裁判所で裁判官をやっていました。
従兄弟たちがいましたので、幼い頃よく官舎に遊びに行った思い出があります。
こういう環境ですので、父は人の道に外れた事が大嫌いで、「正しく、強く、朗らかに」といつも言われ、嘘を言ったり悪い事したら尻を力いっぱい叩かれ厳しく育てられました。
不思議な事に頭や顔は一回も叩かれませんでした。
本当に尊敬できる素晴らしい愛情に満ちた父親でした。

裁判の内容は秘密厳守なので、書けませんし誰にも口外していません。

親族にも話していませんが一つだけ!我々裁判員が判決文を作成したのを

裁判長と裁判官二人で修正して完成するですが、殆どそのまま決定したのには驚きました。

司法に関係した親族がいましたので、裁判員をさせていただいたことは私の人生の中でも素晴らしい経験ができたと感謝しています。

 

                



              瀬戸内海の海 「 我がふるさと(山口県)角島大橋」
 

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歳を重ねる夏

2017-07-15 | Weblog

もうすぐ又誕生日かと思うと!とても寂しい気持ちになる。

私はもう何年も携帯電話をバンドに通して腰に着けている。

そのカバー傷んで近くではい売っていないので取り寄せた。

マナーにしていてもバイブで身体に感じとても便利である。

この前電車の中で気がついたのだが、腰につけているのはだいたい年配者で若い人にはいないなぁーと思った。
自分が年寄り臭く、格好悪くダサイと感じた。
妻に笑われた。あなた、自分を幾つと思っているの?
時々自分が若いつもりでいて年を感じてないことがある。
いや、内心自分の年を認めたくない、という気持ちがあるのかもしれない。
妻は言う。常に自分の年齢を自覚して(良い意味で)無理をしないで年相応の行動及び社会的態度に注意しなさいと。
うるさいなぁ、そんな事分かっている!とやり返しながらまだ年齢に気持ちがついていかない自分がいる事は確かである。
ダンスの知人との会話、「奥様はお元気ですか?」と聞くと「二年前亡くなりました。」と。

私は何とも言えず「大変失礼しました。」 「今孫の男の子(大学生)と住んでいます。」 との事。  

仕事一筋で妻には迷惑ばかりでしたと寂しそう。 

私はこのダンス初心者の男性に一生懸命ステップを指導。   

*長年連れ添った妻にこんな俺で良かったのかと!申し訳ないと思いつつ秋岡秀治の詩に浸って聴いています。


黒あげは/秋岡秀治 songby 新二郎 写真編集:nobu

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猛暑の昼下がり

2017-07-10 | Weblog

今日は7月10日週始め関東地方37度今年一番、梅雨の合間の猛暑!

朝8時、私は起床予定もなく、妻は身内の病気見舞い出掛けた。

一人静かに読書や♪、又TVニュースを観て時を過ごす。

歳を重ねると生きる意味を考え心の寂しさを感じながら時々自分自身を見つめながら思う。

政治、芸術、音楽、スポーツ等、一部活躍して名を残す人もいるでしょう。

それはそれなりに意味があると思うが、それも一世紀又二世紀過ぎれば、ほんの一部を残して

ほとんどがその時代の一般庶民として歴史には残らないでしょう。

亡き父が私によく言った「人間として強く、正しく、朗らかに生きよ」と !

私もその事を心がけて、残りの日々楽しさを見つけ人生悔いなく過ごしたいと思います。

 

 

 

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