大空を見上げて

日頃感じていること

ジェシーと息子達

2009-05-31 | Weblog
  今日は礼拝の後、夕方から浅草ビューホテルへ行って来ました。
アラスカから主人の甥のジェシーと二人の息子、ジェレッド君とブライス君が修学旅行で日本に来ているためです。
箱根、熱海、鳥羽、伊勢、伊賀、奈良、京都、宮島、広島、東京…と周り、昨日から東京に滞在しています。
今日の午前中は東京タワーを見てきたそうです。
府中にいる弟夫婦も来て、一緒に葵丸進で美味しいてんぷら定食を食べ、雷門や仲見世を散歩しながらホテルに戻り、お茶して帰りました。
ジェレッド君(14歳)は広島が良かったと言っていました。
ブライス君(11歳)は伊賀の忍者が気に入ったようです。
将来は何になりたいか?と聞きましたら、お兄ちゃんはパイロットで、弟はさかなや海の中の生き物を研究する学者になりたいとのことです。
父親のジェシーも元パイロットでした。
今からしっかり目標をもち、学びながら達成のために努力していく事は素敵だなと
思いました。
勉強のほかにも、スキューバダイビングやフィッシング、サッカー、スポーツライフルなどなどたくさんのことを楽しんでいるようです。
日本の子どもは、勉強に塾、ゲーム…?
人生の楽しみ方を小さいうちから身に付けて、自然の中でのびのびと育っている様子に、いろんな意味で豊かさを感じました。 
 (あぁ、こんな時いつも思うのは英語力の乏しさです。もっと自由に何でも話したいと。) (shizuko)


         (写真:雷門の前で)



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お医者さんの勉強?

2009-05-28 | Weblog
  今日は朝から雨の一日でした。
弟の長男の結婚式は11月中旬ですが、元気なうちに写真だけは撮っておきたいという家族の切なる願いで、今日式場で撮って来ました。
「お嫁さん」のウェディングドレス姿はほんとにきれいで素敵でした。
今日はママの幼い頃の赤いチャイナ服を着て喜んでいる結衣ちゃんもさすがお嫁さんにはかないません。
まぶしそうに「○子オネエサン」を見ていました。

病院からは担当のお医者さまがわざわざ式場まで付いて来て下さいました。
恐縮して辞退する弟に主任の先生は「○本先生もいい勉強になりますから…」と言ってくださいました。
この先生はまだ26歳の若い先生で、大阪に、絵手紙が好きでいつも送って下さるお母様がいらっしゃるとのこと。
「雨男なので今日の雨は私のせいです。ごめんなさい!」なんて。
荷物を持ってくださったり、ドアを開けてくださったり、結衣ちゃんとも遊んでくださったり…本当にお世話になりました。
この○本先生は、これからどんどん経験を積まれて、きっと素晴らしいお医者様になるだろうなぁと思いました。

しかし、結婚式の前に写真だけ先に撮る人って結構いるんですね。  (shizuko)
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蕗の葉

2009-05-26 | Weblog
   昨日主人が葉っぱのついた蕗をいただいてきました。
蕗は時々買って煮物にしますが、葉っぱは買ったことがありませんので、ネットで調べてじゃこと炒めてみようとやってみました。

葉っぱは細かく切って水で何回も洗ってからごま油で炒め、しんなりしたらお湯を入れてゆでて、その後お湯を捨てて味を見ながらお醤油とじゃこを入れて炒める…
ちょうどじゃこもたくさんあったのでさっそく作ってみたら、ほんのり蕗の苦味も残りいい味でした。
昨年はふきのとうをいただいたので、蕗味噌を作ったことを思い出しました。
こういう自然の物を自分で作っていただくことはうれしく、ご飯も進みそうです。
   (shizuko)
      (写真:じゃこと炒めた蕗の葉)
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お相撲さん

2009-05-25 | Weblog
 昨日は大相撲夏場所千秋楽で、モンゴル出身の大関日馬富士(はるまふじ)が白鵬と優勝争いの結果、優勝を飾った。
今回の場所は後半レベルが高い内容で、とても面白かった。
白馬富士は非常に足腰が強く技も切れいつも注目していた。

私は自動車学校の教官時代、お相撲さんを何人も指導を担当した。
東京の葛飾にあった学校は蔵前にも近く、生徒にお相撲さんが昔から非常に多かった。
現在も大関として頑張っている関取お二人も、路上教習や高速教習等担当した時のことがいろいろ思い出される。
例えば路上教習中、歩行者の女学生の一団が有名なお相撲さんなので気が付き、名前を呼びながら手を振ってくれる。
しかし、関取は教習中なので意識しながらも真直ぐ前を見たまま、私が「関取 皆手を振っているよ、応えてあげなよ」と言うと「教官いいですか、すみません。」と言いながら笑顔で手を振り返したこともあった。
お相撲さんは皆運転の覚えが早く、勘がよく、大きい身体なのに柔らかくて確認、判断力がしっかりしていたと懐かしく思い出される。

 一昨日の土曜日は私が行っている教会の伝道師の先生が今度正式な牧師となられたので、私たちのグループでささやかなお食事会を開き、お祝いをした。
東大を卒業され、牧師になる前は長い間会社の社長をされた先生ですが、とても謙虚で神と教会に仕えておられます。感謝!

    
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希望

2009-05-22 | Weblog
  先日、弟の孫の結衣ちゃんが大活躍している事を書きました。
この度はこの子に弟か妹が12月に誕生することがわかりました。
今姪はつわりと戦いながら子育てにも頑張っていますが、赤ちゃんも元気に育っているようです。
11月には息子の結婚式、翌月には2人目の孫が誕生、この二つの大きな喜びが弟の生きる力、免疫力のアップにつながってくれるようにと期待しています。

  写真は先日の鴨川シーワールドでの結衣ちゃん
 「自分で言うのもナンだけど ワタシってピンクが似合うのよね!」と
  コメントをつけてあげました。   (shizuko)
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辛い日々

2009-05-20 | Weblog
  今日は晴天に恵まれ素晴らしい天気です。
昨日仕事で午後千葉市内にいたら妻から携帯メールがきた。 
先生より本人ぬきで家族に話があると連絡があり、妻と義妹が聞くとの事。
私は「了解です」と返信メールしたがとても心配で次の連絡を待っていた。
夕方6時30分頃連絡あり、今実家にいてみんな集まっているので先生のお話しを伝えているとの事。
担当医師は本人が51歳と若いので癌の進みが予想以上に速く「あまり間がない」との話だった。
今日は本人に伝えるので家族も立ち会って欲しいとの事、妻は今日も朝から病院に出かけた。
とても 辛い役目だが、気持ちをしっかり持ってただ頑張ってほしいと祈る事しか出来ない。
   
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友人と弟のこと

2009-05-18 | Weblog
先日 現役時代の会社の友人に久しぶりに懐かしく電話をした。
奥様が出られ、以前から顔馴染みだったので挨拶を交わした。
「ちょっと待って下さい。」奥様が御主人の名前を呼び、彼の声も電話口に小さく聞こえてきたが暫く待ってもなかなか出てこない。
3~4分待ってたが何か変だ、どうも彼が病気の様な感じがする。
その内又奥様が出られ「すみません 今 ちょっと」と何も理由を言わないので聞いてはまずいと思い、分かりました又改めてと言って電話を切った。
そう言えば今年の年賀状もかなり遅れてきた。
もしかしたら脳梗塞かなんかで不自由な身体なのだろうか?
元々身体の弱い人ではあったが。
それを昔の仲間に知られたくないのだろうか・・・

私達の友人は年齢が大体60も半ばで健康を害している人、何とかまだ働いている人、働きたくても職がなかなかない人、また現役時代のプライドを捨てきれない人等いろいろな事情があり、交流も難しいものがあると思った。
30代、40代、50代は元気であたりまえで簡単に誰でも連絡できたが、60代は今までとは全然違い何とも言えない寂しさを感じている。
これが 老いて行くと言う世代なのか・・・


 昨日は教会の帰りに妻の弟の見舞いに(都立某病院)行ってきました。
5月の連休あけに2泊3日の両親家族共々の房総半島旅行で弟の病気も守られて無事に終わり再度抗がん剤を投与の為11日より入院している。
週末より通院にて痛みを薬でコントロールの予定だったが、血小板の数値が下がりもう少し様子を見ながらという事で退院出来ませんでした。
木曜日、妻は病院に行き、その時弟は変わりなく2時間位二人でいろいろな事を話したそうです。
妻は献身的なクリスチャンで弟は宗教が大嫌いな様ですが、でも姉弟の仲ですので何でも遠慮なくザックバランに話すことが出来たようです。

土曜日の早朝、弟は突然予想も出来ない背中に猛烈な激痛と疼痛があったとの事。顔色もよくなく当然寝たきりでトイレも難しく起きる事は出来ません。
妻はベットの側で時々目を覚ます弟にお祈りしながら、もし神様が弟の息を引き取られたら真直ぐ光の中をイエス様の方に御国(天国)に向かって歩いて行きなさい!と言っていました。
弟は黙って聞いていました。
痛い時はイエス様の名を呼びなさい!と言い残して、弟が眠ったので病院を後にしました。
帰りの車中、妻は涙を耐えながら長く生きる、癒される事は当然の願いだが、それより平安な気持ちで苦しまないでイエス様の天国行ける様祈りたいと言っていました。
私は何とも悲しくやり切れない気持ちですが、しっかりと妻を支えて頑張っていきたいと思います。     
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ついて来るかーい♪過去のある俺に・・・

2009-05-15 | Weblog
 昨夜 習志野文化ホールでの「小林旭コンサート」に行った。
遠い昔の高校生の頃の青春時代に戻り感無量の時間を過ごした。
その頃映画は数少ない娯楽の中で最大の楽しみであった。
田舎の防府(山口県)にも東映、日活、新東宝,大映等6ヶ所位映画館があった。
時代劇もよく見に行ったが現代劇はやはり日活の石原裕次郎、小林旭が人気があった。
私はマイトガイ小林旭が悪を懲らしめ、その時々出会ったマドンナと別れ一人寂しくギターを持って去って行き、二度と戻らない渡り鳥の哀愁を演じたスクリーンに夢中になった事が思い出された。
昨夜は「ギターを持った渡り鳥」はじめ「旭の~節」を25曲連続に聞かせてくれた。
その他 小林旭の人生のトークも交えて「さすらい、北帰行、熱き心、ごめんね」等しんみりと聞き2時間楽しませてくれた。
はじめ仕方なく付き合ってくれた妻も帰宅時は、プロとしてのステージやトーク又声量の素晴らしさに感激し、経験豊かな人生感がとても良かったと言っていた。
ハンドルを握りながら小林旭の「ついて来るかーい♪過去のある俺に♪…」を口ずさんだら妻に「考えさせて!」と言われながら帰宅した。

床について旭のトークを思い出した。
人生には一生懸命真面目にやっていても歯車が噛み合わない時がある。
永い人生なかなかうまくいかない!これも又人生・・・
裕ちゃん、ひばりもそして恩師の作詞、作曲家の先生方も皆死んだ。
いい奴ほど早く死にどうでもいい俺がまだ生きている。
仕方がない残りの人生悔いがないよう元気で頑張って生きよう!
小林旭の言葉には、人には言えないひばりとの離婚や事業に失敗して莫大な借金等いろいろな苦労がうかがえる。
事業も映画の監督して立ち上げ14億円の借金も数年前完済したと聞いた事がある
昭和13年生まれの小林旭も今70歳との事。
俳優と言う表舞台の人生を歩んだが日活の商品だったとも言っていた。
ある書物で読んだ事があるが、美空ひばりとの結婚は籍が入っておらず又離婚は本意ではなく、第三者によって引き裂かれたそうだ。
何とも言えぬ状態で旭の「熱い心」の歌はその時の気持ちを表したと聞いた事がある。
私は人それぞれの人生を感じながら頷き静かに深い眠りについた。
     
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千代紙と人間

2009-05-13 | Weblog
  教会では月に2回、水曜日にお祈り会がありますが、今日はお祈り会の後、毎月訪問しているKさんのお宅にお邪魔しました。
奥様は都合で教会には来られませんが、私たちが訪問する事をとても喜んで下さいます。
考え方がいつも前向きで、プラス思考で、訪問した私たちが励まされています。
「人間大好き!」とおっしゃる通り、明るくおおらかな方です。
今日も「人間は千代紙といっしょでいろいろな柄があってみんな違うけど、みんなきれいよね。」
「人間みんな良いところがあるのだから、そこを認めて伸ばしてあげたらいいのよね。」と。

この方のお母様も子供達を叱ったことが一度もないとのこと、またお母様が怒った顔を見たことがないとも。
ご自分もお子さん達を叱った事がないとおっしゃっていました。
アメリカでの生活が長く、日本のように型にはめるのではなく、個性を伸ばして育ててあげたそうです。
「怒ることは疲れるし毒が出るでしょ? そんなのもったいない!」

ほんとにそうですね。
「朱と交われば赤くなる」…これからも訪問のたびにプラス思考を学びたいと思いました。
 感謝! 感謝!  (shizuko)
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父の散髪

2009-05-11 | Weblog
 世間には器用な人、不器用な人がいる。
私の幼い時、父はとても器用でよくいろいろな物を作ってくれた。
学校の夏休みの工作の宿題で行灯(アンドン)を作ってくれた事がある。
和紙を貼りそこに花の絵や鯉の滝登りの絵を書いて、ろうそくが灯ると絵が浮き上がるものだった。

先生は私が作った工作ではないと知りつつも優秀作品として、いつまでも教室に飾ってくれた。
その他に父は木彫りの動物(馬、うさぎ、虎等)を器用に作ってくれた。

父は自分の趣味で花壇や盆栽などをやり、又「お話し」が上手で、近所の子供達を私の家に集めて「賢い馬の話」や「馬鹿息子の話」等していた。

しかし父はバリカンで散髪することだけは物凄く下手だった。
縁側に新聞紙を敷いて、私の頭を丸坊主に刈っていくのだが、何回も喰い込み、引っ掛り、涙を出しながら「イタイ!イタタ!」の連続であった。
父は「男だろ、我慢しろ!」言いながら10本位まとめて抜かれた事も度々あった。
私はあまり良いバリカンではなかったためと思うが、父の散髪は恐怖で今でも痛さがよみがえる。
あの器用な父が何故散髪は超下手だったのか不思議である。


  一昨日行った鴨川シーワールドのシャチのショーは凄かった。
今迄いろいろな場所でイルカのショーやシャチのショーを見たが、この度の若いお姉さんとシャチとのコンビで水中より数mも空中に飛び上がり又自由自在に乗り回しながらのショーは凄い感動があった。
      (写真:鴨川シーワールドのシャチとお姉さん)
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