大空を見上げて

日頃感じていること

ストレス

2011-03-30 | Weblog
                  液状化した街角での河津桜(千葉)

先日、朝出勤すると会社の守衛さんが体調悪く顔色もさえなくベットに寝ていた。
何とか帰宅して奥様が付き添って病院に直行、点滴しながら一日入院して今日出勤した。
原因は震災の惨状を伝えるニュースの映像を何回も見聞きし、又余震などでストレスで嘔吐や下痢等体調不良になったとの事。
あまりにも突然の出来事でショックですべての国民が何らかの被災者ともいえる。
福島の農家の男性が原発事故の影響による野菜の出荷停止決定の翌日自殺という報道もあった。
荒んでくる気持ちを切り替えようとTVもチャンネルを民放に変えるとドラマやお笑いを普通通りやっているが、なぜか災害が気になってうわのそらで楽しめないのは私だけではないと思う。
  
5百年又千年に一回と言われる大地震(9,0)広大で強烈な大津波、関東での広範囲の液状現象にただただこんな事があるのか!と半信半疑で驚いている。
自分の人生の中でこの日本でこんな凄絶な事が起こるなんて想像もしていなかった。
死亡、行方不明2万8千名も突然大津波の犠牲になった。
突然の災難で自分自身がいきなり死ぬとは思っていなかった人達ばかりで気の毒でならないし人命の儚さにただ呆然とやり切れない気持ちで一杯である。
せめて我々は生き残った悲しみ一杯の被災者を思いやり、また心のケアが与えられるようにと願う。
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液状化

2011-03-29 | Weblog
      悲惨!秋津、香澄

この度の大地震で東京湾岸の埋立地で液状化現象の被害は膨大である。
私の居住する千葉県でも海の近くの埋め立て地のディズニー・ランドの舞浜、浦安、船橋、習志野、稲毛、千葉港等が被害に合っている。
私は以前習志野市にある公団秋津団地の賃貸に6年住んでいたが、埋め立てて50年以上経っているので液状化なんて関係ないと思っていた。
新興住宅地で道路も広く公園や駅も近く東京都心にも便利で、いろいろ設備も行届いて豪華な住宅も多く綺麗でとても住み心地がよかった。
我家も本当はこの辺に家を買って住みたいと思っていたが、経済的にも高くいろいろな事情で、少し田舎だが駅からも近い現在地に決めた。
住んで今年で17年目になるが結果的に良かったと今は思っている。

昨日以前住んでいた習志野市の秋津、香澄に行ってみたが液状化で道路は波打ち、戸建は傾き、何軒も何らかの被害があり電柱も左右に倒れ5階建て分譲団地、高層マンション等大きく地面がえぐられていた。
下水道の損壊が酷く完全に直るまで何ヶ月もかかるとの事。
被害にあった現在香澄に住んでいる人の話ではここを購入する時、不動産会社の営業の人から埋立地の地盤は長い年数で完全に固まっているので液状化の心配はまったくない、建築基準法でも問題ないと言われたとの事。
又海から遠く千葉県我孫子市の布佐で街のあちこちで液状が起こり家全体が1mも下がった150年前江戸、明治時代に近くの利根川を埋め立てたと記録が残っているとの事。
この度の情況を見て私は液状化現象は年数に関係なく被害と隣り合わせで特に住居は地盤のしっかりした場所に選ぶ事が第一だと改めて思った。

*楽しみしていた4月2日の全国空挺同志会50周年大会及び4月17日日本武道館での全日本銃剣道大会も千葉県代表の実業団監督して出場予定だったがこの度の大災害で中止となった。
戦後最大の日本の危機である。
東日本大震災での多くの被害者の人達の事を考えると当然で仕方がないと思う。
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弟とスカイツリー前で

2011-03-25 | Weblog
     

先日23日、仕事で京成電鉄本社へ行ったので、久し振りに東武電鉄系列の興業本社に勤務している弟に連絡し会って昼食を共にした。
この度の地震、津波の話題をしながらお互いの近況報告。
四つ違いの弟は東武電鉄系列の東武興業に勤務し現役時代は東京浅草や群馬県のゴルフ場や日光方面等のホテルの総支配人をしていた。
60歳の定年後同本社契約役員として頑張って働いている。
両親が亡くなって、なかなかお互いに忙しく会わなかったが変わりなく元気で安心した。

偶然お互いの会社の本社すぐ側にスカイツリーが出来る為。
*東武電鉄は少し移動してこの場所に8階建て本社ビルを新築。
 京成電鉄は本社ビルを千葉県市川市八幡に地下2階地上七階建て新ビルを建設中。
(写真:スカイツリーをバックに弟と、新ビル東武電鉄受付、移転間近の京成電鉄)
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ギネス防波堤無残

2011-03-21 | Weblog
釜石港                             
  
この度の大地震、大津波など始めての大災害を目のあたりにみて凄いショックを感じている。
以前「大地震」という映画で地震と津波をトリックながらものすごい勢いでビル、人、車を飲み込み押し流す場面の迫力を思い出した。
日本は地震国と言われているが、今迄毎年それなりの地震を経験していても生活の中であまり気にかけた事はなかった。
まだ今起こっている事が現実なのか!と信じられない。

数年前妻の両親と共にバスツアーで三陸海岸(岩手県~宮古~釜石~松島~気仙沼等)を旅行した。
昨夜、実家に行ったので義父とその時の旅行を懐かしく思い出しいろいろ語り合った。
観光地で有名な日本三景に入る松島や魚が美味しく、美しい景観で温泉などあの三陸海岸があとかたもなくなったなんて信じられない。

*明治29年に三陸海岸にM8.5の地震と津波が来て大被害を受けたとの事。
岩手県釜石は30年間かけて世界でも最強と言われる防波堤を作った。
専門の学者、大学教授達が研究を重ね、長さ2千m海上からの高さ8m厚さ20m海底に63m打ち込み、東京ドームの7倍のコンクリートで固めて一昨年完成、海外からも専門家達も見学にきてギネス記録に認定されたとの事。
又近く大船渡港にも湾口に同等に防波堤を作った。
しかし住民からも絶対の信頼を受けていたこの世界最強の防波堤も、この度の過去最大の地震(9,0)と大津波で無残にも倒壊。
釜石の港町は灰色の泥をかぶり人々は流され、ここだけで死者550名又不明2千名近くを出し漁船や家々はがれきの山となった。
 
*防波堤又町に幾つもの津波対策の為の丈夫な三階建待機所を確保してたが、そこに逃げ込んだ町民は殆ど飲み込まれ犠牲になったとの事。
すべてに携わった中の一人群馬大大学院の某教授はNHKのインタビューで、想像を絶する大災害に私のやってきた事は何だったんだろうか!呆然と嘆いていた。
地球上での自然災害は現代の人間の能力を結集しても防ぎきれず「どうしょうもないのだなー」と改めて恐怖を感じている。
 

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大停電の危機

2011-03-18 | Weblog
 海江田産業大臣石原都知事必死に両親を探す   

  海江田経済産業大臣の緊急会見で「予測不能な大規模停電の恐れがある 」又都知事はもしもその様な事が起きたら首都園の交通機関、信号は突然止まり大事故が起き各ビル、エレベーター、ドアーは開閉困難等、関東全域マヒ状態、パニックになり大変になるとの事で「各人節電のお願い」をしていた。

昨日 仕事茨城県の土浦へ行ったが、途中地震で屋根瓦や外壁が壊れた家が何十軒もあった。
ガソリンスタンドは殆んど閉鎖。開いているスタンドには何キロも並び4,5時間待ちだそうだ。
夕方帰社、社内は計画停電で真暗だった。
帰宅して早々の食事、風呂を済ませ節電と疲れですべての電気を消して8時に就寝し、ベッドでニュースを見ていたが、9時過ぎて前日の余震震度4と同じように、また震度4の千葉県沖震源地の地震がきた。
我が家は計画停電の1グループと2グループにかかっているが、まだ一度も停電したことがない。 
家の電話やネット、メールが不通になることが一日に何時間かあるだけだが、自主節電に励んでいる。
大震災で死者不明は2万6千人との事、又44万人の避難生活の人達の気持ちを考えるとなかなか寝付かれず気が滅入って眠りについたのは夜中だった。

 *避難所で2歳の男の子がシューズを履いて外に出ようとした。
  「何処に行くの?」と聞いたら「ジチンをタイホシュにいく!」
  小さな体に宿る勇気と正義感に力をもらい感動して泣けてきた。
            (現地情報にて)
  
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戦後最大の危機

2011-03-16 | Weblog
 計画停電で大混乱福島原子力発電所

日本国民は戦後65年順調に繁栄と発展し平和で文化的な生活していたが、東日本六県に跨る大震災又原発の放射能の危険性等国や政府が全力をあげて対応している。
又経済、流通、交通機関等の影響で計画停電や食物、燃料ガソリン不足など始めての経験で、国民は数え切れない余震が続く中不安な気持ちで戸惑っている。

アメリカ在住の親族や親戚から原発の事が一番心配と連絡があった。
いつでも誰でも避難してくるようにとメールや電話がある。
本当に戦後最大の危機だと思う。
現在の豊かな生活に甘んじていた私達は生活の突然のリズムの変化になかなか切り替えが出来ない。
この危機的状況をしっかり捉え落ち着いた行動を取らなければと夫婦で話している。
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東日本大震災「国難」

2011-03-14 | Weblog
  悲惨!絶句 何もない通勤困難




今起こっている現実が信じられない。
大地震、大津波この日本に本当にきた。
悲惨な現状をTVにて繰り返し観る。言葉もない!。

思想家ボルテールが物語りで描いた18世紀のリスボン大地震
津波と火災で都市を壊滅させ根こそぎ奪い去ったとある。
この凄惨な光景が、わが国東日本真っ只中、被害の全体像今もって掴めない。

*東京電力福島原発損傷の為、首都園に計画節電通勤電車に影響。
 何とか超満員電車でやっと出勤、道路大渋滞、流通不能の為各Gスタンド閉鎖。
 社員数人のみ出社。停電、断水予想されるので対応準備。
 コンビニやスーパーに食物はかなり少ない。
 地震で社員数人の家が液状化(浦安、市川)で傾き休みと連絡あり。
   
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懐かしき仲間

2011-03-11 | Weblog
 木更津飛行場にて父と成人式にて 山崎女史



先日、夜 帰宅すると自宅の電話に留守伝が入っていた。
何と昭和40年22歳の時に別れた青春時代の仲間からだった。
48年振りである。
私と故郷が同じ山口県防府市出身で大空に憧れ千葉習志野での空挺の同期生である。
その当時一番仲良く、大谷と言う名前で「谷!」彼は私を「松!」と呼び合っていた。
お互いに山口弁で「久しぶりじゃのう」「懐かしいのう」
私もなるべく方言で「元気にしちょったかね」「逢いたいのう」と答えた。

来る4月2日には全日本空挺同志会創立50周年記念大会が千葉習志野駐屯地で行われる。
当日は宇宙飛行士で元空挺隊員の娘さんの「山崎直子女史」を招いて記念式典、祝賀会食などがある。
又現役隊員の落下傘降下や高度3千からのスカイダイビング等もある。
夜はフローラ西船ホテルにてOBと現役との食事パーティ祝会などがある。
青春時代の懐かしい仲間が全国から集まるので楽しみである。

空挺時代、一緒に北海道から九州と全国を落下傘降下した「谷」も退官後、山口の田舎に引っ込んでから出不精で、関西であった娘の結婚式にも仕事(店)の都合で行かなかったらしい。
この度もその相談だった。
私が「歳じゃけん、思い出作りは大切じゃ、来にゃいけんよ、待っちょるけん。」
谷は「俺も行きたいと迷ちょった、カカァに行って来ればいいじゃと言われてのう」
そしてやっと来る事になった。
4月2日が「楽しみじゃのう!」と言い合いながら電話を切った。

        飛び出し塔訓練                 大空の仲間達「いくぞ!」「おぅ!」(同期の桜)
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バベルの塔

2011-03-02 | Weblog
   「バベルの塔」   「建設中のスカイツリー」 東京タワー   

東京墨田区錦糸町の近くに我が会社の京成電鉄本社がある。
この本社のすぐ側にやがて完成する東京スカイツリーがあり、昨日600mを超え中国の広州タワーを抜いて世界一となった。
土台から毎日の様に見ているが、日に日に伸びてゆく姿に人間の能力の偉大さと凄さを感じている。

旧約聖書に古代バビロンでレンガとアスファルトを以って、天に届く塔(バベルの塔)を作ろうとめざした人間に、神は互いに言葉を通じさせなくさせバベルの塔の建設は完成しなかったとある。
しかし各地に散った人間は今、言葉の違う国ごとに「世界一の塔」を競って建設している。
私は完成間近かな世界ーの東京スカイツリーを見て、いつも感じるのは天高く、をめざす人間の心は古代からそう変わらないのかも知れないのだなぁーと思う。
しかし、スカイツリーは天にまで上ろうとしたバベルの塔とは違い、目的はTVの電波塔である。

*私の地上の生活は限られ幾ばくもないが、これから200年~300年と東京スカイツリーは首都園の街を活気付け、観光名所として愛されることでしょう。

    (東京)      (東京)    (中国)  (東京)  
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