大空を見上げて

日頃感じていること

秋は何処に?

2010-10-29 | Weblog
 明治時代ワシントンのポトマック湖畔に桜の植樹を実現させた米女性旅行家シッドモアは、日本の秋はもっとも素晴らしく「陽光はまろやか、野山は壮麗に色ずき山腹はどこも草木は見事な色合い、世界でもまれな紅葉」と時の外国人に日本の秋景色魅了を伝えたとある。
しかし今年は10月としては記録的な寒気、北日本に雪を降らせ南からは次々と台風。
奄美群島は被害続出、関東も猛暑の夏からいきなり寒気な冬がきて秋がどこかにいった感じである。
最近仕事が忙しく、帰宅は毎日夜遅くなり、休日も仕事又国体祝勝会などで紅葉狩りは出来そうにない。
今朝、妻に「今年は無理なので来年まで待って!」と言うと「また約束違反か」と無視されたが仕方がない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野生の証明

2010-10-26 | Weblog
 2月の霜柱が立つ寒い朝6時、高らかに起床ラッパ♪がなり「起床、防具を着けて集合!」教官の声がなり響く。
校庭に出ると教官の前田曹長、笠井軍曹、菊森軍曹が防具をつけて待っている。
朝食前一時間、この時期各中隊総勢900名が校庭いっぱいに汗で湯気がたち気合が鳴り響く。
当時私は22歳。日本でも最強と言われた陸上自衛隊習志野第一空挺団普通科群の空挺隊員だった。
その日坪井中隊長より、アメリカ陸軍参謀長以下将校30名が来日、日本の精鋭部隊を見たいと防衛庁より連絡があり、本日視察に来るので空挺降下や空挺レンジャー訓練等を見るとの事。
我が群第3中隊は空挺体操と銃剣格闘術を担当すると伝達があった。
空挺体操とは筋肉隆々に、鍛えに鍛えた身体で上半身裸でする空挺独特の体操である。
銃剣格闘とは防具をつけるが銃剣道だけではなく空手、柔道、拳法、含み相手が完全攻撃力がなくなるまで戦う格闘で「野生の証明」と言われていた。
日頃から各中隊対抗試合があり、夕方風呂にいくと生傷だらけの隊員がよく見受けられた。
アメリカの参謀長のデッカー大将以下将校はその凄まじさに驚き米軍特殊部隊グリンベレーより凄いと感想をのべていたと中隊長より訓示があった。

その時の教官前田曹長は現在千葉県銃剣道連盟の理事長(82才)で今身体が不自由で千葉国体には私が担当して車椅子でお連れした。
日本武道館の正面玄関に日本歴代武道功労者の名前が永久に残るよう刻まれている中に前田政治九段の名前がある。
 
   (写真:空挺隊員の降下訓練「スカイダイバー」いくぞー! おぅ!)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恵まれし時

2010-10-25 | Weblog
 昨日の日曜日は教会で妻が第二礼拝でメッセージだった。
先日お逢いした茨城の守谷から旧友家族がわざわざ来てくれた。
妻の母、義妹を含め礼拝堂はいっぱいになった。

人間として生きる為必要な事を聖書通して約50分語った。
終了後「素晴らしかった。有難う御座います!」とお礼を言われていた。
妻は「いえいえ、私はダメなのですが、神さまが素晴らしいのです。」と盛んに言っていた。
妻は若い23才の時に突然OLを辞め神学校に3年間勉強し伝道師となった。
その後、いろいろな集会で頼まれ又ろう者にも手話でもメッセージを語っている。
残念だが私は同じ信仰をもっているが、それほど熱心ではないし性格的に無理であるので静かに見守り、邪魔しないで協力できる事があれば協力してきたし此れからも影ながら応援したいと思っている。

その後、遠くから来てくれた友人家族及びこちらの友人共々近くのレストランに昼食に行き楽しい交わりの時間をすごした。
私もとても気分が良くビック・サーロンステーキ400gを注文し平らげた。
 大役を果たした妻はとてもリラックスしていた。

   (写真:教会の近くのレストランで皆とちょっと豪華なランチ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会社生活最後の思い出

2010-10-21 | Weblog
 先日、都内の夜景を見ながら相談役が何か懐かしい音楽を聴きたいとの事、いつもBGMはクラシックの静かなメロディ流しているのだが、フランク永井の君恋し、菅原洋一の愛の賛歌、松尾和子の再会等のテープを流した。
バックミラーに、口ずさみ懐かしそうに目を瞑っている相談役の顔が写る。

相談役は昭和16年で3月生まれ。私は8月生まれで学年は一つ下だが、その頃の同世代の歌などを聴くと若い頃の話にお互いに自然に花が咲く。
私はドライビング・スクール教官を定年になってから系列の当建設会社社長ドライバーとして入社して5年になる。
運転手職業の経験がないので最初は要領が分からず、東京都内やナビにも慣れなくて何回も間違えその度に「いいですよ。いいですよ。」と優しく接してくれて本当に心より感謝している。
電鉄本社で鉄道車両本部長から筆頭取締りとトップ3本の指に入り、社員、役員からは雲の上の存在なのに私にはいつも敬語で何でも気楽に話され恐縮している。
懐かしい低音の魅力フランク永井「おまえに」を聴きながら、終戦直前中国北京から京都に引き揚てきた幼い時の思い出や学生時代、奥様との出会い等楽しいお話を聞かして頂いた。
私も朝鮮京城(現韓国ソウル)からの引揚者なのでお互いに懐かしく話しをさせていただいた。
又個人的にも妻と共に食事に招待され、休みに飛行機でいろんな所に何回も連れていただいた。
相談役は秋の京都は紅葉が素晴らしく綺麗だといつも話題にされる。
毎年「京都の紅葉を空から一緒にと!」残念ながら今年も忙しく時間の都合で実現しそうもない。
来年は相談役も私もこの会社去って行くが、社会のトップ歩んで来られた相談役と私のような者が縁あって予想も出来ない出会いに、会社生活最後の素晴らしい想いでと感謝している。
      
 (写真:相談役の故郷京都の紅葉の美しさは最高との事。来年妻と行きたい!)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松茸

2010-10-19 | Weblog
  今年の夏の猛烈な暑さで松茸が豊富に獲れて値段も安いとの事。

昨日新聞で知り、朝方松茸の夢で目が覚めた。

秋の味覚の松茸ご飯、焼き松茸を醤油で、松茸の汁等何故か無性に食べたい!

昨年は、はるばるアメリカのハワードと朝江姉から松茸が届き驚いたが、美味しく頂いた。

 今年は安いようなら妻と相談して買いに行ってみようかと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

困った性格

2010-10-18 | Weblog
 我が故郷山口(長州)は幕末志士が多く、私は特に高杉晋作を好きで尊敬しています。
同じく長州出身の初代総理大臣伊藤博文は、高杉晋作の事を「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し!」と評しており、又「面白きなき世を面白く」と辞世の句を残しています。

今迄の長い人生、自分自身の性格を分析すると人から何か頼まれたり、人の悩みや問題等の解決案が浮かべば、その場その日に誰にも相談せず考え(発すれば風雨の如し)、そしてすぐ行動(動けば雷電の如く)です。
一度しかない人生、何もない事はつまらないと常に考えており「面白くない日々を面白く」を実行しています。
しかし、今迄何度も失敗していつも妻に叱られ注意され呆れられています。
自分の気持ちの満足ではなく相手の気持ちをまずよく考えて行動しなさいと。
又、あなたが独りよがりに楽しい事だと思っても皆が同じではないと言われます。

でも70%の割合で成功する事も多く、分かっているのですが性格ですので注意されても又同じ事を繰り返してしまいます。
秋、紅葉の季節、温泉に行きたいと日時、行き先、ホテル勝手に決め電話して予約したくなるのを抑えて、まず妻と相談、都合を聞かなくちゃ!
今迄大分迷惑をかけているのでこれから気をつけようと思っていますが、まず無理でしょう!
 
    (紅葉狩りでもいくかぁー!とりあえず、相談)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定年後の男の孤独

2010-10-13 | Weblog
 筑波山の山頂から素晴らしい景色の関東平野を堪能しながら来年70歳となる自分を考えた。
来年で完全に仕事を辞めると決まっている。何故かとても不安である。
小説家渡辺淳一「狐舟」に男は悲しい、仕事又会社を中心に暮した結果退職後の居場所はどこにもなく、妻にばい菌のように扱われ地域は元々よそ者、群がることもできずあり余る時間に押しつぶされる孤立を深めていく、と読んだ事がある。

私も若い時から50年間ズーっと働き、初めてあじわう近々に来る無職の生活。
退職後の暮し方など本屋にたくさんあり何冊が目を通したが、気持ちに合うものはなく人それぞれの違いを感じあまり参考にならない。
企業や社会のルールで生きてきた者はそう簡単に地域やその他の場所に溶け込めむのは難しい。
女性と違って一般的に男は苦手である。
妻とは生涯の心の支えで仲良く暮したいが、よく聞く濡れ落ち葉の様になるのは男として武士道を重んじる私の本意ではない。
日々の生活もベッタリはいやだと思っている。
夫婦と言えども考え方も価値観も少しは違いあまり迷惑を掛けたくないと思う。

千葉国体を目標にきた武道の趣味も身体も限度だし徐々に手を引きたい思っている。
人それぞれなのでその時がきたらその時考えよう!
  聖書の御言葉に「先のことは思いわずらうな」とある。

  (写真:筑波山、男体山の頂上より関東平野 妻が撮る)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青空の良き日

2010-10-12 | Weblog
 昨日10月11日体育の日私達は青空のもと筑波山に行ってきました。
朝8時頃出発。高速を混雑もなく快適にドライブして10半に到着しました。
祭日で最高の天候なのでロープウェイの出発地のつつじヶ丘の駐車場は観光客でいっぱいでした。
私達も早速ロープウェイに乗り込んで頂上へ、女体山から男体と山歩きました。
男体山の休憩場所に白いレストランがあったので入り、屋上のベンチに座ると全体が30分位で一周し360度素晴らしい景色を眺められるようになっていました。
そこで昼食、妻の手作り弁当のおにぎりを食べゆったりとした時間をすごしました。
下山は私は足を鍛えたいので歩いて降りましたが岩場が多く急で、前日の雨で滑りやすく不覚にも2回も転んでしまい疲れました。(年を感じた!)
つつじヶ丘に京成ホテルがあり、昨年我が建設会社が建てた温泉風呂に入浴し露天風呂からは遠く関東平野の景色が一望できました。
夕方帰り道にある、何年もあっていない友人に連絡すると喜んでぜひ来てくれとの事。
茨城守谷で高速を下りて友人のお宅訪を訪問しました。
妻の先輩で昔は家族ぐるみで一緒に国内群馬の水上(宝川温泉)や海外旅行(フランスのパリ)等した思い出のあるとても親しい友達です。
妻は10年以上も逢っていなくて懐かしい再会でした。
又幼い時私が可愛がっていた娘さんも長年のアメリカ生活から帰国していて偶然会うことが出来ました。
何回も抱っこした思い出のあるあの可愛いサラちゃんが27歳のしっかりしたお嬢さんになっていました。
留学生活は永く中学から大学院までその後ソーシャル・ワーカーをしていたとのこと。
みんなで夕食を共にしながら5時間話も話しても尽きることなく、名残惜しく、帰宅は真夜中になりましたが、充実した素晴らしい良き日で感謝です。
   
  (写真:素敵な女性になっていたサラちゃんとご夫婦)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高校銃剣道

2010-10-12 | Weblog
 この度千葉国体にて四街道総合体育館で銃剣道競技が行われた。
地域住民は初めてこの試合を見た人も多く感想は「凄い迫力で驚いた」と言っていた。

明治の初期、日本古来の武道槍術が銃剣術変わり、先の大戦の敗戦で占領米軍から武道禁止令の時代が10年間あった。
剣道、柔道等の武道は7~8年で許可になったが、銃剣術は軍国日本、軍隊批判の象徴的な存在であるかのように扱われそれより5年位遅れた。
昭和33年頃日本武道として銃剣術を銃剣道と改正し全国自衛隊の正式武道訓練として開始された。
昭和48年に日本体育協会に、昭和51年に国民体育大会種目になり、昭和55年から全国高校生大会が始まった。
現在は各地で県大会等又全国大会は毎年8月に75チームが参加して日本武道館で盛大に行われている。
各地方は(九州、四国、東北、北海道等)高校の部活もあり盛んであるが、残念だが今迄東京、千葉も幾つかの高校で部活が始まるのだが自然消滅してしまう。
その中で今回の国体千葉代表高校選手は奇蹟的に優勝した。
我々指導者として本当に嬉しくこれからも後に続く少年剣士を願っている。


(写真:国体少年銃剣道千葉対宮城の試合:後方に役員として観戦している左側、私。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガッツ!空挺魂

2010-10-07 | Weblog

 ゆめ半島千葉国体で見事優勝を果たした千葉高校生チーム。
その時私は絶句し涙を抑える事ができなかった。
今迄日本武道館で行われた全国高校大会や国体で、千葉は銃剣道をやる子供は皆無であった。
5年前来る千葉国体に開催県は優先的に選手を出せるのに出場しないのは恥ずかしいと千葉県連は、全日本で4連覇し読売スポーツ大賞を授与された元自衛隊特殊部隊の空挺レンジャー教官二佐(中佐)で、現在会社員の銃剣道教士八段の野家氏に依頼した。
補助指導者として同元空挺の教士丸山七段と私松田教士七段が協力することになった。
当時房総の東金市でぶどう園を経営している小林氏(旧海軍出身)が自宅の隅に小さな道場を作り趣味で週1回小、中学生を数人教えていた。
千葉国体に出場させ入賞する事を目標に野家監督の指導が始まった。
自宅の習志野から35kmK(往復70km)を東金まで通い、最初は週2回~3回、19時~22時まで基本をしっかり教え込んだ。
現代の子供はあまり厳しくすると辞めてしまい何人か出入りがあったが、3年前国体要員の3人が決まった。
野家監督の本格的な試合技術、根性、攻撃力と野家空挺魂(汗をかく量が成果につながる)を信念に猛練習が始まった。
強豪高への練習試合の為遠くへ合宿遠征をくり返した。
九州熊本、四国(尽誠学園)、神奈川(陸上少年自衛隊)埼玉(航空少年自衛隊)新潟、北海道等優勝経験と伝統ある高校が他にも10校以上ある。
私は内心高校大会に一回も出たことがない千葉、レベルに格段に差がありとても入賞の8位以内も無理で出場してベストを尽くしてくれれば良いと思っていた。
しかし 試合前野家監督と少年チームの選手達は私に「優勝する!」と誓ってくれた。
いよいよ国体試合が始まった。
千葉は初戦昨年3位の宮城を3-0で快勝、後、次々と勝ち進み、準決勝で神奈川を、決勝で昨年の優勝チーム香川の尽誠学園を同じく3-0で下し見事優勝した。
野家監督の空挺魂を高校生選手達は完全に取得し受け継いだようだ。
監督を尊敬、信頼して猛暑の中厳しい猛稽古について来た千葉少年チームに心より本当におめでとう!と言いたい。    
      *監督、選手たちは10月16日千葉県森田知事に呼ばれてるそうだ。
        
            (写真:野家監督と我が家で)

 

                         現役時代 の 野家中佐  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする