大空を見上げて

日頃感じていること

目配り、気配り、心配り

2017-06-27 | Weblog

   75歳以上の高齢ドライバーの認知機能検査を強化した改正道路交通法が施行された

3月12日から5月末までの約2か月半に、検査を受けた全国の43万1338人のうち、

2・7%にあたる1万1617人が、医師の診断が必要な「認知症のおそれ」と判定されたことが

、警察庁への取材でわかった。(6,24 読売新聞記事)

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 現在バスの運転士として現役、会社で行われる健康診断全て異常なしです。

   (ちなみに視力、裸眼右1,2 左1,5 )メガネは薄いサングラスで伊達です。

今日も朝アルバイトの為5時起床。

 バス会社にてバスの運転3時間、10時に帰宅。

 週の内四日は朝だけで水曜日は一日中、五日間勤務。

朝、私が走行する経路は行き違いが出来ないような狭い道路で、運転していると

路地から通学の自転車高校生が勢いよく飛び出すのは毎日で、危ないドライバーも多々!

危険予測を第一に目配り、気配り、心配りに努め安全運転で頑張っている。

                                    

帰宅して静かに一人で好きな音楽聞きながら心身を休め、憩の時を過ごして幸せ感じています。

3年前から午後は(年齢的に武道関係は引退)社交ダンス指導&レッスン3時間、週4回汗を掻き足腰を鍛え健康保持。

               

                                                                           ( 前列中央)

 

    

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予科練の若者に感謝

2017-06-19 | Weblog

昨日、友人達と「霞ケ浦予科練平和記念館」に行って来ました。

「海軍飛行予科練習生」昭和5年から教育、14歳~17歳まで15年間24万人。

ここの予科練の生徒になるには5660名の志願者の中から79名合格で70倍との事。

月月火火水木金金の猛勉強、猛訓練を受けやがてゼロ戦戦闘機操縦兵として巣立った。

又戦況が不利となって特攻隊員として1万9千名が南の海に散っていった。

もちろん「天皇陛下バンザイ」また「お母さん」と叫びながら敵艦隊に突っ込

んで散ったと、でも心は日本の国の為に命を奉げると遺書などには書いてありました。

当時の少年達の心境を考えると悲しく遣り切れない気持ちで見学させて頂きました。

                  (梅雨の花    見事に咲いたアジサイ)

若鷲の歌 西郷輝彦

 

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霞ヶ浦予科練記念館

2017-06-12 | Weblog

若鷲の歌 西郷輝彦

   

来週、茨城県霞ケ浦予科練記念会館に友人三人と行く事になった。

以前より一度ぜひ行きたいと思っていたのでとても楽しみにしている。

反戦、反戦とよく聞くけど誰だって戦争はいやだよ。平和が一番、でも近隣の国、北朝鮮の

ような独裁者が出て無抵抗なんてもっといやだね。座して死を待つなんて絶対に嫌だ!

どんなに時代が変ろうが、武士道を重んじる日本男児として国民家族を守る為に命をかけて

戦って死にたいと私の個人的な気持ちです。私は若い時、自衛隊生活の経験はあるが考え方は

右でも左でもない。鹿児島の特攻基地知覧に行った事があるが、17歳から25歳の若者が

散って逝った手記を見ながら涙が込み上げ、何とも遣り切れない気持ちで胸を痛めた。

それぞれの散った若者がこの時代国のために命を捧げる状況に、偶々生まれ出くわし可哀想で

頭を下げ冥福を祈った。改めて戦争は絶対してはいけないと強く思った。

しかし 現在の日本は経済大国で戦争はイヤですと言っても相手があってとの事、しっかり

守る力があってこそ再認識し子や孫のこれからの世界、永久にと日本の平和を心より願っている 。

   (海上自衛隊、新型護衛艦イージス艦隊) &  (航空自衛隊精鋭f15戦闘機)

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モンテンルパの夜は更けて!感動と涙

2017-06-08 | Weblog

 終戦後昭和20年代、私は小学生でよくラジオで歌を聞いていた。
幼い私の耳にも女性の美しい声が聞こえ淡谷のり子、渡辺はま子の名前も知っていた。

今TVにて感動的な「戦場のメロディ」という実話のドラマをみた。

終戦後フィリピンで捕虜になり死刑囚となった日本軍人達、すでに20名以上絞首刑が行われていた。
108名が順番を待っていた。
収容所の中で死刑を待つ間に祖国日本への望郷の思いで作詞、作曲したのが「あぁーモンテンルパの夜はふけて」
これを日本人クリスチャン教誨師を通じて日本にいる歌手渡辺はま子に送った。

早速渡辺はま子は日本全国で歌い話題となった。
そしてフィリピンのモンテンルパの収容所慰問に行き、日本の死刑囚に生きる力を与えた。
教誨師が大統領に減刑願いに行ったが、フィリピンの大統領は日本軍に妻子を殺害されていたので全員の死刑を強く望んでいた。

教誨師は何も言わず「あぁモンテンルパの夜は更けて」を聞かせた。

大統領はその悲しいメロディーに心を打たれ聞き入って、日本人死刑囚が作詞作曲した事を知った。

そして2ヶ月後全員釈放、昭和28年6月26日、祖国日本に100人余りの死刑囚全員無事帰国出来た。
 
音楽が人の命を救った素晴らしい実話で何とも言えず涙して凄い感激、感動、でした。

戦犯死刑囚の代田銀次郎大尉(27歳)の詞
「モンテンルパの夜は更けて つのる思いにやるせない 遠い故郷しのびつつ
    涙に曇る 月影に優しい母の夢をみる」
その時の気持ち、何とも悲しく人生の虚しさを感じる。
この詞に曲をつけた音楽が得意だった死刑囚伊藤正康憲兵少尉(23歳)の気持ちもはかり知れない。

1日たってこの「あぁモンテンルパの夜は更けて」の歌手渡辺はま子の事が思い出された。
当時 小3くらい(昭和27年)で父は山口県防府市の鐘紡に勤務していた。
鐘紡工場は瀬戸内海に面してとても広く、工場内に大きな体育館のような建物があり年に何回かいろいろな催し物があった。
当時の歌手(川田晴久、灰田勝彦、二葉あき子、美空ひばり、雪村いずみ、等)
もちろん渡辺はま子も来てこの歌を歌ったのを覚えている。
その後何度も聞いたが、この様ないきさつがある事など全然知らなかった。

私は若い頃、10年間自衛隊に席を置き、しかも日本で最強と言われる空挺部隊を志願して猛訓練をうけた。
あらゆる武器(ライフル、拳銃、マシンガー、ロケットランチャー、無反動、火炎放射器、機関銃、迫撃砲等)を
暗闇で分解し正常にもどす等、使いこなせるようになり部下の隊員を指導していた。
射撃も視力がよく特級で中隊対抗の代表だった。(現在も両眼共に1,5)
私はこの時、日本に何かあったらと純粋に考えていたと同時にここで覚えた技術は生涯役にたたない事を願っていた様に思う。

戦争は悲惨で、過去の過ちを繰り返さないよう心より平和を願っている。
     
              

       (写真:歌手 渡辺はま子)

ああモンテンルパの夜は更けて

         (フィリピン,モンテンルパ刑務所日本軍人死刑囚、歌手 渡辺はま子慰問)

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大空を羽ばたいた青春 < イザ  出陣 > 「いくぞ! おぅ!」

2017-06-06 | Weblog

秋の大演習第7師団対抗作戦 北海道南恵庭演習場へ  同期の桜の面々前列右  (本人)千葉木更津空港にて

                                         

 

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入社時の想い出

2017-06-02 | Weblog

2018春に卒業予定の大学生が本日六月一日就職採用選考が解禁。

経団連に加盟する1300社で学生に有利な「売り手市場)求人倍率最も高いとの事。

遠い昔、社会に一歩踏み出した事を思い出しました。

 私は28歳から35年間、自動車の運転を教える教習業務に従事しました。
昭和45年特別国家公務員(自衛官)を退官。初めて一般社会に飛び出す不安でいっぱいでした。
その頃の日本はバブルの最盛期で運転免許習得人口も最高でした。

東京葛飾区にある自動車学校で、当時第一コース、地下道を渡って第二コースもあり、規模も在籍教習生も日本一、
全国から免許、教習所関係見学者絶え間なくありました。指導の先生方も250名、事務、送迎、管理、車両整備、企画など社員総勢400名を越えていました。
東京都免許本部が行う研修と指導員審査試験に私と他4名(22~24歳)と共に無事合格し、総務部長に連れられて社長、校長に報告。その時、校長は私に「君は自衛隊の最精鋭の空挺部隊にいたんだね。社員に何か経験談を話して下さい又特技があって空手道四段、銃剣道五段で武道が得意らしいが社員教育の為にも見せてほしいとも言われました。
次の日私達新入社員5名は役員を含む全社員の前で紹介されました。
私以外は背広ネクタイ姿、私は真白い空手着の胸に日の丸(アジア大会日本代表選手)、黒帯を締め、皆の前に立ち自己紹介をしました。
私は全社員の注目の的になりちょっとドキドキしましたが、心の中で「俺は厳しい規律の中物凄い訓練を受けた空挺レンジャー特殊部隊員だったのだ!」と新入社員の中で一番年上だし堂々としていなくてはと思いました。
初めて飛行機から飛び降りる心理状態を簡単に話し、その後、空手の形(平安五段)の演武をしてみせました。 
    (終わったとたん全社員の大喝采の拍手を受けました。)
おそらく入社式でこんな事をしたのは後にも先にもないと思います。
今、考えるととても恥ずかしく高校(陸上国体山口代表)出て自衛隊という限られた場所に10年起床ラッパと消灯ラッパ、での生活自衛隊独特の復唱言葉、敬礼、姿勢、歩き方が身に付き社会の空気が読めなかったように思います。
その後、私は社員の健康管理の為会社に要請し厚生部門として部屋と部費もらい、体育部(空手&ウエートトレーニング)開催し責任者として指導にあたりました。

仕事では30代は自動二輪指導に従事、鈴鹿やレインボウー、また警察庁の研修所(茨城)等教育を受け、上級インストラクターの資格を取得。免許本部の指導員二輪大会で優秀賞を頂きました。

 *現在会社のOB会で旅行や飲み会の集まりが、年春秋2回位ありますが、先輩社員だった人達から必ず私が入社した時の事が話題にでます。
ある先輩OBに、入社時、眼光が厳しくきびきびした印象があり、言葉使い、態度、動作等見てものすごい人が月の世界から来たかと思った!(笑)と言われました。
*本当に一種変わった人間だったのか!と私の人生で恥ずかしくも懐かしい想い出です。              


                 

                                                  

 

                            

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