島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

五輪銅メダルを産んだ丘陵の坂道

2010-02-16 23:51:35 | クルマ社会の問題

 毎年世界各地で開かれる競技大会でのメダルとオリンピックでのメダルとの間にはほとんど価値に差がないと思われるのだが、一般的には五輪でのメダルこそ他のメダルとではあたかも何十倍も重みに差があるように扱われているから、五輪フィーバーに沸く世論におもねるわけではないが、この度のバンクーバー五輪500mスピードスケートで銅メダルを獲得した山形市出身の加藤条治選手の実家がある丘陵方面の写真をお目にかけたい。
 手前に広がるのが山形市の市街地であり、背後に聳えるのは蔵王連峰に属する龍山である。この山は古代から中世にかけて修験者で賑わった霊山でもあった。
 蔵王の主峰の熊野岳や樹氷で有名な地蔵岳はこの龍山に隠されて見えない。また蔵王温泉や蔵王スキー場も龍山と熊野岳の間にある。
 さて、加藤選手の実家はこの龍山の麓に近い丘陵地帯にある。
 また、彼の母校である小学校は山麓に、また中学と高校は市街地にある。
 彼は麓の中学校や高校に毎日自転車で通学したが、むろん帰路はかなりの急勾配の坂道をその自転車に乗って帰宅したという。
 往路は下り坂であり、上り坂ほど脚力は鍛えられないものの、バランス感覚はかなり養われたに違いない。こうして毎日の自転車での通学と帰宅により、まさしく彼の強靭なスプリントが培われたことは確かであろう。
 やはり自転車力は偉大である。

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2 コメント

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加藤条治さんおめでとう (五輪ちゃん)
2010-02-17 11:50:32
 加藤選手おめでとう。私の現在の実家は加藤選手の学区と同じ、滝山小学校→六中です。学校の前を通ると、加藤選手の垂れ幕が下がっていて賑やかです。
 加藤選手は岩波地区出身なので、坂道を上り下りして足腰を鍛えたので、メダル獲得できたのでしょうね。思うに、現在の子供の中には、親から自動車で送ってもらう者もおりますが、遺憾と思います。学区内の登下校なのですから、歩くのが原則です。百歩譲っても、距離を定めて自転車です。尤も、学校内の敷地は、先生方の自家用車で一杯なのは遺憾です。先生からは駐車料を取るべきでしょう。どうせ、通勤手当が支払われているのですから。
 先生方も、現在の如き波乱万丈の世の中で、犠牲者でもあり、可哀想なのですが・・・。
 ここで、脱線するが、世の中は何か狂っているとしか思えないのです。世の中、すべて総中流というが、富が偏っているのです。鳩山首相&小沢幹事長の何億円が問題となっているが、庶民感覚からいって間違っている。そもそも相続で10億円以上の資産を受け取ること自体が間違っているのです。精々、相続資産は2億円以下にすべきで、超えた分は国庫に没収です。
 最近、エーリッヒ・ショイルマン編集『絵本パパラギ 文明をみた南の島の酋長ツイアビが話したこと』(立風書房)を読んでみました。
確かに、文明は人間を豊かにしました。冬は暖かく、夏は涼しく、ラジオもテレビもある、空も飛べるようになったのです。一方、必要以上の無駄なものを作るようになったのです。リニアモーターカーは必要なのでしょうか? 地デジは必要なのか? 失業者が溢れているのに、金の無い中産(?無産)階級の国民から更に金を搾り上げようとしているのです。政治家・官僚・大企業経営者は、先の著書を読み反省を促したい。
 次に、アメリカの金融システムを学び、迎合するのは、日本を滅亡させることに繋がると思う。手堅い物づくりの日本が、米欧の間違った、金融・商品システムに呑み込まれるのは、破滅に繋がることだ。『ソロスは警告する2009』(ジョージ・ソロス著・講談社)を読んでの感想は、ファンド・マネーそのものの存在です。ソロスは「デカップリング」説(新興国経済の好況が、先進国経済のパフォーマンスとは関係なく続くという説)が間違いでこれで大損した、と言っているが、私はソロス自体の行動が間違っていると思う。これは、資本放任主義の行き詰まりです。早急に手を打たないと世界は大恐慌に陥って終うのでは無いだろうか?フェッジ・ファンドで金を集め、株の空売り、株がダメなら金・レアメタルなど商品への投資へ傾斜して、全世界の経済市況を混乱させている人物が「ソロス」本人なのです。私は著者そのものを戦犯と言いたい。彼が経済界の麻原彰晃だと・・。
 もう一つ、環境問題で、二酸化炭素排出量の売買をビジネスにせんと目論んでいる未来の戦犯がいるが、これは阻止すべきだ。国別の設定数字が最低なのであって、外国から枠を買うのは厳禁である。先ず、可能の筆頭は米国である。
 以上、脱線~脱線ですみませんでした。失礼致します。
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五輪報道のしらじらしさ (ブログ主)
2010-03-06 23:14:19
やはり金メダルがゼロで大いに結構。
テレビ局などマスコミが「五輪」を盛り立てるのは多数の競技種目が同時期・同一箇所に集中するから取材や報道のうえで大いに効率的になるからだけである。
選手たちはただでさえ毎年、世界選手権とかワールドカップとか世界大会とか●◎杯世界大会とか数え切れないほど多数の国際大会に出場しているが、マスコミにとってそれらの国際大会にいちいちでかけて報道していたら会社財政を大いに圧迫してしまう。
「五輪は選手たちの競技であって国家間の競技ではない」という建前は既に大きく崩壊しているが、それの後押しに多大な「貢献」をしているのもやはりマスコミではないか。
五輪報道においては「感動」の字も氾濫するが「感動」は地方大会でも得られないことはないのである。
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