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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

さすが国土交通省、心得ていますな

2017-11-04 08:25:26 | クルマ社会の問題

国道ながら市街地内のため狭隘な箇所の拡幅工事が進められている。
ここは奥羽本線をまたぐ跨線橋の部分なので傾斜している。
さすが国土交通省の事業なので、自転車道がきちんと設けられており、表示もされている。
歩道寄りではあるが。明確に区画されているのでOKとしよう。


◆昔は昔、今は今ではあるが・・・◆

2016-01-20 19:46:15 | クルマ社会の問題

モノクロ写真は新潟県十日町の戦前の豪雪の模様の写真。
これを見れば、道路にはうず高く雪が積み重ねられている。
この時代までは道路はいわば「雪捨て場」としての役割を担っていたようである。
むろん、人間が歩いたり、橇(そり)がすべれる程度の幅だけは確保されていた。

次に、下の写真は山形市の中心市街地のこれまた戦前の雪模様。

でもさすがに道路の大部分が雪捨て場にされているようには見えない。
むろん、山形市と新潟県十日町の積雪量は比べものにならないということもある。
それにしてもこの道路は現在に変わらぬ「大渋滞」。
でも、渋滞は渋滞でも乗り物は超小型。
しかも路面に雪がなければ動けない乗り物だ。
それも5センチや10センチ程度の雪の路面ではすべり心地がすこぶる良くない。
だから路面の雪の厚さが薄くなれば、脇に積まれた雪を運んで路面を修復する。
いわばスキー競技会でゲレンデが雪不足の場合に雪を運んだり人工雪でコースを整備するのと同じである。だから現代のようにアスファルトの路面が見えるまでに除雪するようなことはありえない。
現代の自治体が除雪費で苦しむのは、あまりにもクルマを優遇しようとするからである。

これ「雪の垢」それとも「PM2.5」?

2014-03-06 23:02:30 | クルマ社会の問題
 これは山形市中心市街地の歩道脇に積み上げられた雪の山脈。
 でも雪の山脈にしてはあまりにも汚れている。
 いったい、この汚れの実体は何なのか。
 「水垢」というものがあるように雪にも「垢」のようなものがあるのか。
 それにしても汚れがひどすぎる。
 むろん交通量が多い幹線道路沿いなので道路粉塵や磨滅したタイヤの粉塵もあるだろう。
 でも、それだけではあるまい。
 もともと大気にはクルマの排ガス起源の汚染物質が数多く浮遊している。
 現在は中国からのPM2.5も飛来しているが、PM2.5は日本起源のものもあるし、ここ山形からも発生している。
 それらが集合してかくのごとくの汚れとなっているのであろう。

雪国の小都市で見た状況2つ

2014-02-04 01:44:23 | クルマ社会の問題

 一昨日に山形県内南部の南陽市にでかけた。
 同じ山形県内陸部でありながら、山形市と置賜盆地に位置する南陽市とでは積雪量に雲泥の差がある。
 北に位置する山形市では現在のところ積雪ゼロ。これに対して南陽市(赤湯地区)は写真でご覧のとおり。それでも双方ともに例年と比べれば異常なほどの少雪である。
 積雪量についてはこれくらいにして、南陽市を訪れてクルマ問題に関することを2つ気が付いた。
 一つは、上の写真のように、車道はきちんと除雪されているのに、歩道部分は除雪どころか、むしろ車道の除雪の雪捨て場になっているような有様である。
 それならそれで、積雪期は車道部分も「歩車共存」にして、クルマも歩行者並みの最徐行にするというのでもあれば少しは納得できるのだが、現状は決してそうではあるまい。見た限りではクルマの速度は決して最徐行というような程度ではなかった。

 もう一つは、更地に野積みされた捨てられた雪の山であるが、かなりの汚れが目立つ。
 道路の大部分は舗装されているのだから、決して土の泥は多くはないはずなのに、どうしてこれほど黒ずんでしまうのか。
 想像するに、一つは削り取られた舗装のアスファルトが粉塵となっていたのが雪とともに掻き集められたのが圧雪及び融雪とともに集約されたもの。
 さらにクルマの排ガスに含まれていたPM2.5やその他の粒子状の汚染物質が集約された姿ではないかと思われる。
 大気汚染は中国だけではないのだ。

◆無骨景観形成の都市計画の好例◆

2013-12-26 06:50:26 | クルマ社会の問題
「街角」という言葉には都市部の「引き立て役」といイメージが浮かび、過去にはロマンある小説の舞台にもなりうる存在であった。だが、現代では街角らしい街角をお目にかかることは少なくなっている。
その好例が2枚の写真で同一箇所であるが、左がBeforeであり、右がAfterである。
ここはかつて角地に左のような昭和レトロそのものの商業ビルがあり、ここの十字路と界隈のシンボル的存在でもあった。しかし都市計画道路の名による道路拡幅により解体され、隣のビルの無骨な側面が晒されて国道から丸見えになった。また、解体された旧店舗敷地の残余部が小さな空き地となった。
その後この空き地にポケットパークでも造られ、わずかでも植栽されるのかと期待していたが、ご覧のとおり小規模な青空駐車場となり、背後には無粋な広告看板が立てられた(写真右。現代の日本人には空き地活用としては駐車場化の発想しかないようだ)
この地は山形市の中心市街地でも特に中核的箇所なのだが、写真右のとおり「アート性ゼロ」の街路景観に「おさまった」わけである。以前は特に行政の関与なしに魅力的景観が形成されていた地区なのに、現代では行政主導により無骨な街並み景観となったのは皮肉である。
これも、クルマ走行の利便のみに配慮しての結果と言える。「クルマ村」は全市町村を巻き込んできたほど「原子力ムラ」をはるかに凌ぐ巨大さゆえであろう。

◆ハコモノ店舗の華麗な祖先◆
この4階建てビル(写真「左」)は一見何の変哲もないハコモノ(箱物)にしか見えず、しかも側面はまったくお色気なしの無骨な表情だが、実のところ1階は大人気の和菓子店。多くの市民がお目当ての○○焼きは早い時間に完売するから、人気アイドル並みの行列ができる。
 だが、この和菓子店の以前の、そして更にその前の建物だったら、多くの県外観光客も含めて更に長蛇の列ができていたであろう。
 写真は30年以上昔の撮影であり、建物がかなり傷んでいるのがわかるが、それでも風格充分である。しっかりとしたメンテナンスが施されていれば、たぶん今頃は山形市民自慢の観光スポットも兼ね更に長い行列ができていたに違いない。
 長浜ではないが、黒壁のバルコニーまで具備した洋風土蔵造りの店舗建設を思いついた山形の先人の心意気が偲ばれる。[※撮影時は洋服店に貸与していたようだ。また、電気店だったこともあったような記憶がある。]

◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ⑤◆

2013-11-25 23:25:08 | クルマ社会の問題
  ④から続く

同じことはサイクリングにも該当する。だが自転車には、怠惰な乗り手にさえ歩いている者より3~4倍速く旅行し、その間に使うエネルギーは4分の1という能力を与えるという付加利益があるのだ。彼らすべてが必ずしも、判事の超絶レベルに到達しないかもしれない。しかしサイクリストたちは、車・バスまたは電車の密封された環境では不可能な方法で、彼らの回りの世界に接続したと感じると報告する。彼らの旅行は肉感的で運動感覚的である。

1969年に、ヨーロッパ産業利益組合が若いアメリカの経済学者(エリック・ブリトン)に依頼した。将来人々がどのように都市を通って動くかについて予想把握することを
都市は複雑さを包含するために努力するべきだ、交通運輸システムだけでなく、人間の経験の中でも、と、ブリトンは言う。その人はまだそのフィールドで働いていて、パリに住んでいる。
彼は都市と会社に助言する。―古いモビリティ(ただ一つの移動方法にあわせて完全に厳しく組織されるシステム)を捨てて、新しいモビリティ(我々みんなが最も大きな多様な方法により自由に移動できる未来)を受け入れるよう。

「みんな古いモビリティを知っていますよね」と、ブリトンは言った。
「あなたが車に乗っているとする。そして、渋滞から抜け出せない。駐車場所を捜しながら何時間もかかって運転する。古いモビリティは足の悪い55才の女性にも関係がある。―来るかどうか確信が持てないバスを彼女は雨の中で待つのだ。
一方の新しいモビリティは、蒸留された自由だ。」

都市システムがいかに急進的に移動の自由を構築することができるかを示すために、ブリトンは彼のオフィスから私を案内した。―ルー・ジョセフ・バラへと。
我々は、ずらりと並んだ自転車の列の前に立ち止まった。
ブリトンは金属ポストの上に彼の財布をさっとかざして、その寝台から自転車1台を引き外した。
「Et voila! 自由!」彼はにやっと笑って言った。
パリ自転車計画(Vélib')が導入されて以来、完全にモビリティの様相が変わった。
Vélib' 艦隊の各自転車が毎日3~9回使われる。それは1日当たり20万トリップだ。
多数の都市は共有自転車プログラムに乗り出している。―ロンドン、モントリオール、メルボルンおよびニューヨークを含む。
2010年に、ロンドンはシステムを導入した。それは、都市の自転車狂の市長(ボリス・ジョンソン)にちなみボリス・バイクと呼ばれた。
パリでは、そして世界中で、新しい共有システムは、ドライバーを自由の身にしている。
多くの人々がVélib' 最初の年に自転車が好きになったので、自転車事故数は増えたものの、一人当たりの事故数は減少した。
どこの都市がサイクリングの急増に遭遇してもこの現象は繰り返すようなのだが、―自転車に乗る人が増えるほど、通りはサイクリストにとってより安全になる。―というのも、ドライバーは道路にサイクリストがいると予期してより用心深い習慣を採用するからだ。
多数が安全である。(数は力なり。)   ⇒ 続く

※写真はボゴタ市関連HPより  ※ 翻訳は富田悦哉氏

◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ③◆

2013-11-20 19:28:53 | クルマ社会の問題
  ②からの続き

 だが、しばし私は質問を忘れてしまった。私はハンドルを手放すと冷風の中で両手を上げた。私は自分の幼年時代の故郷の道路、放課後の放浪、だらだら乗りや純粋な自由を思い出した。私は元気を感じた。都市は私のものだった。旅が始まった。

 幸福を作ったり壊すのに足るだけ、都市設計は本当に力を入れられているだろうか? 問題は考慮に値する。―幸福都市メッセージが世界中に根づいているから。
「20世紀の最もダイナミックな経済はすべての中で最も悲惨な都市を生み出した。」ペニャロサは、交通の轟音に負けずに言った。「私は、米国アトランタ、フェニックス、マイアミなんかの全く車が支配している都市について話している。」

 全くの富によって判断するのであれば、過去半世紀は、米国をはじめカナダ、日本、英国などの豊かな国の人々にとっては有頂天に幸福な時間だったはずだ。そしてまだ20世紀後半の繁栄の数十年は、幸福の繁栄を伴っていなかった。英国は、1993年から2012年の間に40%以上より豊かになったが、精神疾患や神経症の割合が増加した。

 2008年のcrashの直前に、ステファノ•バルトリーニ率いるイタリアの経済学者のチームは、米国における収入増加と幸福低迷の間の一見不可解なギャップを説明しようとした。イタリア人は彼らのモデルから経済的•社会的データの様々な成分を除去してみて、
そして見出した。すべての富に直面する人々の自己申告による幸福を抑制する唯一の要因は、国の傾ける社会資本すなわち私たちを他のものと関係づけ続ける社会ネットワークと相互作用であることを。それは、貧富間の所得格差よりもさらに腐食性が高いことを。

 私たちが他の人々について不平を言うのと同じくらい、社会砂漠ほどメンタル・ヘルスにより悪いものは何もない。私たちを家族とコミュニティーへさらに接続することは、心臓発作、脳卒中、がん、うつ病の経験の可能性を低くする。接続されている人々は、夜よく眠れる。彼らは長生きする。彼らは一貫してより幸せであることを報告する。

 社会的赤字と都市の形の間に明確な関連がある。スウェーデンの研究では、 45分以上の通勤に耐える人々は離婚確率が40%超であることが分かった。住宅が店、サービスおよび働く場所と混じり合った歩きやすい近隣に住んでいる人々にくらべ、単機能で、都心の外側の自動車依存地域で暮す人々は他の人々への信用がはるかに少なくなっている。

 チューリッヒ経済大学のカップル(ブルーノ•フライとアロイスシュトゥッツァー)は、ドイツの通勤者の仕事に行くために彼らがかかった時間の評価と、標準的な幸福の質問に対する彼らの答えを比較した。「全体的に見て、あなたはあなたの人生にどれくらい満足しているか?」

 彼らの発見は、一見単純だった。長くドライブするほど、小さい幸せの人であった。無感覚に明白であるとこれを片付ける前に、彼らがテストされたのはドライブ満足感についてではなく、生活満足度についてであったことを心にとめてもらいたい。人々は彼らの全ての生活を悪化させた通勤を選択した。シュトゥッツァーとフレイは、通勤に1時間かかる人がオフィスへ歩いて行く人と同じくらい生命に満たされるためには、40%より多くのお金を稼がねばならないことを見出した。他方、独りの人にとって、長い通勤を短い徒歩に交換すると、新しい恋を見つけるのと同じ幸福の効果がある。
 
 ダニエル・ギルバート(ハーバード大学の心理学者で「幸福の躓き」著者)は、通勤パラドックスをこのように説明した:たいていの良いものと悪いものは、私たちがそれらに適合するだけの時間が経過すると、あまり良くないものと悪いものになる。しかし、一定のままでいるものに適応することは、変わるものに適応するより非常に簡単だ。したがって私たちは、より大きな家の喜びにすぐに適応する。―家はいつも正確に同じサイズであるから。しかし私たちは、自動車で通勤することに適合することは困難であると分かる。―毎日がわずかに新しい形の悲惨であるから。

 嘆かわしいことは、私たちがいい生活(お金、機会、目新しさ、にぎわい、高価)であるのためにハイステータス都市へ群がれば群がるほど、それらの場所を汚染し混雑させたことである。その結果は? ロンドン市民が、英国で最も豊かな地域である都市にもかかわらず、英国で最も幸せ少ない人々に含まれることを、調査は示している。

⇒続く [※ 写真はボゴタ関連HPより]

◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ①◆

2013-11-12 16:23:18 | クルマ社会の問題
Facebookでシェアしたサイト(英文)の日本語訳です。
翻訳文は冨田悦哉さんです。
このサイトの紹介者は井坂洋士さんです。

麻薬大国と揶揄されるコロンビアの首都ボゴタがクルマの抑制により市民が安心して暮らせる街に変身ししつつあるというサイトがあったので、紹介したい。
下記がそのサイトのアドレス。
http://www.theguardian.com/society/2013/nov/01/secrets-worlds-happiest-cities-commute-property-prices

以下が翻訳文[その①]

世界で最も幸福な都市の秘密

何が都市を住みよい場所にするのでしょうか? 移動手段?不動産価格?楽しい会話?
(チャールズ・モントゴメリー The Guardian 2013年11月1日)

都市生活は、そのなかに居ることと同じくらい景観の中の移動に影響される

二人のボディーガードがエンリケ•ペニャロサに小走りに付いていた。彼らの拳銃はホルスターに収まっている。そこに特筆すべきことは何もない―彼の職業・背景を示すような。ペニャロサはひと味違うキャンペーンの運動家だった。それはボゴタ市―誘拐や暗殺に定評のある都市―に関することだ。
変わっていたのはこれだった。ペニャロサは装甲SUVに乗り込んだりはせず、かわりに彼はマウンテンバイクに飛び乗った。彼のボディーガードと私はあっという間に後ろに取り残された。ロック・スターの通った跡のティーンエイジャーの集団のように。

数年前は、このような自転車に乗ることは「急進的」とされただろう。ボゴタ市民の多数意見で言えば「自殺行為」だ。もし轢き殺されたいか排気ガスで窒息したいなら、街の通りへ出ればよかった。しかしペニャロサは事態が変わったと主張した。「我々は、実験を生きている。」と、彼は私に呼びかけた。「私たちは、経済を修正することができない場合がある。しかし、私たちは、人々に尊厳と豊かな心を与えるために都市を設計することができる。都市が人々を幸せにすることができる。」

幸福の市長がレトリック・マジックを働かすのを最初に見たのは、2006年の春にさかのぼる。
国連は、今後数か月のある日に一人以上の子供が都会の病院で生まれ、一人の移民が首都の貧民街に迷い込むだろう、そしてその瞬間から、世界の半分以上の人々が都市に住むことになるだろう、と発表していた。2030年までに、約50億人が都市住民になると。

ペニャロサは主張した。ほとんどの都市のように、ボゴタは20世紀の二つの都市の遺産によって深く傷ついたままにされていた。最初に、都市は、自動車にあわせて徐々に新しい方向に向けられた。次に、公共の空間および資源は大部分が私有化された。この再編成はともに不公平―世帯の5のうち1だけが自動車を所有するという―かつ残酷だった。
都市の居住者は都市の最も単純な毎日の喜びを楽しむという機会を奪われた。社交的な通りで歩くこと、そのへんの公共の場所で腰かけていることをである。そして遊び(子ども)は大部分がボゴタの通りから姿を消してしまった。銃撃または誘拐の恐れのためにではない。通りが険しい速度によって危険にされたからである。 ⇒ 次回に続く

◆日本一巨大な「ムラ」とは?◆

2013-07-25 10:11:24 | クルマ社会の問題


日本は「豊葦原瑞穂国」とも言う。参院選山形県選挙区ではそれに因んだ名の若い女性候補者が当選した。まずはお祝いを申し述べたい。
それゆえ日本は基本的には農地を大切にする国であるべきである。しかし現実の農村部は耕作放棄地ばかりが増え、高齢化が著しい。これではTPPが怖いのも当然。
ところで「村」と言えば一昨年以来「原子力ムラ」が大いに話題となっている。しかしそれをはるかに上回る「ムラ」が存在し、アジア諸国でも増殖している。
原子力ムラは放射能災害の元凶として怖れられるが、もう一つの超巨大ムラは全地球的規模の災害をもたらす元凶とすら言える。
それは前回の投稿でも述べた地球温暖化の加速化に伴う気候激変の顕著化であり、クルマの走行(及びそれを支えるクルマ社会全体)に伴う二酸化炭素排出が主要因と考えられる。
参院選の終盤期に水害に遭ったばかりの山形県では今日も各地で洪水警報が出ているが、それも気候激変の現れと言えよう。

※ 知人から提供された豊葦原瑞穂国的景観を崩壊させるような超巨大ムラによるプロジェクトに批判的な動画  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Zj9WZtZmXmU

※ 写真は一年前の山寺立谷川の濁流(たぶん今日も)

「社会実験」から本格運用へ  山形市中心街の自転車道(4)

2012-12-31 07:38:19 | クルマ社会の問題
  バス停問題が浮上

 この記事はこのシリーズの第5回になるはずだが、実質的な「第4回」は姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」の12月25日付けの記事に書いてしまったので、このブログ「島国・・・」では第4回とした。
 姉妹ブログでも述べたように、今回の車道両脇に自転車道を設置するにあたり最も苦心されたのが「バス停」の配置とバス乗降者の安全をいかに確保するかにあった。
 狭い道路において歩行者、自転車、バス等の公共交通車両、一般車両のどれもが安全に通行できるようにするには「ノーベル賞」的なアタマが必要なようである。
 以前の「社会実験」中の自転車道が東側にのみ「双方向」に設置されていた(前々回記事の写真参考)のに対し、現在は車道両側に一車線ずつ「片方向」に設けられたという大きな違いとなった。
 以前の「双方向」は全国的自転車利用者組織によると「最悪」の形体のようである。
 なぜなら、自転車同士の衝突や接触による事故の可能性が高まるからということである。
 しかし、山形の場合、その「双方向」方式がとられた「理由」を推測するに、やはりバス停を設置し、バスの乗降者の安全を確保するのには好都合であったからではないかと思われるからである。
 もともと、この「国道」の車道は一方通行のゆえにバスも北進の一方通行のためにバス停も西側歩道上にのみ設置されている。
 だから、以前はバスの乗降者は自転車道を跨ぐことなしに直接バスに乗り込み、バスから歩道に降りることができた。
 しかし、今度はどうしても自転車道を跨いでの乗降になってしまった。
 それでも自転車利用者がバス乗降者の安全に充分に留意するようであれば問題はないのかもしれない。
 しかし、それが百バーセントの自転車利用者がそうである保証はあるのか。
 バス停にバスが停車している場合は必ず自転車を停車させるか最徐行するかが不可欠であるが、やはり“暴走自転車”は跡を絶たない怖れが充分である。
 写真でも見られるように、確かにバス停前には自転車利用者にバス乗降者の安全を呼びかける立て看板があるが、速く走ることしか考えない高校生などの若者たちはどれだけこの看板を読んでくれるのかは未知数である。