島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

東北の都市の大半は震災以前にメルトダウン

2011-05-28 16:52:46 | クルマ社会の問題

 福島原発は震災直後に急速にメルトダウンしていたようだ。
 いわば原発としての機能が完全に失われただけでなく、その後の「災厄」が非常に心配だ。
 こうして福島県全体までが社会的に完全にメルトダウンしそうでさえある。
 だが、ここ東北地方での「社会的メルトダウン現象」はかなり以前から徐々に進展していたと言える。むろん、この現象は東北地方に限ったことではなく、全国至る所で見られるのだ。
 写真でも示しているように、ほとんどの中小都市は中心市街地の空洞化が著しい。
 数万人規模の小都市はいうまでもなく、十万人以上の都市でも中心商店街はシャッターを降ろしたままの空き店舗が急増し、空き店舗の敷地の活用法があるとすれば、多くが「貸し駐車場」となることしか思いつかないようである。
 つまり、地方都市の中心市街地では駐車場産業しか栄えないようだ。
 それでも空き店舗や民家の空き地が駐車場となるだけ都心部にクルマを乗り入れる人が少なくないということであるのだが、酒田市や石巻市の中心市街地のように「駐車場の需要すら少ない」中小都市が多いのである。
 それらのクルマはどこに行くのかと言えば、広大な駐車場を備えた郊外型の大型店舗や郊外に立地された職場である。
 いずれにせよ、「都市」の場合は商店街に空き店舗や空き地の多少、街を往来する人たちの多少などで「メルトダウンの程度」を視覚的に感じ取ることが可能である。
 一方、人口が希薄な農山漁村部の小集落では民家が「空き家」であるかどうかは視覚的にすぐにはわからないものの、過疎や高齢化が進んでいることは確かであり、農山漁村部でもコミュニティがひどく崩壊していることは確かである。
 つまり、都市も農山漁村部も共にメルトダウン化して久しいのであり、それに「トドメを刺す」かのように出現したのが福島原発事故であったような気がしてならない。
 ◆写真は「上左」が酒田市駅近く「上右」山形市中心市街で目立つようになった貸し駐車場「下左」石巻市中心商店街「下右」日曜日の酒田市中心商店街中町

 上下とも戦前の山形市中心市街地の「賑わい」の様子
 さらにずっと小規模な町でもそれなりの賑わいがあったが、それが失われたのは「クルマ社会」が本格化してからである。
 「復興」とはまさしく「恒常的な賑わいの回復」に他ならない。

またもや巨大津波の被害?

2011-05-24 17:06:25 | 地球温暖化

 午前中にインターネットでニュースを見ていたら、最新の報道写真によりまたしても細かく砕かれたガレキが散乱する光景を目にすることとなった。(写真「上」)
 しかし、どうも日本でのことではなさそうだ。
 そして昼のテレビニュースを見ていたらほとんど同じ惨状が画面に映し出された。(写真「下」)
 これはアメリカで発生した竜巻による被害の様子である。
 東日本大震災の場合はほとんどのひどい被害が海岸付近であり、アメリカの竜巻被害は平原だという大きな違いがあるものの、建物や車両がめちゃくちゃにされ、ガレキの散乱の模様は日本での津波による惨状とあまりに似通っていることに驚く。

 前回の竜巻では3か所の原発が危機一髪であったが、今回はどうであったのか。
 今日、書店で週刊誌を除いたら、福島原発の場合も夏にかけて竜巻や集中豪雨によるさらなる損傷が心配されているという。
 竜巻も集中豪雨も地球温暖化と密接な関係があることはほぼ確実であるが、地球温暖化促進の要因の中での「横綱」級はクルマの走行とそれを支えるクルマ社会全体(むろん生産過程も含む)である。
 それでは「世界に冠たるクルマ社会大国」の東西横綱といえば、西がアメリカであり、東は日本であるが、日米両国が原発とともに危機にさらされているのは単なる偶然の一致とは思えないほどである。
 やはり某巨大自治体の首長の失言と言われる「天罰」なのか。

◆姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」(←クリック)をもご覧ください。

この幽霊通り化も「想定外」?

2011-05-23 07:04:18 | Weblog

 想定外という言葉は今年の「流行語大賞」に選ばれるのではないか。

 これに対して「想定外という言葉を責任逃れの言い訳に利用するな。」という言論も乱発気味である。

 スポーツ選手たちは対戦相手のありとあらゆる「手の内」、そして自分自身にかかるあらゆるアクシデントやミスの発生を想定して練習や鍛錬を積み重ねるものの、横綱級の選手やチームですら予想外の大敗を喫することもある。
 でも、政策のミスには明らかに行政の怠慢によるものが少なくない。
 その典型が地方都市の中心市街地の空洞化や衰退と言える。
 闇雲な郊外型開発やモータリゼーションへの適応政策がどのような事態を招くかについては「バラ色」の未来しか想定せず、マイナス効果についてはほとんど想定しなかったからではないか。
 しかも地方都市の中心市街地の空洞化や衰退については行政側からは「想定外」という言葉すら発せられることは少なく、依然としてモータリゼーション適応の道路造りなど「都市計画」の名による「都市破壊」政策があちこちの地方都市で進められている。
 震災以降頑張れトウホク!の掛け声は賑やかであり、「復興市」やら「福幸市」が開かれている被災地も多い。
 だが、震災以前から東北地方のほとんどの都市も農山魚村も衰退していたのである。
 だから「復興」したとしても震災以前の「さびれ果てた状態」の姿に戻るだけではないか。
 クルマ社会に対して抜本的なメスを入れることなしに「トウホクの回復」はありえないのではないか。
◆写真は上から石巻市の中心商店街、酒田市の駅前近く、酒田市の中町。いずれも人影どころかクルマの数すらきわめて少ない。
 

美白なのに放射能汚染?

2011-05-19 10:16:50 | 時評

 五月といえばまだ春の季節
 下界には当然まったく雪は見当たらない。
 でも、周囲の高山を仰ぎ見れば、頂上部分が見事なまでに白いベールで被われているのがわかる。

 これを何の先入観も持たずに眺めるだけなら、「心が洗われる」とか「疲れも吹き飛ばされるようだ」とか、或いは「癒される」ほどの美しさだとかの賛辞が並べたてられ、それゆえに山形は豊かな自然に囲まれて県民も幸せだと言われるのであろう。
 だが、これらの真白き冠雪はただ単に美しいだけなのであろうか。
 確かに山形は福島県の隣県でありながら下界での放射線量の測定値は関東地方南部よりも低い。それも、山形盆地の周囲にはこれらの高い山脈が連なり、事故の原発からの放射性物質を遮っているからである。
 それでも、頂上付近の放射線量は下界よりも多いとは言えないか。
 放射性物質は福島原発からのみ流れてきているわけではない。
 先週は山形盆地もかなりの黄砂で覆われて、周囲の山並みもさっぱり見えないことがあった。
 黄砂は申すまでもなく中国大陸から西風により運ばれて来るのだが、90年代までに数十回にわたり行われた西部砂漠地帯での核実験による残存放射性物質がそれらの砂塵の中にかなり含まれているのだという。
 むろん、それ以前に中国の核実験場のすぐ近くの中央アジアで行われた旧ソ連による核実験での残存放射性物質も含まれていると考えるべきであろう。
 ああ、麗しき美白の冠雪の中で「日中ソ」の放射性物質が“共存”していることになる。

◆ 写真「上」は山形市街ビルの展望室から望まれる月山
    「下」は東北アルプスと言われる朝日連峰  ◎ともに5月18日撮影

都心部の自然植物園

2011-05-16 17:37:50 | 地球温暖化
 原発関係はちょっとお休み。

 都心部とはいっても東京のど真ん中というわけではない。
 むろん、山形市の中心市街地で見つけた自然植物園のことである。
 中心市街地とはいっても中心商店街と別の商店街との間に挟まれた古くからの住宅街の一角である。
 ここに数年前までかなり広い邸宅があったが、この屋敷は他者の手に渡ったものの、今のところは何の建設計画が立っているわけではなく、しばらくは「更地」の状態のままのようである。
 昨年の秋には除草されて土壌があらわになっていたが、やがて積雪期を迎え、一面の雪原となった。
 春となり再び土の香りが漂っていたが、五月に入ると急速に草花が伸び、あっという間に見事?!な自然植物園となった。
 でも、おおかたの地域住民はこれらの草花を迷惑な雑草くらいにしか感じていないようだ。
 それでも近づいてようく眺めてみるとやはり可愛らしくも美しい草花で満ちている。
 まさに正真正銘の自然植物園である。
 話は飛躍するが、原発事故の深刻さに辟易した多くの日本人が本当に「文明の利器」に依存しっ放しの生活の見直しを心がけるようになるかどうかは、このような空き地の雑草?を迷惑がらずに愛でることができるようになることにかかっているようにも思える。

原子力発電とクルマ社会を結ぶもの (5)

2011-05-09 23:55:26 | Weblog
 放射能パニックの間隙を突いて発生した生牛肉食中毒死事件
 
 放射性物質を「緩慢毒殺物質」というなら、O-111とかO-157などの病原菌類は「即効性毒殺物質」ということになる。
 このたび、富山、福井、神奈川で発生した生牛肉食中毒死事件は原発事故による放射性物質の放出のために「この世で放射性物質ほど怖ろしいものはない」ような印象を日本国中に蔓延させてしまった感がある。
 だから、日常もっとも留意すべきこと、警戒すべきことは「放射線被曝」であるかのような感覚が強まり、農産物、水産物どころか工業製品まで放射性物質による汚染が心配され、福島県から避難した家族の子供たちまで「汚れた人間」であるかのように忌避され仲間外れされるなどの由々しき事態まで報じられている。
 だから、放射性物質の汚染さえ心配ない食品なら「安全安心」とされていたきらいがあり、そんな感覚のウラをかく形でこのたびの食中毒死事件が発生したともいえる。

原子力発電とクルマ社会を結ぶもの (4)

2011-05-05 23:53:39 | クルマ社会の問題
 原子力発電の問題に政治色をからめると問題は一層ややこしくなる。
 むろん、原子力発電はいわば国策により推進されてきたものだから、国政が大きくからんだ性格のものであることは確かである。
 これほどまでに原発事故で多くの福島県民が故郷を捨て、農産物どころか工業製品まで放射能汚染が疑われて、全日本がいわば「放射能パニック」に陥ったようにもなり、また、原子炉と使用済み核燃料プールの冷却機能の回復だけでも膨大な費用がかかり、やがては補償金も含めて電力料金の値上がりや国民の税負担のアップを考えると「反原発感情」が国民一般にも広がったようにも思えるものの、今でも「反原発を言うのは左翼」というイメージは根強く残っている。
 政党でいえば、「左翼政党」と呼ばれている共産党や社民党(旧社会党)などは福島原発事故を契機に一層反原発姿勢を強めているし、以前から原子力発電に否定的であったことも確かである。
 しかし、両党が100%原子力発電に否定的であり続けてきたかといえば、必ずしもそうではなかったようにも思える。
 かつての両党は原子力発電どころか原水爆についても100%否定的であり続けてきたとは言い難い言動を表していたことは私の記憶に残っている。
 むろん、両党はアメリカなど西側諸国の原水爆の実験や保有については激しく抗議していた。
 しかし、ソビエト連邦や中国の核兵器の実験や保有についてはそれほど激しい抗議をしてはおらず、それどころか、労働者と農民が主人公の社会主義国家の核兵器は労働者と農民を守り平和のための核兵器であるということで肯定的でさえあったこともある。
 同じように、原発についても「資本主義国の原発は独占資本の利益のためのもの」とし、それに対して「ソ連や中国など社会主義国の原発は労働者と農民の暮らしを向上させるための平和利用」と積極的に肯定する向きすらあった。
 日本の原発についても「原発の安全性の不安」からの反対というよりも、「日本の資本家層は軍国主義復活と軍事大国をめざすために核武装を図る前段階としての原子力発電を推進しようとしている」という意味での反原発であったように思える。
 だから「安全性の不安」を訴えるよりも「核武装化の危険」を訴える主張の方が強く、結果的に日本の原発大国化を許してきたような気もしてならない。