島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ②◆

2013-11-15 18:54:17 | 原子力発電所
  ①に続く(ボゴタは南米コロンビアの首都)

市長としてペニャロサ初の、そして最も重要な行動は、犯罪へでも麻薬へでも貧困へでもない、自動車への宣戦布告であった。
彼は野心的な高速道路の延伸計画を捨て、かわりに彼の予算を注いだのは、数百マイルの自転車道、公園や歩行者広場の広大な連なり、そして市内初の高速輸送システム(TransMilenio:鉄道の代わりにバスを使用)に対してであった。
彼はドライバーに対し自動車で1週当たり3回以上通勤するのを禁止した。このプログラムは、何百万もの人々の都市生活習慣を変更した。また、それは半世紀間以上世界中の都市計画を主導した哲学の完全な拒絶だった。

任期の三年目に、ペニャロサは実験に参加するようにボゴタ市民に促した。2000年2月24日の夜明けをもって、自動車は一日中通りから締め出された。それが誰も交通事故で死ななかった4年の第1日目だった。入院はほぼ3分の1になった。街を覆っていた毒の靄は薄くなった。人々は、都市生活に関して過去数年よりもっと楽観的であると世論調査に答えた。

旅の早くから一つの記憶が私に引っかかっていた。恐らくそれは、時々都市で見つける幸福の快さとsubjective slipperinessをどちらも保持するから。再選のために活動していたペニャロサは、その日自転車に乗っているところを見られる必要があった。彼は叫んだ。「Cómo le va?(調子はどう?)」―彼を認識するように見えた誰にでも。しかし、これは彼が急ぎ、ハイペースなことを説明しなかった。―アンデス山脈の麓を望む市の北のはずれを横断したときである。彼についていくために私ができるすべてといえば、ブロックに次ぐブロック。―私たちが高い鉄のフェンスによって囲われた場所に到着するまで。

ぱりっとしたワイシャツとぴったりした制服を着た少年達がゲートから流れ出た。そのうちの一人(明るい目をした10歳)がペニャロサの自転車のミニチュア版で人混みを押し分けてきた。突然、私は彼が急いでいた訳を理解した。彼は、学校に息子を迎えにいくために急いでいたのだ。―他の親がタイムゾーンをいったりきたりしているまさにその瞬間と同じように。こうして、半球で最も平均的で、最も貧しい都市のうちの1つの中心で、父親と息子は校門から走り去るでしょう。―首都を横切るのんきな自転車ライドで。これはほとんどの近代都市で考えられない行為だ。太陽が落ちてアンデスの山々が赤くなるとき、私たちは広く開いた通りに進路の弧を描いて行った。それから自転車のために作られたハイウェイを西に向かった。子供が先に走った。その時点で、私はペニャロサのイデオロギーについてわからなかった。誰が言うべきだろうか? ―移動の1つの方法が別のものより良いと。誰が十分に知っているだろうか? ―幸福の理想都市を処方するために人間の魂が必要であると。

 ⇒ 続く

 ※ 写真はボゴタ関連のHPより



最新の画像もっと見る