島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

母子用自転車(欧州と日本)

2010-05-29 22:06:52 | クルマ社会の問題
 衛星放送のテレビを見ていたらヨーロッパの自転車事情が紹介されていた。
 日本でも行き過ぎたクルマ社会についてほんのわずかながら見直しされるようになっており、その中で「自転車の復権」も叫ばれるようになっている。
 しかしそれでも日本の場合はまだまだである。
 幼児を前後に乗せながらも安定して走れる自転車が開発され、購入費用の一部を助成する自治体もだいぶ現れるようになっているが、いかに「安定性」が売り物になっているとはいえ、二輪ではやはり安定性に限界がある。
 これに対してオランダやデンマークなど自転車利用が国策とまでなっている国々では幼児を乗せるボックスを装着している三輪自転車が多いようだ。この方が安定して走れそうだ。
 その場合はむろん自転車専用道路が充実しているうえに、クルマより自転車走行を優先させる施策がとられているようでなければならない。
 幼稚園や保育園、託児所へ重量あるどでかいクルマで幼児を送迎して二酸化炭素を大量に排出するよりも軽量の三輪自転車で幼児を送迎する方がどれほど環境に優しいか比較するまでもなかろう。

半年になった自転車道「社会実験」

2010-05-18 23:51:42 | クルマ社会の問題
 山形市中心市街地の約1kmにわたる自転車専用レーンの「社会実験」が始められたのは昨年11月5日であったから既に半年を過ぎている。
 そこで昨日はこれを“記念”してか、運営体がこの専用レーンの利用状況を公表するとともに自転車利用者に対する一層のマナーの向上を呼びかけた。
 それによると、専用レーンの利用状況は向上し歩道を走る自転車はだいぶ減少したものの、依然として歩道を走る自転車は後を絶たないとのことである。
 でも、以前このブログでも述べたように、「歩道を走る自転車の撲滅」のみを図る目的でこの試みがなされたとすれば、問題の根本的な解決にはならず、やはり歩道を走る自転車は後を絶たないことは間違いがない。
 確かに歩道を走る自転車は歩行者に危険を及ぼすから問題であるが、自転車が歩道を走るようになったのは車道ではクルマが増え過ぎ、しかもクルマの速度が速いので自転車利用者にとっては車道走行は危険になったからで、それゆえ自転車問題は即ちクルマ社会の問題なのであり、溢れすぎたクルマの利用の抑制を図ることなしに自転車問題の本質的な改善はありえないのである。
 つまり、クルマ利用者の不満の声の方に耳を傾けるようであれば、この社会実験を取り止めざるをえなくなり、実験は失敗ということになる。
 近い将来において現在の“実験”の区間のみならず、市域全体に自転車専用レーンを延伸や新設する意図がない限り、「場当たり的」な施策でしかないことになる。
 この“実験”の区間以外の道路ではほとんどの自転車は歩道を走るのだから、その癖(くせ)や習性が身に浸みており、だから“実験”区間に入ってもつい歩道を走ってしまうのではないか。

◆写真 本日(5月18日)の中心商店街の自転車レーンと車道  時間帯や撮影タイミングにもよるが、やはり自転車の姿は依然として少ない (左下はデンマーク・コペンハーゲンの自転車専用レーンの利用状況)

これから先は、どだなごどになるんだべ?

2010-05-08 21:08:24 | クルマ社会の問題
 手前は国道で、その前方が県道。山形市の中心市街地である。
 その県道も手前の国道の拡幅計画に伴う拡幅がかなり以前から計画され住民にも提示されていたが、近年の自治体の財政難の影響で計画の実施は遅々として進展がないままでいた。
 それでもようやく測量費の予算が計上され、いよいよ今年度から測量が開始される見通しのようだ。
 しかし、その後の用地買収や店舗や住宅などの既存建造物の解体と更地化、そして道路本体の工事はまだまだ先のことになろう。
 道路は平面施設だからビルなどの建築工事よりははるかに簡単なように思いがちになるが、手前の国道の拡幅工事は用地買収と更地化が完了してからも既に3年になろうとしている。
 むろん、沿道の地権者と建物の所有者全員の同意を得てから既存の建造物が解体されるに至るまでも幾年を要したことと自治体の現今の財政の更なる逼迫化を考えると、前方の県道の拡幅が完了するまでは更なる年月を要することになろう。
 更に心配なのは、手前の国道東側の街並み景観が拡幅以前よりも劣悪化しており、西側はやっと残存建造物の解体が完了したばかりだが、歩道予定部分の内側に駐車スペースが凸凹に並ぶことは既に明確化しており、沿道西側の街並み景観も更に劣悪化することは明らかなので、同様に前方の県道部分(拡幅後は国道に昇格予定らしい)についても拡幅後の街並み景観がどうなるのかということである。
 以前は街並み景観を劣悪にしている要因の筆頭は電柱と蜘蛛の巣のような電線であったが、電線の地中化が進められている現在は歩道の内側に任意で設置された駐車場もしくは駐車スペース、駐車ビルであると言える。
 歩道の内側にこれらの駐車施設が乱雑に作られると街並み景観が劣悪になるだけでなく、歩道を横断するクルマが激増するために、膨大な公費を投じて造成された幅広い新設歩道も歩行者を危険にさらすスペースに変貌し、また歩道自体がクルマ横断の便益のために平板でなくなり、並木の植栽スペースも限られてくる。
 行政や沿道住民もこれらの点を重視のうえ解決を図らないと「都市計画」の名による巨額の公費を投じた「都市破壊」を容認するだけのことになってしまう。  

沖縄県と宜野湾市の不思議

2010-05-05 00:02:48 | 時評
 普天間の米軍基地の移設問題が迷走の度を深めている。
 確かに普天間基地のある宜野湾市の市域のかなりの部分を基地の用地となっており、しかも騒音等がすさまじいヘリコプターや航空機が多数配置され、むろん、住民にとってそれらのへりなどの墜落の不安も大きい。
 だから宜野湾市からの基地の撤去や移設の要望が強まっているのであろう。
 でも、ここに一つの大きな「不思議」と「謎」がある。
 それは、「世界一危険な軍事基地」とまで言われている普天間基地のある宜野湾市の人口が戦後急増していることである。また、大学も新設されたり琉球大学などは那覇市から移転までしている。
 人口の増加は宜野湾市に限らず沖縄県全体について言えることで、本土では首都圏など大都市圏から離れた県の多くが人口減少に悩まされている中で、日本国内の米軍基地の大半を有しているとされる“物騒な!?”沖縄県は人口が増加している。
 平和そのものの我が山形県の人口は平成18年は120万7千人、平成21年は118万1千人と減少しているのに対して、沖縄県では昭和25年に70万人、そして昭和50年は105万人、平成2年は122万人、そして平成22年4月には138万5千人と着実な人口の伸びを示しており、うらやましい限りである。
 宜野湾市の人口については、1960年は3万人、1980年は6万人、そして現在の2010年4月は9万人とやはりかなりの伸びが読み取れる。
 普天間基地の沖縄県内移設反対の県民集会(たぶんかなりの県外からの応援もあったと思われる)には約10万人が参集したと報じられているから、沖縄県民は圧倒的に米軍基地に迷惑を感じていることを表しているかのようであるが、その「世界一危険」な基地のある宜野湾市から脱出する市民が相次いで人口が激減するどころか、逆にかなりの増加を示しているのはどうしてなのか。
 また、琉球大学などが那覇市から「世界一危険」な基地のある宜野湾市に移転したことや新たな宅地造成を進めたことなど自体が誤っていたことになりそうだが、それだけ沖縄では官民挙げて神経が図太いというべきか、それともそれだけ基地に「馴れっこ」になっていることを物語っているからなのであろうか。
 それはちょうど日常、騒音や事故の不安を感じながらもクルマ社会に馴れっこになっていて大して問題視もしない大かたの日本国民と同じようなものかもしれない。
 それにしても沖縄のいわば官民挙げてのような反基地気運と人口増加の間には大きな乖離がある。