今月の上旬に県内村山地方最北部の尾花沢と大石田を訪れた。
尾花沢は尾花沢でもかなり奥地の山あいの戦国時代の山城があった延沢地区が主たる目的地であり、そこからトンネルを越えて六沢の寺院を訪れ、山形城主の娘で延沢城主の妻となった松尾姫の墓がある寺を訪ねた。
さらに寺を出て、広々とした尾花沢の田園地帯をひた走りに走り、徳良湖に着いたら一休み。そこから尾花沢の中心市街地に入り、JR奥羽本線を跨いで大石田の街と最上川にかかる橋の上から最上川を眺め、JR大石田駅に戻って山形に帰った。
ブログ主である私は大石田駅から同じ大石田駅までの以上の全行程をすべてレンタサイクルで踏破したが、延沢の公民館の職員にとっても寺のおばはん達にとっても信じられないことのようであったようだ。
ともかく晩秋の季節ゆえ天候の激変だけが気がかりであったが、楽しい自転車ツーリングの一日であった。
決して若くはない私が大石田駅からはかなり遠い山あいの集落まで自転車ででかけられたのは私にとって自転車が日常の交通手段だからである。
多くの青壮年層が日常の交通手段を「クルマから自転車」に転換するならば、やはり自転車道(レーン?)の必要性を痛感するようになるであろう。
◆写真説明A:棚田状の延沢盆地 B:延沢城跡の城山と延沢集落 C:延沢と六沢の間のトンネル D:松尾姫の墓所の寺 E:これらのレンタサイクルの中の一台を借りた F:尾花沢盆地の田園風景 G:徳良湖 H:大石田の街並み I:最上川
尾花沢は尾花沢でもかなり奥地の山あいの戦国時代の山城があった延沢地区が主たる目的地であり、そこからトンネルを越えて六沢の寺院を訪れ、山形城主の娘で延沢城主の妻となった松尾姫の墓がある寺を訪ねた。
さらに寺を出て、広々とした尾花沢の田園地帯をひた走りに走り、徳良湖に着いたら一休み。そこから尾花沢の中心市街地に入り、JR奥羽本線を跨いで大石田の街と最上川にかかる橋の上から最上川を眺め、JR大石田駅に戻って山形に帰った。
ブログ主である私は大石田駅から同じ大石田駅までの以上の全行程をすべてレンタサイクルで踏破したが、延沢の公民館の職員にとっても寺のおばはん達にとっても信じられないことのようであったようだ。
ともかく晩秋の季節ゆえ天候の激変だけが気がかりであったが、楽しい自転車ツーリングの一日であった。
決して若くはない私が大石田駅からはかなり遠い山あいの集落まで自転車ででかけられたのは私にとって自転車が日常の交通手段だからである。
多くの青壮年層が日常の交通手段を「クルマから自転車」に転換するならば、やはり自転車道(レーン?)の必要性を痛感するようになるであろう。
◆写真説明A:棚田状の延沢盆地 B:延沢城跡の城山と延沢集落 C:延沢と六沢の間のトンネル D:松尾姫の墓所の寺 E:これらのレンタサイクルの中の一台を借りた F:尾花沢盆地の田園風景 G:徳良湖 H:大石田の街並み I:最上川
朝日新聞「百年企業@山形」(2010.8.26)に掲載。
②「さみだれをあつめて早し最上川」
奥の細道紀行中の芭蕉翁は、最上川に関する五月雨の句を二つ吟じている。①は滞在した大石田の舟遊び中に吟じたと言われ、②は本合海から清川までの下り舟の中で吟じたと言われる。
ともあれ、大石田で吟じた前の句を、後の句に訂正したと決め付けているむきもある。
大石田集落前の流れは淀であり、翁が舟遊びに出た当日は、平水、或いは平水を下回る水位であって、舟は涼を求めて上り下りを楽しめたことと思う。
本合海の水路は、元禄二年に翁は「水みなぎりて船あやうし」「五月雨をあつめて早し最上川」と吟じ、豊水の時期に下った水路であることに気付いたのです。
この二句は、各々所を得た郷土最上川の句であって、大石田で吟じた句を打ち消すことが出来ない。最上川は正岡子規が下り船に乗った折には、真夏の渇水の貌だけを見せ、芭蕉翁が乗船の時は、平水・豊水と二つの貌を見せたことになる。
戸田家が既に14世紀に栄えていたわけで、しかも近江商人も既にその時代から山形まで進出していたことになるわけですか?驚きです。
最上さま
「凉し」と「早し」の吟じた地点の違いが今まで無頓着でいました。教えていただいて有難うございます。
私が自転車と徒歩、公共交通にこだわるのは、過度のクルマ、特にマイカー依存により地方都市で駐車場の乱造を招き、地方の歴史的街並みがひどく破壊されていることに対する「一人だけのプロテスト(抗議)」の意志表示だからです。
以上、記載が寸足らずであったことをお詫び申し上げます。
参考:「戸田家のあゆみ」編集者戸田栄一、発行所有限会社ウロコヤ総本店、印刷:大場印刷
ある冬の夕に、板垣氏は「今夜は川下から吹きつけて逆波が立っている」と思わず言った。茂吉はすかさず「何、今なんと言った」と問い返した。板垣氏は素直に「今夜は逆波が立ってる」と言ったと答えると、「君、そう言う言葉は歌にしてからでなければ滅多に言うものではない」と言い、その後間も無く不朽の名作「最上川逆白波の立つまでに吹雪く夕べとなりにけるかも」が世に出る結果となった、とのことです。
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ただし、このブログは一応硬派の内容で、地球温暖化や歴史的街並みをズタズタにしつつあるクルマ社会などの問題を主題にしていることをご理解のうえでコメントくださるようお願いいたします。