島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

雪捨て場の今昔

2012-03-31 07:34:40 | 原子力発電所

 上の写真はいったい何だべ?
 一面に汚物が拡がっている光景だが、どうも下水道の週末処理場でもなさそうだ。
 だが、もし、この“汚物”の拡がりがなければかなり良好な景色になりそうだ。
 ところが、この“汚物”の実態は下の写真に見られる白いものと同じ物、つまりうず高く堆積した雪の“核の部分”なのである。
 ただし、その“核の部分”たる汚物の内容は戦前と現代とでは大いに異なる。

 この写真(↑)は戦前の新潟県十日町(現在の十日町市)の豪雪の様子を紹介している絵葉書であるが、ご覧のとおり道路は雪捨て場となっており、道路の両側に橇(そり)と人間が歩けるだけ除雪されているようだ。むろん、除雪といっても、路面の土がむきだしになるほどにはしない。
 むしろ、ある程度の雪がなければ橇の通行が不便になるから、地面が見えるようになったら、堆積した雪を崩して路面を覆うのだ。
融雪後はやはり泥が残るが、その泥は自然の土が水分と混じったものである。 
それにしても上の河川敷に堆積された雪がどうしてそれほどまでも汚れているのか。
 これらの雪のほとんどは舗装道路から運ばれてきている。
 だから、昔のような土がむきだしの道路から運ばれてきたわけではないから、汚れの多くが「土」による泥によるものとは思えない。
 むしろ、アスファルトやタイヤなどが磨滅して粉塵化したものが主体の泥ではないか。
 舗装道路では物凄い数のクルマが轟音をたてて疾走する。
 クルマの数が多ければ多いほど、また速度が速ければ速いほど硬いアスファルトの路面も、また車両のタイヤも磨滅が激しくなり、粉塵が巻き上げられ、路面(特に路肩)や周辺に沈下する。
 むろん、排気ガスに含有されている超微細な有害粒子や二酸化硫黄、二酸化窒素なども路面に沈下して道路とタイヤの粉塵に混じる。
 冬に路面が積雪で覆われると除雪車により路肩に堆積した粉塵が混じった雪が掻き寄せられ(下の写真を参照↓)、トラックやダンプにより指定された河川敷等に運ばれる。当然行政に多大な財政負担をも強いる。

 運ばれた当初は白無垢の“雪山”となるが、少しでも温暖になると粉塵による汚泥がむきだしになって写真のような絶景と化する。
 まもなく人工的汚泥は融雪とともに馬見ヶ崎川、そして最上川に注ぐことになるのだ。

 放射線量が事故原発が立地する浜通りからかなり離れている福島市や郡山市などから山形県内などに「子どもの将来の健康」を心配して自主避難している母子がすごく多いが、ここ山形市もクルマ社会起因の有害な汚染物質でこれほどまでに汚濁されていることにも気づいてほしいものである。これとて普段は放射能と同様に「見えない、臭わない」ものだし、少量の付着では同様に「直ちに健康に影響はございません」ということになるのであるが、やはり子どもたちが青年になった頃以降に健康被害が現れるということになるのではないか。

原発だめなら風力発電! でも・・・・

2012-03-24 23:59:03 | 原子力発電所

 国立公園や都道府県立の自然公園などにも自然エネルギー発生施設の設置が可能になりつつある。
 わが「山形都」、この呼び方ではハシズムになってしまうが、「山形県」には磐梯朝日国立公園、鳥海国定公園、蔵王国定公園、それに都立、否、県立自然公園もあり、県の面積のかなりの部分を占めている。
 つまりは、原発がだめなら風力発電や地熱発電、風力発電がこれからのエネルギー発生施設の建設を推進するべきということで、自然公園内にも新設すべきという官民の意向が強まっているわけだ。

 だが、万一、蔵王の中にどしどし風力発電のための巨大な風車が到る所に建設されるようになったら、それこそ写真(予想図としての合成写真)のような景観になってしまう可能性だってありうるわけである。
 むろん、そんなことはまずありえないと考える人は多いであろう。
 でも、電気自動車という名の「エコカー」を大衆化させようとするなら、蔵王の樹氷原であろうと蔵王のシンボルの御釜のすぐそばであろうとお構いなく風車を設置しないと、とても電気自動車で山形から九州まで観光ドライブなどできるものではなかろう。

被災地ボランティアは帰るな! 帰ったら厳格な除染を!

2012-03-14 10:44:05 | 原子力発電所

 被災地のガレキ処理をめぐり、ようやく被災県以外の自治体と国民の間で「受け入れ」を容認する声が強まっているが、むろん、「受け入れ絶対反対」の各県住民の声も大きく、むしろ受け入れ容認に急速に傾くことに「受け入れ反対派は非国民」呼ばわりされるのではないかということで反対派は一層行動を強める可能性が高い。
 それにしても全世界から絶賛されたかに見える日本国民、とりわけ被災県住民のもガレキの広域処理が遅々として進まないことが露わになったことで急速に色褪せてきているように思える。
 受け入れ反対派の主な、否、大部分の反対理由はガレキが高濃度に汚染されている怖れがあり、自分たちの自治体領域に持ち込まれることにより、被災地から遠く離れた我が町や村にも放射能汚染が広がり、特に子どもたちを危険に晒しはしないかということである。
 だが、事故のあった福島第一原発の至近距離のガレキならまだしも、放射能汚染がさほど深刻でない宮城県、岩手県のガレキまで放射能汚染が酷いと怖れて処理受け入れを拒否するのは被災地住民の神経を逆なですることになるのではないか。

 また、全国から被災者支援やガレキ片づけにかけつけたボランティアをも「放射能汚染人間」視することになりはしないか。
 現在も被災地ではボランティアの人たちが活動しているし、多数の芸能人も被災者を元気づけるために駆けつけている。だとすれば、芸能人ボランティアも被災地で空中に漂う「セシウム」をたっぷり浴びたり吸い込んでいることになる。そうならば超有名・無名のボランティアは被災地を離れてそれぞれのクニや職場等に帰ることはできなくなる。
 また、とりわけガレキ片づけに精を出したボランティアは今でも放射性物質を帯びているはずだから厳重な「除染」を強いられることになろう。
 AKB48の娘さんたちがガイガーカウンターを当てられ、そのうえで「除染」される姿が想像できようか。
 それこそ「荒唐無稽」の想像でしかないはずである。
 むろん、ガレキの量は膨大であり、全国の自治体が処理を受け入れたところで、それでも「スズメの涙」程度なのかもしれない。
 それでも、全国的なガレキ受け入れにより被災地住民はやはりあらためて「絆」を実感するのではないか。

 確かにガレキにはかなりの各種の有害物質が含まれていることは想像できる。
 その理由で受け入れ反対をするというのなら幾分理解できないことはない。
 しかし、岩手・宮城のガレキまで高濃度に放射性物質に汚染されているとして反対するのは如何なものか。

 一昔ほど前のことになるが、かつて「史上最悪の猛毒物質」として震撼されたダイオキシンのことはまったく話題にもならなくなまってしまったが、はたして「放射能はダイオキシンを上回る猛毒物質」ということになるのであろろうか。
 私にはとてもその実感はない。

前回の記事でも写真つきで述べたように、クルマの走行による大気汚染や粉塵公害のことも少しは気にかけてほしいものである。
 どす黒く汚れきった雪の塊はそのことを強烈に物語っているのだ。

◆写真は関連HPより

この汚れはセシウムのせいなのだろうか

2012-03-10 20:45:10 | クルマ社会の問題



 黒光りするほどのどす黒いのは何だろう。
 福島県民、特に原発被災者に元気を与えてくれたフラガールたちの故郷に今も残る炭鉱から排出されて築かれたボタ山のようでもあるが、決してそれほどの大きさのものではないし、かと言って何かの燃えカスが堆積したものでもなさそうである。
 この薄汚さの中に、白い雪のようなものも混じっているが、やはりどうやら雪そのものである。
 それにしても不気味なほどの汚さである。
 むろん、これを食べてみたいとか、舐めてみたいというような者は居ないであろう。
 ところで、この汚れの正体は何なのだろうか。
 もしかしたら、いま日本国中で一番有害なものとして怖れられているセシウムによるものなのだろうか。
 むろん、セシウムは「目に見えない、臭わない」のが特色だから、この黒さはセシウムの色ではない。
 これらの堆積物の山の所在地はすべて車道のすぐ脇にある。
 もともとは道路の除排雪によって車道脇に堆積させられた人工の雪山であるが、当初は純白でミニ・アルプスさながらにきらきら輝いていたのだが、やがて次第に黒ずんできて、ひどい場合は黒ペンキで塗り固められたようになる。
 どうしてこれほどまで黒ずんでくるのかを研究した学者の存在は知らないが、おおよそのことは推察できる。
 つまりは沿道の大気と路面自体も汚れきっているから、除雪の際に路上の粉塵が一緒に押し込められ、融雪に伴い露わになったり、沿道の大気の粉塵が降り積もったり、路面の泥になった粉塵がクルマの走行により跳ね上げられたりして「汚れ」に度を加えたものであろう。
 クルマの走行が多ければ多いほど、またクルマの速度が速ければ速いほど排気ガスに含まれる汚染物質や有害で微細な粒子が多く撒き散らされ、またタイヤの回転に伴い舗装道路の磨滅も激しくなり、それだけ多くの粉塵が生じる。

 一年前の大震災に伴う原発事故の後に放射性物質の「除染」が強く叫ばれる一方で、多数のクルマの走行に伴う有害物質の大量噴出にはきわめて鈍感になっているようだ。
 いかにセシウムが除染された(セシウム自体は減少するわけではない)としても、日本の大気には有害物質が蔓延し、路面は有害粉塵の生産工場であることを忘れてはならないだろう。
 車道の脇に堆積された人工雪山の極度の汚れはこのことを教えてくれているのだ。
 だが、愚かな車用族はなおもクルマの使用をやめようとはしないであろう。
 そしてセシウムさえ除染されれば「安全安心」が回復されると信じているようでもある。
 加えて言うなら、原発なしに現在のクルマ社会もありえなかった(※注)のだから、セシウムなど「受けて立つ」べきではないか。

  ※注 本体と諸部品の大量生産のためには膨大な量の電力が不可欠 また、特に夜間操業の場合は夜間も稼働する(日中と夜間で出力の上下が困難)原発は頼りになる。 

日本のローテンブルグで疾走する「雲助」

2012-03-06 22:04:41 | クルマ社会の問題



 重要伝統的建造物群で有名な長野県東御市の「海野宿」を訪れた。
 まだまだ冬同然のシーズンオフであり、生憎の雨模様でもあったので、観光客の姿は希で、自分だけの「貸切」状態であったが、土産物店もほとんどないし、資料館とて閉館の状態であったせいか、ただ通過するだけのクルマが歴史的景観にミスマッチであった。
 これらのクルマは決して私のような旅する者を乗せて法外な乗車賃をぼったくるわけではない。
 でも私はあえてこれらのクルマを「雲助」と呼びたい。
 なぜなら、路上で左右の素敵な歴史的建造物をゆったりと眺めようとしているところを「そこ退け、そこ退け」とばかりスピードを落とすことなく疾走し、危険を感じさせるだけでなく、騒音をふり撒き、落ち着いた歴史的雰囲気すら奪い取ってしまうからである。

わかってわからない「半減期」

2012-03-02 07:18:04 | 原子力発電所
 放射能を怖れる人も怖れない人もほとんどは放射能のことをわからないままでいるようだ。
 こういう自分も放射能のことがわからない。
 放射能に関する本を開いて読んでみても、むしろますますわからなくなっているほどである。
 たとえば放射性物質に関してよく使用される「半減期」という用語の意味であるが、これに関する解説に接しても、やはりますますわからなくなり、疑問が募るだけである。
 例えば、セシウムの半減期は40年と言われているが、セシウムの「単体」のことなのか「集合体」のことなのかもわからない。
 単体だとすれば、セシウムの原子核自体の構成要素である素粒子の数が半減するということなのか、もし集合体のことだとすれば、100個のセシウムのうち半分の50個のセシウムは死滅して残りの50個のセシウムは残存するということなのか。
 単体が半減するという場合は、その単体の放射線量は減少するということなのか。
 また、半減すれば別の元素に変容するとも言われているが、これまたわかりにくいことである。

 さらに、よく放射線量が上がっただの下がっただのとの報道がなされるが、例えばある地点で1か月後に10ミリシーベルトから5シーベルトに下がったとすれば、それをもって「半減」したということにはならないはずだが、どうなのか。
 とにかくわからないことだらけである。

 どうか放射能のことに詳しい方は是非「コメント」欄によりご教示ねがいたい。