上の写真はいったい何だべ?
一面に汚物が拡がっている光景だが、どうも下水道の週末処理場でもなさそうだ。
だが、もし、この“汚物”の拡がりがなければかなり良好な景色になりそうだ。
ところが、この“汚物”の実態は下の写真に見られる白いものと同じ物、つまりうず高く堆積した雪の“核の部分”なのである。
ただし、その“核の部分”たる汚物の内容は戦前と現代とでは大いに異なる。
この写真(↑)は戦前の新潟県十日町(現在の十日町市)の豪雪の様子を紹介している絵葉書であるが、ご覧のとおり道路は雪捨て場となっており、道路の両側に橇(そり)と人間が歩けるだけ除雪されているようだ。むろん、除雪といっても、路面の土がむきだしになるほどにはしない。
むしろ、ある程度の雪がなければ橇の通行が不便になるから、地面が見えるようになったら、堆積した雪を崩して路面を覆うのだ。
融雪後はやはり泥が残るが、その泥は自然の土が水分と混じったものである。
それにしても上の河川敷に堆積された雪がどうしてそれほどまでも汚れているのか。
これらの雪のほとんどは舗装道路から運ばれてきている。
だから、昔のような土がむきだしの道路から運ばれてきたわけではないから、汚れの多くが「土」による泥によるものとは思えない。
むしろ、アスファルトやタイヤなどが磨滅して粉塵化したものが主体の泥ではないか。
舗装道路では物凄い数のクルマが轟音をたてて疾走する。
クルマの数が多ければ多いほど、また速度が速ければ速いほど硬いアスファルトの路面も、また車両のタイヤも磨滅が激しくなり、粉塵が巻き上げられ、路面(特に路肩)や周辺に沈下する。
むろん、排気ガスに含有されている超微細な有害粒子や二酸化硫黄、二酸化窒素なども路面に沈下して道路とタイヤの粉塵に混じる。
冬に路面が積雪で覆われると除雪車により路肩に堆積した粉塵が混じった雪が掻き寄せられ(下の写真を参照↓)、トラックやダンプにより指定された河川敷等に運ばれる。当然行政に多大な財政負担をも強いる。
運ばれた当初は白無垢の“雪山”となるが、少しでも温暖になると粉塵による汚泥がむきだしになって写真のような絶景と化する。
まもなく人工的汚泥は融雪とともに馬見ヶ崎川、そして最上川に注ぐことになるのだ。
放射線量が事故原発が立地する浜通りからかなり離れている福島市や郡山市などから山形県内などに「子どもの将来の健康」を心配して自主避難している母子がすごく多いが、ここ山形市もクルマ社会起因の有害な汚染物質でこれほどまでに汚濁されていることにも気づいてほしいものである。これとて普段は放射能と同様に「見えない、臭わない」ものだし、少量の付着では同様に「直ちに健康に影響はございません」ということになるのであるが、やはり子どもたちが青年になった頃以降に健康被害が現れるということになるのではないか。