島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

除草と清掃工場

2012-08-28 22:49:30 | Weblog
 なんともうっとおしい光景。
 これは我が家の庭でそのままにしておいている除草作業後の雑草の残骸。
 普通だったら除草により刈り取られた雑草の残骸はビニールの「可燃ごみ」の袋に入れられて清掃工場行きになるのだが、かなりの量になるので、我が家では庭の空き地に野積みの状態にしている。
 ある親しい知人が経営する会社(郊外に立地)のすぐ隣地が新設される清掃工場の候補地になっているという。
 むろん、知人はすぐそばに清掃工場が建設されることには強く反対している。
 それを聞かされると私も雑草まで清掃工場に搬出することには躊躇してしまう。
 我が家の庭なんぞは決して広くはないのに、雑草はかなりの量になる。
 ましてや広大な敷地の邸宅では凄まじいまでの量の雑草になるであろう。
 だから、これをすべて袋詰めして清掃工場で焼却するなら、かなり焼却炉に負荷をかけることになるであろう。
 新しい清掃工場がどこに建設されようが、野積みで間に合うはずの雑草まで焼却するならば、この新しい清掃工場の耐用年数も短くなりかねない。
 雑草の野積みは是か非か?

わからないことだらけの放射能(2)

2012-08-17 00:28:38 | 原子力発電所
 放射能とか放射性物質、あるいは放射線と聞いただけでも「猛毒」の印象を持つ人は多い。  だから、チェルノブイリ原発の周辺は今でも「この世の地獄」の印象を抱く人がかなり多いのではないか。  地獄ならまだ良い方で、色んな怖い魔物が大勢待ちかまえている印象だが、大量に放射能で汚染された地域は魔物たちすら死に絶えて微細な灰になってしまいそうな感じである。  ところがどうしてどうして、現在のチェルノブイリ周辺はエデンの園の如く「動植物の楽園」と化しているようだ。  しかも、動植物だけでなく、原発事故直後一たん遠くに避難したものの、早めに戻った住民たちが現在も壮健で暮らしているようだ。  これをどう解釈すべきであろうか。  そう言えば、福島の事故原発の至近距離の沼地には事故後しばらくして多くの渡り鳥が羽を休めている報道写真を見たことがある。  これまた福島盆地や郡山など事故原発周辺よりはだいぶ放射線量が低い地域(それでも山形盆地よりはだいぶ放射線量は高い)から子どもたちとともに山形県内に避難している若い母親たちにとっても意外なことかもしれない。  でも、子どもたちの30年後の健康状態が心配だと言うだろう。  しかし、30年後には温暖化の進展による異常気象の頻発と更なる猛威により人類の多くが常に生命を脅かされている状態になっているかもしれないのである。  放射能と温暖化のどちらがより心配すべきであろうか。

送電鉄塔群と発電風車群

2012-08-06 20:47:53 | 原子力発電所
 先月、県内の某所に出かけた。
 第三セクターの鉄道の車窓から送電鉄塔が並んでいるのが見えた。
 私は「自然エネルギー」による発電についてさえ或る大きな懸念を抱いている。
 それは「景観破壊」のことである。
 原子力発電や化石燃料による火力発電ほどの高出力が期待できない風力発電や太陽光発電の場合は発電設備たる風車や太陽光パネルを数多く設置する必要に迫られる。
 当然、それにより景観は大きく損なわれることであろう。
 だが、送電鉄塔の並びを目にして、既に日本の景観は大きく損なわれていることに気付いた。
 牧歌的な農村景観や草原、奥深い山林の中にも、それこそ「野越え山越え」で巨大な鉄塔群が列をなしている。
 送電鉄塔の真下では強力な電磁波が発生しているのだという。
 それなら発電用風車の真下でも電磁波に注意する必要があるのかもしれない。
 もし、どうしても巨大風車群及びメガソーラー群も必要で、同じく既存の送電鉄塔群も必要なら、それらを一体化することはできないものか。つまり、既に景観を壊し、さらに電磁波の不安を与えている巨大鉄塔に風車とソーラーパネルを取り付けることはできないものかということである。
 同じことは街なかの電柱についても言える。
 街の電柱についても街並み景観を損なうものとして「電線の地中化」が図られている場合が多い。
 その「地中化」が困難な場合は、送電鉄塔と同様に小さいながらも太陽電池や風車を取り付けたらどうだろうか。

わからないことだらけの放射能(1)

2012-08-02 23:54:42 | 原子力発電所
 オリンピック報道の功績。
 それは放射能の恐怖を和らげてくれていること。
 むろん、ロンドン・オリンピックが開催されてからも、反原発運動の報道はなされているし、どこそこの放射線量が依然高いままであるとか、やや低くなったとか、また、東電の賠償責任はどうのこうのといった報道は確かにあることはある。
 でも、報道されていることと国民の関心の強弱は別の問題のようだ。
 それでも、オリンピックが終了すれば再び放射能の恐怖がよみがえることであろう。
 しかし、放射能を怖がる人たちがどれだけ放射能のことをわかっているのかと言えば、それはすこぶる怪しいと言わざるをえない。
 私自身は低線量の放射線量ならほとんど怖がらない方の者だが、やはり放射能のことは知ろうとすればするほどわからないことだらけであることに気付かざるをえないのである。
 例えば「高い放射線量」ということ一つを挙げてみても、それは一体どういうことなのかわからない。
 セシウムの個数が多いと放射線量が高くなるのか、それともセシウム個体にも強弱の違いがあるのかすらわからない。
 放射性ヨウ素のように半減期が短いものが放射線量が高いのか、それともストロンチウムやウランのように半減期が長いものが放射線量が高いのかの区別すらわからないでいる。
 半減期が8日間という短いヨウ素はすぐ消滅するだけさほど恐怖はわかないものだが、セシウムのようにたかだか30年の半減期でも、その40年という年月を聞いただけでもうんざりする。ましてや何億年という各種については「猛毒」という印象を持つのは間違いなのか。
わかる方にはぜひ教示ねがいたい。  続く