島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

時事・日本史・音楽史クイズ

2011-08-25 21:47:50 | 原子力発電所

 さ~て、上の写真は並んだ3人の男たちの肖像だが、そのうち一人くらいは多くの人たちにとって結構馴染みの顔だと思う。
 また、他の一人については日本史上に登場する異国人だから、日本史に詳しい御仁ならだいたい検討がつくのではないか。
 そして、もう一人はかなり現代人に近い人物のようで、今年になってから彼の名前を聞かない日はないほどであるが、意外に顔はほとんど知られていない。

 そこで、人物クイズである。

 先にヒントを一つだけ出しておこう。
   ⇒ 3人ともお互いに大変似た名前(姓)である。

◆第1問:生年の古い順に並べるとどうか?

◆第2問:名前を聞いただけですやすや眠れるようになる人物はどれか?
      そしてその名と国籍は?

◆第3問:ここ数か月の間で耳にタコができるほど聞かされる名の人物はどれか?
      そしてその名と国籍は? また業績は

◆第4問:ほんの少しだけ山形との接点がある人物は誰か?
      そしてその名と国籍は? また山形との関係は?

◆第5問:生年も没年も丁度100年違いがあるのは誰と誰か?
 
  ⇒ 回答は写真の下

  ↑ 最上家を始め歴代の山形城主が湯治のため宿泊し、また近代になってからは少なからざる皇族たちも宿泊した蔵王温泉の高見屋ホテル。

◎上のクイズの回答     
・第1問:真ん中の青い服の人物、左の眼鏡の人物、右の顔の大きい人物
・第2問:左の眼鏡の人物 シューベルト オーストリア
・第3問:右の人物    シーベルト  スウェーデン 原子物理学の研究
               彼の名が放射線量の数値単位となった
・第4問:真ん中の人物  シーボルト  ドイツ(長崎のオランダ商館員)
       山形県楯岡出身の探検家最上徳内と江戸で会っている
・第5問:シーボルト(1796-1866)とシーベルト(1896-1966)

知らぬが仏

2011-08-23 23:07:39 | 原子力発電所
 原発事故に伴う放射性物質の被害が広がっている。
 その情報が伝われば伝わるほど住民の多くが不安を拡大させる。
 今までも現代社会では数多くの化学上の有害物質が大気中に飛散したり、地下水に浸透したり河川に流出したりしてきたが、これほどまでに不安がられたことはかつてなかった。
 放射性物質は見えない、臭わないなど五感で感じることができないがゆえに一層怖く思われるようだ。
 だが、他の有害物質とて多くは同様に見えない、臭わないものなのだ。
 それでも放射性物質は五感で感じられないだけでなく、数値で示されてもわかりにくいこと夥しい。
 例えば、放射線量について「0.2ミリシーベルト」の測定値が示されたとしても、その放射線の放射源たる物質がどこにどのような状態で存在しているのかがわからない。
 つまり、地上の表面に一粒だけあるのか、地表のわずかに下に複数あるのか。
 放射線量の高低は物質の種類によるものなのか、それとも数の多い少ないの差異によるものなのか。
 また放射線の放射源たる物質がセシウムなのかヨウ素なのかストロンチウムなのか、カリウムなど自然放射能なのか。
 セシウムの場合、それがすべて福島原発からのものなのか、それとも中国の核実験によるものなのか。
 例えばセシウム137の場合、5ミリシーベルトという高い数値が測定されたとすると、数多いセシウムが高密度の状態になっているから高い数値になったということなのか。
 知人の計測器を借りて街を歩きながら数値を見てみたが、見れば見るほどそれらの数値が語る意味がわからなくなった。
 ああ、いいかげん、数値の高低などどうでもよくさえなってしまう。
 その数値の変動のたびに一喜一憂するのも精神衛生上好ましいとはいえない。
 いっそうのこと無関心、三猿主義(見ざる聞かざる言わざる)に徹したくもなる。
 悟りの境地のようになれば、まさしく何も知らないことによってホトケに同化できそうだ。

 でも、私は人間だ。やはり知りたくもなる。
 そして、行政や電力会社はできるだけ詳細な調査や測定、そして情報提供をこまめにやってほしいものだ。

◆写真は山形市鮨洗宝積院の十一面観音。国の重要文化財。
 このような澄み切った顔になかなかなれないのが人間。

この建物、発電所に見える

2011-08-19 13:59:25 | 原子力発電所

 ありふれた何の変哲もない建物の写真が2つ。↑ ↓

 一つは単独施設だが、もう一つは複合ビルで、その中にもう一つの写真と同一の機能を備えた施設が入居している。
 この2つの建物がブログ主には発電所に見えるらしい。
 だが、どう見ても発電所には見えないことはブログ主にも分かっているから、どうもこの2つの施設の割合に近い将来像を希望的観測により透視しているようでもある。
 さて、ここでクイズを2つ
 第一問。この二つの施設の機能は何? つまり一般的な言葉ではどんな施設。
   ヒント ここを訪れる人の多くはクルマで来場するが、中では自転車こぎみたいなこともやる。
   正解の場合はこの施設(民間の営業的施設)にとって良きPRとなろう。

 次に第二問。ブログ主がこれらの施設がどうして発電所に見えるのか?
   正解または正解に近い方はなかなかエコ意識が高い、もしくはメカに強い方。

文化貢献欠如のクルマ社会

2011-08-13 07:36:42 | クルマ社会の問題
 姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」(←クリック)の最近の記事と写真でもとりあげたが、あらゆる建築物の中で駐車ビルほど無骨で殺風景なものはなく、文化性が欠如しているものはない。
 もっとも現代建築は機能性重視、機能性優先のために装飾性を極力排除する傾向が強いものだが、それでもなんらかの機能美のようなものは留めているのが普通である。
 これに対して駐車ビルにはその機能美すら感じられるものは希である。
 駐車施設といえば他に平面施設としての駐車場、地下駐車場、そして駐車タワーがあるが、いずれも街並み景観を酷く損なっているものがほとんどであり、日本的美観にはそぐわない
 むろん、駐車タワーのような高さはないが、駐車ビルとて前術のように無骨で殺風景であることには変わりがない。
 ともかくも若者を中心にした「クルマ離れ」が進んでいると言われている中にあっても、市街地における駐車施設が占める面積は激増の一途を辿っているが、これらの駐車施設の「乱造」による街並み破壊は著しく進展するばかりである。
 駐車施設には風情、風格、情緒、潤い、優美、典雅、瀟洒などを感じさせるものはない。
 それゆえ、駐車施設が増えれば増えるほど街から文化的要素が蚕食されていくということである。
 今までもクルマ自体が文化財となったことはほとんど聞いたことがないし、クルマ生産の工場施設が産業遺産となったこともほとんど無いように思える。[もし存在を知る方には教えていただきたい。]
 古い街道が「歴史の道」として指定されることはあっても、高速道路などが文化的財産として永く後世にまで保存されるという見込みもなさそうである。ということは現代の道路はいわば消耗品でしかないということであり、付属する駐車施設もまた後世に長く伝えるべきものではなく、同じく消耗品なのであり、それゆえ文化性を備えておく必要性は無いということであろう。
 だから、駐車ビルが世界遺産に登録されることがあったら、それこそ奇跡であり、「想定外」ということになろう。

◆写真は姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」(←クリック)の写真とは同一対象(真ん中の建物が新しい駐車ビル)を別の角度から撮影したもの。 駐車ビルに特有の耐震用の斜めの支柱が目立たぬように左右を細長い建材でおおうようにしたが、かえって目をちらちらさせる外観となった。

雑草を焼却するしか能がない現代人

2011-08-07 00:23:27 | 地球温暖化
 前回の記事で紹介した市街地中心部の「自然植物園」が写真撮影のすぐ翌日には見事に草花が一斉に刈り払われ、ほとんど丸坊主状態になっていた。
 それにしてもあれだけ伸びきった草花はすべて雑草としてどこかに運ばれたわけだが、大かたは「燃えるゴミ」として清掃工場に運ばれたと思われる。
 あれだけ大量に発生した“雑草”であるから、当然個人だけで刈りはらえるような量ではなく、業者が刈り払う作業にあたり運んだのだろうが、それにしても二酸化炭素を吸収する草花を死滅させた上に清掃工場で二酸化炭素を大気に放出させるなんて、現代社会は非合理的なことしかできないようである。
 個人宅でも除草すれば多くの場合可燃ゴミの袋に入れてゴミ集積所経由で清掃工場に運ばれる。
 でも、雑草も焼かれなければやがて栄養豊かな土になる。
 そして土になった元の雑草はさらに新たな植物を育み、虫たちに蜜などの栄養を与えて生物界の循環型生態系の基盤となるのだ。
 だから、焼くだけなんて「なんとモッタイナイ」。
 どこかに公的な刈り取った雑草の集積所を設けてほしいものだ。

◆前回の記事を参考にしてください。

夏草や放射能どもが夢の床

2011-08-02 23:47:17 | 原子力発電所
 連日放射能汚染のことが報じられている。
 最近はもっぱら牛肉汚染と牛が食べた稲わらのセシウム汚染、それからその他の農産物への汚染のことまでが心配されている。
 むろん、学校校庭の土壌や児童遊園や芝生の汚染についてはかなり以前から報じられていた。
 ということは草むらなんかもかなり放射性物質が付着していると考えてよさそうである。
 山形盆地内の放射線量はかなり低い方であるが、決してゼロではないから、我が家の近くの今はすっかり都市部の“自然植物園”化している空き地の草むらにもわずかながら放射性物質が付着しているとみてよさそうである。
 それらに比べてアスファルトやコンクリートの路面に降りた放射性物質は風で吹き飛ばされたり雨水で流されたりするので、付着したままは少ないので、被曝の危険性は低いということである。
 ということは詩情の一かけらもないアスファルトやコンクリートの地面ほど健康のために良く、「子どもたちの安全安心」のためには日本国中をアスファルトやコンクリートでおおい尽くすべきということになる。
 ああ、原発建設のためにも土建屋は大儲けしたうえに、放射能対策のためにも土建屋の出番は激増するというわけか。