島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

山形映画祭でクルマ社会見直しの映画

2009-09-30 22:18:02 | クルマ社会の問題
 隔年開催の山形国際ドキュメンタリー映画祭が10月8日から15日まで山形市内の6会場で開かれる。
 インターナショナル・コンペティション部門15作品の中で『オート・メート』という作品はチェコのプラハでのクルマ社会見直しの運動を綴ったものである。
 この作品の上映日時と会場および山形映画祭について詳しくは下記URL。
   http://www.yidff.jp/2009/ic/09ic01.html

 また、当ブログで6月17日から24日までの間に4回シリーズ「道路の整備で限界状況を迎えた山村」で紹介した上山市(山形市の南隣)の古屋敷集落を訪ねるツァーと上記映画祭の原点のドキュメンタリー映画ともいうべき小川伸介監督の『ニッポン国古屋敷村』の上映会を紹介したい。
 詳細は下記写真をクリックくだされたし。

高速道路の無料化問題を考える ⑤

2009-09-25 23:37:25 | 地球温暖化
 鳩山首相が国連において二酸化炭素を2020年までに90年比で25%の削減を宣言した。
 でも、この鳩山民主党政権は同時に高速道路の無料化をも公約しているから25%削減はきわめて困難になるのではないか。
 民主党や高速道路の無料化を提言したシンクタンク氏はこれによりむしろ二酸化炭素の排出は低減するなどと論じている。
 論拠としては、無料化により高速道路、とりわけ従来は利用度がきわめて少なかった地方の高速道路の利用者が増えれば狭くて他の道路との交差が多い一般道路の渋滞が減少するから二酸化炭素の排出が低減するのだという。
 だが渋滞だけが二酸化炭素の大量排出を招くわけではない。
 低速よりも高速の方がよほど二酸化炭素を多く排出するし、高速道路を利用すれば、当然距離も格段に伸びるし、結局は走行時間も増えてしまう。
 しかも、高速道路内だけを走行するクルマは存在しえない。必ずや外部から高速道路に進入し、また高速道路から外部の一般道路へと退出して目的地へと向かう。
 高速道路料金が高額なうちは遠距離走行を控えていたクルマも現在のような1000円乗り放題や無料化により遠距離走行がやりやすくなり、結局は走行距離も走行時間も格段に伸びることとなろう。
 こうして地域外から進入するクルマが多くなり、今まで渋滞が少なかった地方の一般道路でも渋滞が多くなる可能性がかなり高くなるであろう。
 鳩山政権が本気で二酸化炭素排出を25%削減する気なら、高速道路の無料化政策を撤回すべきであろう。高速道路の無料化政策は二酸化炭素大幅削減を本気で考えていない証しでもあるからである。
 クルマ社会に対する大幅な見直しとその実施こそが二酸化炭素大幅削減の最も効果的施策なのである。このことを抜きにして「地球温暖化防止」なんぞは「夢のまた夢」でしかない。

高速道路の無料化問題を考える ④

2009-09-21 21:57:56 | クルマ社会の問題
 このゆったりした道路はどんな道路なのか。
 ほとんどクルマが走っているようには見えないが、あえてクルマの姿が見えないタイミングを狙って撮影したためでもある。
 その方が道路の形状や外観が把握しやすいからでもある。
 だから、この道路は農山村部を縦断する道路であるにもかかわらず、普段はかなりのクルマの通行が見られる。むろん、朝の通勤時間帯にはかなりの通行量になる。
 通勤時間帯の通行量が多いというからには走行するクルマの多くが普通乗用車ということになる。
 しかし、この道路の本来の建設目的は普通乗用車の走行のためのものではない。
 この道路の一部は現在「県道」に格上げされたが、前後は今なお広域農道またはスーパー農道となっているから、農林水産省からの予算支出により軽トラックなどの農業用車輌の走行のために建設されたはずであるが、通常走行するクルマの大半は農業用以外の車輌である。
 この広域農道は一種の高規格道路であるために車線数は決して多くはないものの、ゆったりした幅であるために、走るクルマの多くは高速道路と勘違いしているかのようにかなりのスピードを出している。
 いわば農水省はマイカー族のために事実上の無料の高速道路を建設してやったようなものである。
 高速道路無料化の提唱者は本来高速道路は無料化されることを前提として建設されているのだから、無料化するのは当然だと述べているが、それなら農業用車輌の走行のための道路であることを前提とした「広域農道」を県道や国道などの一般道路に変更するのはおかしなことと主張するべきであろう。
 ついでに、高速道路についても走行する車輌には優先順位があるべきであろう。
 つまり、緊急車輌を最優先とし、次に路線バスなどの公共車輌、トラックなどの業務用車輌と続き、普通乗用車は最後尾とすべきであろう。
 たとえ緊急車輌等は無料としても、普通乗用車(ほとんどは私用の走行で緊急性は低い)まで無料とはすべきではない。

高速道路の無料化問題を考える ③

2009-09-16 23:10:49 | Weblog
 「無料」を外国に倣う必要なし   高速道路無料化提唱者によれば、無料にすべき論拠として幾つか挙げられるうち、欧米諸国の高速道路のほとんどが無料であり、また、東名高速などはそもそも料金収入により債務を完済した時点で無料化すると決められていたから、いつまでも有料のままにしておくことは不当だということが無料化の大きな理由のようである。
 後者については後日論じることとして、前者の欧米諸国の場合に関してであるが、高速道路の建設費において日本と欧米とでは格段の高低の差があることを無視して論じることはできない。
 欧米の場合は土地が公有地が多いとか、私有地であっても地価が日本と比べてかなり安いから用地取得にかかる費用も低額で済むことが多いと思われ、また、欧米の場合は平原とかなだらかな丘陵が多いのに比して、日本の場合は地形が複雑で、山あり谷ありの地形が多い所に広い道路を建設することは技術的にも困難で、それだけでも費用はものすごく嵩むという事情がある。
 つまり用地取得にかかる費用と工事にかかる費用の合計は欧米の場合と格段に高額になるので、ただ単に無料とするのには無理があると言える。
 むろん、高速道路ばかりでなく、一般道路についても国や自治体の財政を逼迫させるほどに費用が嵩んでいるから、可能ならば一般道路についても有料にしてもおかしくないはずなのである。
 ◎写真 前回の記事で紹介した地図に記された道路のうち、手前が東北中央高速道、向こう側のアーチ橋が県道51号線。地峡のような狭隘な地帯に、この他2本の国道、2本の県道の計6本の幹線道路が併行している。

高速道路の無料化問題を考える ②

2009-09-12 22:01:15 | クルマ社会の問題
 今日は山形市内南部の地図により、過密な道路状況を紹介したい。
 6本の幹線道路が南北に走っているが、一番西側の国道から一番東側の県道までを距離にすると約4kmである。つまり、この4kmの間に6本もの幹線道路が走っているわけであり、平均するとその間隔は1kmに満たないことになる。
 この中で戦前からの道路はわずかに2本だけで、旧羽州街道(現県道)と一番右の現県道(旧国道13号)である。
 現在の国道13号は当然クルマ社会の進展により旧国道13号に代わって新しく切り開かれたものである。また、あとの3本の幹線道路(東北中央高速、国道、県道)はごく近年に新設されている。
 つまり、クルマ社会の著しい進展によりこの地帯の幹線道路は戦後しばらくしてから3倍にも増えたことになる。この現代人、特にクルマ使用者の強欲ぶりにはあきれるばかりである。
 古い2本の県道は歩道もまともに整備されておらず、片側1車線でしかないから、50km/hの制限速度を大幅に超過するクルマはごく僅かだが、新しい国道と県道においては、交差点の前後以外の区間では60km/hの制限速度を大幅に超過して走るクルマが大半であるから、事実上の「無料」の高速道路であり、それだけに「有料」の東北中央高速道路を走るクルマは確かに少ない。
 こう考えると、高速道路とそれ以外の幹線道路の大きな差異は「有料」か「無料」かにあるのではなく、建設資金の出所の違いにあるのであり、つまり「借金返済」の義務を要する道路か不要な道路かの違いでしかない。
 クルマ社会の進展は確かに日本の経済発展に大きく貢献してきた。だが、あまりにも過剰なクルマ社会の進展は一方で、事故の多発や大気汚染、地球温暖化、中心市街地の空洞化、公共交通の衰退、街並み景観の崩壊、公的機関の財政難など様々な弊害や負荷も生み出している。
 それゆえ、高速道路に限らずすべてのクルマ走行可能な道路は税以外の直接的な「受益者負担」つまり「有料」とすべきであるが、他の中小道路との交差が多過ぎ、それだけ料金所設置は不可能なために、有料化を断念する代わりに税金において大幅な負担増を求めるしかなくなるであろう。(とりわけ自家用車)
 新設や改修(つまり拡幅)された国道や県道の郊外部分が事実上の無料の高速道路化し、片や地方の高速道路の利用が低迷している現実を見れば、確かに高速道路の「無料化論」にも一理はある。
 もし、民主党が公約する高速道路の無料化を是認するとすれば、やはりクルマ所有者・使用者(とりわけ自家用車)に対する課税強化は避けて通れなくなるし、「渋滞解消」策による公共交通機関充実の最良の手段としても有効であろう。

高速道路の無料化問題を考える ①

2009-09-10 21:47:56 | クルマ社会の問題
 既に無料の高速道路は至る所に
 通常、高速道路とは「交差点などを無くすなどの出入り口制限の実施や、上下分離することなどでクルマの高速走行を可能とした道路のことであり、他の道路とは独立しており、クルマの出入りは交差点を用いず、インターチェンジを用いる。また信号機も用いない」道路のこととされている。
 つまり、外観の構造上は高床式の「檻の中」の道路であると言える。
 だが、実際に走行するクルマの速度を見る限りは「高速道路」と「一般道路」とでは大差がないようにも思えてならない。
 今日はJRローカル線の普通列車に乗車したが、このローカル線と併行する国道を走る乗用車の速度の速さには怒りを覚えるほどだ。
 国道とはいえ高速道路ではないから確か制限速度は60kmのはずだが、私の乗車している列車と速度は変わりがないから、多分80km以上は出ている。
 それも1台や2台ではなく、途切れもなく続いて走るクルマのほとんどが同じ速度で走っていることは確かである。
 市街地を離れた人家などが少ない農村地帯ということもあって、交差点も少ないために存分に速度を上げて走りたくなるのであろう。
 だから、もう事実上の高速道路である。
 それも無料で走っている。
 このように、国道であれ県道であれ市町村道であれ、郊外部の一般道路は車輌が特別に多くならない限りは「事実上の無料の高速道路」となっている。
 これでは高い料金を支払ってまで「檻の中の道路」を利用しようとするドライバーが少ないのは当然であり、こんな事情から「高速道路の無料化」が提唱されるようになったのであろう。
◎写真 山形市東部を走る国道13号 高速で走る大量の車の騒音で里山の情緒は死滅状態

高速も県道も区別が困難

2009-09-08 00:31:45 | クルマ社会の問題
 前回の記事の続きになるが、「幻の古戦場」を文字通り「幻」にしてしまった高速道路とほぼ併行に走る幹線道路があるので、まるで2本も高速道路が併行しているように見えるほど、どちらも膨大な予算が投じられていることが伺えた。
 幹線道路とは言っても県道であるが、二車線で、かなりゆったりとした幅に造られているし、走行するクルマもかなりの速度(たぶん高速道路と大差はないようだ、むろん違反速度)を出しているから、やはり高速道路が2本も併行して走っているのと同じようなものだ。
 ただし、今のところは高速道路は有料だから、たとえ1000円でも近距離ならば県道の方を走るだろうから、やはり高速道路を走るクルマは少ない。
 また、高速道路は両脇が高い金網と生垣が張り巡らされているから、まるで米軍基地のようであり、これが一般道路との大きな違いであろう。
 ともかく、建設費だけでも膨大であり、それに維持管理費もかなりになろう。
 高速を無料化などとんでもない。県道とて有料にすべきくらいに公費が投じられているはずだが、そのためには料金所を高速道路の何十倍も新設する必要が生じよう。

◆写真[上左]これが県道。この瞬間は車輌数が少なかった。[上右]手前が高速道路、向こうが県道のアーチ橋[下左右]高速道路。金網によじ登ってもこの程度しか撮影できず。たぶん、右の路面あたりが古戦場か。夏草や兵どもが・・・と吟じたいところだが、草も生えぬアスファルトでは詩歌の心も湧かない。

古戦場は高速道路の橋の下?!

2009-09-06 22:11:22 | クルマ社会の問題
 幻の古戦場がいよいよ本格的に幻に

 戦国時代の末期、米沢の伊達輝宗と上山城主との連合軍が山形城主の最上義光の軍勢とが戦ったという「柏木山古戦場」はこのあたりと考えられている。
 伊達輝宗とは有名な伊達政宗の父であり、その妻は最上義光の妹であるから、義理の兄弟が戦ったことになる。
 後世の江戸時代になって著述された数点の記録書や軍記物にその旨が記されているが、具体的な年号が記されていないために史実性が疑われ、「幻の古戦場」とも言われている。
 だが、当時の混沌とした時代背景からすると、この種の戦闘はまったくありえないことではない。
 ともかく確かに最近までは「柏木山古戦場」と記された案内説明版があったはずだが、先日訪れた時にはとうとう見つけることはできなかった。
 上の写真の丘陵のすぐ背後には「東北中央高速道路」が走っており、その建設の際に取り外された可能性が高い。
 地元の郷土史家たちはこの丘陵の南麓(写真では向かって左側)一帯で両軍が戦ったと考えているようだ。
 したがって、下の写真はその高速道路だが、ちょうど橋の下や橋がとぎれた盛り土の上に道路が敷設されたあたりが戦場の中心部だったと考えられる。
 またしても、「クルマ社会」は歴史を消してしまったと言える。
 たとえ「幻の古戦場」であっても、更に「幻」にしてしまったわけである。
 この記事を大阪の「橋下」知事さんにも読んでもらいたいものだ。
 でも、あまり関係ないか。

◆関連記事  姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」(9月7日付けの記事)(←クリック)

人命か静寂か(“エコカー”の静音問題)

2009-09-02 19:59:18 | クルマ社会の問題
 いま、ハイブリッド・カーなどの“エコカー”の売れ行きが好調のようだが、思わぬ所から次のようなクレームと要望が寄せられており、メーカーはむろん、行政もその対応に苦慮しているようである。
 “エコカー”なるものが本当に環境に優しいのか、とりわけ地球温暖化の主要因である二酸化炭素の排出削減に貢献するかどうかについてはやや疑問であるが、今回はこの問題は問わないことにしたい。
 そのクレームとは、“エコカー”がガソリンエンジンを駆使することが少ないためにエンジン原因の騒音の低下により聴力が低下した高齢者などには後方にクルマが近付いていることに気付きにくくなって事故の危険性が高まり、それゆえに別に音が出る装置の付加が要望されるということのようである。
 “エコ”であるとか“環境に優しい”ことの大きな一つとして“騒音”の低減が挙げられるはずだが、それにより事故の危険性が高まるのだとすれば、“騒音”も人命のためには不可欠であり有用ということになる。
 しかし、これは明らかに本末転倒の議論である。
 問題はクルマの騒音が低減されたことにあるのではない。
 いかに騒音が低減されたにせよ、クルマという重量のある物体がか弱き肉体の人間が歩行したり立ち話したりする所に殺傷力のあるスピードで走行することに問題がある。いわゆる制限速度でさえ生身の人間を殺傷する力は充分にあるのだ。
 だから、対策としては新たに音響装置を付加することではなく、少なくとも高齢者や児童などが多く利用する生活道路においてはホシュ主義=歩主主義、つまり「歩行者主体」「歩行者優先」にしてクルマは極力徐行とすべきではないか。
 エコカーよ、そこのけそこのけ人様が通る。
 えっ、これではますます景気が沈滞する?
 心配御無用! 欧米各地の歩行者優先の街はどこでも活気に溢れ、賑わっている。(写真はいずれもハイブリッドカー。再掲)