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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

◆私個人に関してはコロナ様様!?◆

2021-09-03 22:39:23 | 原子力発電所
昨年春から今年にかけてはティシューペイパーの箱がなかなか減らない。
一昨年までは一年に3~4回程度は鼻風邪を引いていたからゴミ籠が年がら年中使い古しのティシューペイパーで埋まっていたものである。だから、箱もすぐ何箱にも取り替えていた。
ところが昨年の晩冬から鼻風邪を引かないようになっている。
これは昨年の初春からのコロナ禍とも関係があるように思える。
新コロによるウィルス干渉のためにインフルエンザが極小になっているのと同じように、従来型の風邪は抑止されているのかも。
また、昨年当初の厳寒期までに在来コロナウィルスによる鼻風邪で免疫力が培われてきたためか、猛威を振るう新コロの体内侵略や増殖をかなり抑止しているために“感染”しないとも考えられる。
私の他にも同じような人がかなり居るようだったら、「免疫力」の実証にもなる。
ともかくも、マスク屋さんなどは好景気でも、もしかしたらティシューペイパー屋さんは不況かも・・。

◆コ+ロ+ナ=君の名は?徒然草 その④◆

2020-06-18 11:30:54 | 原子力発電所

第二波、第三波?
しめしめ、うっひひ~!
“コロナ”の名を盗用されて怒り心頭なのは太陽コロナ(写真・左)である。
首都圏まで緊急事態が解除がなったというに、「新しい生活様式」の名によりしばらくソーシャルディスタンスなど三密回避のため店舗や役所の窓口でも透明の遮蔽板を設置するようになったし、各国とも邪悪なゲリラ部隊の“残党”狩りの段階に入っていたかに思っていたら、その残党はなかなかしぶとく、北九州市などでは再び感染者数が増大している。
娯楽施設でも椅子などを消毒液を浸した布で丁寧に拭く姿が頻繁だ。大半の企業は倒産に怯えているのに、消毒液やマスクなどの生産者は多忙をきわめているのだろう。
そんなこんなで日本国中、否、世界中の行政も経済も福祉や医療も麻痺し混乱の中にある。
でも、それでも逆にほくそ笑んでいる者も存在する。
全世界に波状的に工作員を含むゲリラ部隊を送り込んで全世界を翻弄し麻痺させることに“成功”したコロナ帝王である。
世界史的に見ても、これほどの規模で世界を席巻した帝王は見当たらない。アレクサンダーもジンギスカンもナポレオンも顔負けである。
明智光秀よろしく「三日天下」を遥かに超えて「三年天下」にすらなりそうである。
三年も待たずに、太陽コロナ様の助力を願いたいものだ。

コ+ロ+ナ(=君)の名は?徒然草 その➂

2020-06-14 22:46:05 | 原子力発電所

老舗デパートもフェイスシールドをしていればよかったのに。
廃業して空き家になった旧老舗デパートのビルをよく見ると外壁はかなり汚れが目立つ。この汚れはかなり以前からであったが、汚れ落としの工事費の捻出もままならなかったのであろう。
そもそもこの汚れの要因は「大気汚染」によるもので、山形の場合の多くはクルマ走行に伴う排ガス、タイヤで削られたアスファルト道路からの粉塵、更には大陸からのPM2.5などが要因である。
これを多くの山形美人も山形イケメンも吸い込んできている。だから、コロナウィルスの襲来以前からマスクやフェイスシールドを着用していても不思議はなかったはずだが、まるでイスラム社会を彷彿とさせるようなマスク姿の群衆の大半はマスクとは専らウィルス感染防御のため、せいぜい花粉症対策のためのものとしか考えていないであろう。
コロナウィルス軍団が消滅しても、大気汚染は残るはずである。


降りしきる雪の中でも無雪の歩道

2017-01-16 05:21:30 | 原子力発電所
[2日前の写真です。昨日、今日はもっと雪の量がすごいです。]
降りしきる雪の中でも無雪の歩道。
除雪が後回しの自転車道には細い車輪の轍(わだち)がくっきり。
除雪しきれない車道は危険だらけ。
ともかく列杭による車道との立体的区画により駐停車のクルマがないので、自転車道は死なない。
ところで歩道が無雪なのは豊富な地下水利用(循環式)の融雪パイプが張り巡らされているから。これは山形の自慢の一つ。

◆絶対正当、無謬は御役所教のドグマ◆

2017-01-13 20:46:13 | 原子力発電所
 官僚制度は19世紀ドイツの近代化を効率的に推し進めたとして学問的に評価したのはマックス・ウェーバー(写真)だが、それに対してマートンなどにより下記のような官僚制度の「逆機能」「弊害」が列挙されている。◆この傾向は21世紀になった現在もほとんど変わっていない。確かにウェーバーの言うように近代官僚制が国家と社会の発展に貢献してきた側面はかなりの程度評価できるにしても、逆に泣かされている民間人は非常に多いのではないか。写真は現在文翔館となっている旧県庁舎であるが、官僚としてのマイナス的体質は末端の自治体職員にまで染み渡っているようだ。「お役所の仕事には誤りがない」「決定事項は変更も取止めもありえない」とする姿勢には嫌というほど体感させられているこの頃である。
◆・規則万能(例: 規則に無いから出来ないという杓子定規の対応) ・責任回避・自己保身(事なかれ主義) ・秘密主義 ・前例主義による保守的傾向 ・画一的傾向 ・権威主義的傾向(例: 役所窓口などでの冷淡で横柄な対応) ・繁文縟礼(はんぶんじょくれい)(例: 膨大な処理済文書の保管を専門とする部署が存在すること) ・セクショナリズム(例: 縦割り政治、専門外管轄外の業務を避けようとするなどの閉鎖的傾向)

◆茅葺屋根の材料は激増。しかし茅葺職人は・・◆

2016-12-28 18:12:21 | 原子力発電所

米沢市の郊外では(むろん県内どこでもだが)耕作放棄地が増えて原野化し、一面に背丈の高さより高い茅が一面に生え茂る。しかし、一方では茅葺職人は激減し、しかも高齢化が著しい。茅葺屋根の建物は現代建築が覆いつくす中にあって今や地域住民の公共財産にしてふるさとのシンボル的存在。しかしその茅葺屋根の建物も激減。これでは地方から「ふるさと色」が消滅してしまう。いわば「日本沈没」に等しい。◆このような危機的状況の打開が行政はむろん政治家たちの「公約」に挙げられることは稀といえる。「保守」を自認する政党すらむしろ無関心のようだ。
◇上山の奇習「かせ鳥」やアメリカ先住民の住居のような形のものは茅葺屋根の葺き替えに備えて束ねて養生させている茅。

この茅葺屋根の古民家は居住用ではなく、裏手の方に現代型の住宅が建てられている。居住用でなくても茅屋根は維持されている。決して観光や蕎麦屋などに用いられているわけではない。

◆坂上田村麻呂すら征服できなかった・・・◆

2016-03-01 09:16:14 | 原子力発電所

 少しアカデミック(?垢出ミック)で長たらしい文章になったが、ご辛抱のうえ最後まで目を通していただきたし。[たぶん期待薄だろう。]
 右に古代日本史上の人物の肖像画、左に誰がしかの墓碑のようなもの。この二つは勝者と敗者を表している。
 つまり、平安初期に東北地方の蝦夷勢力は朝廷軍の将軍坂上田村麻呂に完全に制圧されたとされている。だが、どっこい蝦夷文化の象徴とも言うべき東北弁は近代に入ってもしぶとく生き続け、つい20~30年前までごくありふれた会話であった。しかしその後は何とか訛りは残っても蝦夷風言語の語彙は高齢者の間からすら欠け落ちて行く一方であり、どんな山村部でも子どもたちの会話はすっかり東京風となり、今や蝦夷風言語、つまり東北弁は絶滅危惧種となっている。「ナマラナイト」も東京風言語の前では暖簾に腕押しのようなものでしかないようだ。
 坂上田村麻呂だけでなく、前九年・後三年の役での源頼義・義家、平泉藤原氏を滅亡させた源頼朝、奥羽を掌握した豊臣秀吉、会津を始めとする奥羽各藩を制圧した薩長中心の官軍さえ征服できなかった蝦夷弁を急速に衰弱化させた現代兵器は何なのか。今なお頑なに東北弁を語り続ける東北人が存在するなら田村麻呂に抵抗した蝦夷の首領の阿弖流為(アテルイ)軍の残党の子孫なのか。もし、東北地方からすっかり東北弁が消え失せたら、京都の清水寺境内のアテルイと彼の参謀モレの供養碑の傍らにもう一基墓碑が設置されるのであろうか。

イザベラは泣いている

2016-01-29 21:58:29 | 原子力発電所
イザベラは泣いている
ああ、この牧歌的風景は失われつつある。でも、この地を訪れて出来たばかりの西洋風石橋は何とか破滅を免れるらしいが、何とこの懐かしい橋のすぐそばに巨大な清掃工場の建設計画が進められているようだ。むろん稼働されたら工場敷地に至る狭い道路には清掃車の往来が頻繁になり、事故も心配される。◆だが、工場の建設中の方がより大型の車両が行き交い、さらに近くのダム湖の背後での高速道路工事の車両や工場用地の隣の事業所の大型トレーラーも加わり、一層喧噪と事故の危険に満ちた様相となろう。ああ、アルカディアを築いた山形の人たちはどうなったのだろうか。

◆温暖化がもたらす水害の多発化。要因を真剣に考えないと◆

2015-09-26 20:40:10 | 原子力発電所
既に2週間以上も以前のことになります。7
これが単なる自然災害とは思えない。海水からの水蒸気の異常発生が直接の原因だが、温暖化の要因には様々あるが、特に主犯は何かを考えるべし。それはごくごく身近なところにある。それゆえ大多数の人々はそれを容易に手放そうとはしない。

◆歩きに歩いた米沢市東南郊外17km(その4) 通町の旧道◆

2014-12-10 04:48:31 | 原子力発電所
※11月でのことの投稿になります。

関根普門院からの徒歩での帰途、芳泉町同様に武家屋敷の街並みが近年まで残っていた(とされる)「通町」の旧道を初めて歩いてみた。だが、ここは芳泉町以上に武家屋敷街のイメージは崩れていた。

ここはまだ「通町」ではないが、道端に複数の道祖神の碑が祀られていた。

いよいよ通町。ウコギの生垣は少ないが。紅葉が鮮やかだった。

なんとか古式の住宅が目に入った。

通町でほぼ唯一目に入った武家住宅らしい建物

通町で唯一本格的なウコギ垣根

モミジの垣根なら結構見受けられた。

そして、米坂線を潜って米沢の旧市街に入り、米沢駅前まで歩く。だが、芳泉町まで行く適当なバスがないので、駅の待合室で20分ほど休んで、とうとう芳泉町までの3キロ半を歩いた。こうして今日は計17kmを歩いたことになる。