島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

アメリカ議会にトヨタを責める資格なし

2010-02-27 10:33:59 | クルマ社会の問題
 バンクーバー五輪と並んで日本国民と世界の耳目が集中的に向けられているのが同じ北米大陸のアメリカ国会での豊田章男トヨタ社長をめぐる公聴会の模様である。
「安全安心」のお題目が賑やかなのは日本だけかと思っていたら、なんと銃犯罪大国と交通死が格段に多いアメリカでも「安全安心」が強く叫ばれているらしい。
 トヨタ車、とりわけハイブリッド車の欠陥問題は国会議員にとってアメリカ国民の「安全安心」にとってきわめて重大な問題であるらしい。
 まるでアメリカ国内における自動車事故と交通死の大半がトヨタ車に起因しているかの如くの状態である。むろん、決してそんなことはない。
 だが、日本の自動車産業、とりわけトヨタ車のアメリカへの激流のような進出はアメリカの産業界、特にビッグスリーのような米国自動車産業界にとっては「真珠湾攻撃の経済版」のように感じられているからなのかもしれない。
 しかるにアメリカ国内における自動車事故と自動車起因の死亡事故はすくし古い統計だが2003年時点で、人身事故件数が196万件、死者数が4万2643人にのぼっている。
 これに対して日本では人身事故件数が95万件、死者数が8877人である。
 つまり、人身事故件数では米国は日本の約2倍、死者数では約4.8倍も多い。しかも、日本では2001年と比して死者は1183人減少したが米国では逆に527人増加している。
 すなわちアメリカにおける交通死者数はイラクでの10年以上にわたる米兵の死者数の約10倍にもなり、数年間にわたるベトナム戦争での米兵死者数にも匹敵するから、まさしく戦時並み、否、それ以上の犠牲者数である。
 2003年には既にトヨタはかなり進出していたが、プリウスなどのハイブリッド車はほとんど売り出されてはいなかった。つまり、そのような状況下においてもアメリカでの車による死者数は戦時以上の犠牲者数であったことを物語る。
 アメリカの政治家たちよ、欠陥車の有無以前にアメリカのクルマ社会が「欠陥だらけ」であるがゆえにこれほどの死者数が多いことを直視すべきではないか。
 もっとも、日本でも死者数はさらに減少して2009年には5千人台にまでなったが、それでもジャンボ機が10機墜落したに相当する数であり、また、地方都市の多くはクルマによりズタズタにされて「瀕死」の状態になっていることを忘れてはならない。
  ※ 写真はインターネットニュースより

五輪銅メダルを産んだ丘陵の坂道

2010-02-16 23:51:35 | クルマ社会の問題

 毎年世界各地で開かれる競技大会でのメダルとオリンピックでのメダルとの間にはほとんど価値に差がないと思われるのだが、一般的には五輪でのメダルこそ他のメダルとではあたかも何十倍も重みに差があるように扱われているから、五輪フィーバーに沸く世論におもねるわけではないが、この度のバンクーバー五輪500mスピードスケートで銅メダルを獲得した山形市出身の加藤条治選手の実家がある丘陵方面の写真をお目にかけたい。
 手前に広がるのが山形市の市街地であり、背後に聳えるのは蔵王連峰に属する龍山である。この山は古代から中世にかけて修験者で賑わった霊山でもあった。
 蔵王の主峰の熊野岳や樹氷で有名な地蔵岳はこの龍山に隠されて見えない。また蔵王温泉や蔵王スキー場も龍山と熊野岳の間にある。
 さて、加藤選手の実家はこの龍山の麓に近い丘陵地帯にある。
 また、彼の母校である小学校は山麓に、また中学と高校は市街地にある。
 彼は麓の中学校や高校に毎日自転車で通学したが、むろん帰路はかなりの急勾配の坂道をその自転車に乗って帰宅したという。
 往路は下り坂であり、上り坂ほど脚力は鍛えられないものの、バランス感覚はかなり養われたに違いない。こうして毎日の自転車での通学と帰宅により、まさしく彼の強靭なスプリントが培われたことは確かであろう。
 やはり自転車力は偉大である。

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敢えて水をさしたい冬季五輪フィーバー

2010-02-10 23:16:27 | 地球温暖化
 下手くそこの上、否、この下なしの絵と本日のタイトルとの関係は如何に?
 「野暮も極まれり」と非難ごうごうを覚悟で、敢えて言いたい。

 いよいよ国際的な巨大スポーツイベントが開幕しようとしている。
 言うまでもなく、それはバンクーバー冬季オリンピックのことであるが、かなりの雪不足の中での開催になりそうであるが、むろん主催者はなんとかするであろう。
 北米でもワシントンなどの東部では未曾有の大雪であるのに、カナダの西海岸のバンクーバーではこれまた正反対の未曾有の暖冬だということは、異常気象の極端な地域偏在であり、まさしく地球温暖化の如実な表れなのであるが、わざわざ遠方から多数の大型トラックやダンプで雪を運んだりすること自体が更なる温暖化に寄与していることになる。
 地球温暖化はともかくとしても、冬季にせよ夏季にせよオリンピックなる巨大スポーツイベントはそろそろ不要であり時代遅れのものとなっているのではないか。
 世界各国のスポーツ選手たちが一箇所に集って競技をくり広げる機会などいくらでもあるのに、さらにオリンピックのようなものが必要だとは思えない。
 例えば、フィギアスケートの国際大会などは一年に何回も開催されているではないか。
 オリンピックが開かれない年でも国際大会で活躍中の浅田真央選手などの顔は一年間に何度もテレビで見ることができるのだから、オリンピックでの金メダルとその他の国際大会での金メダルでの価値に差があるとは思えない。どんな国際大会でも「最高位」はあくまで最高位である。
 世に「屋上屋」という言葉があり、文字通り「屋根の上の屋根」のことで、無駄の典型の意味であるが、各種の国際競技大会の上に開かれるオリンピックは「屋上屋」の典型というべきであろう。
 スポーツの世界で頂点に立つ若い選手は青少年に希望と感動を与えるから不可欠とする考えが支配的であるが、「地球環境」の観点に立てば、これまた「温暖化促進」の大きな要因と言うことも可能であり、仕分け人はどう判断されるのであろうか。
 これほどお堅いことを言う我また、山形出身の500mスケート加藤条治選手の活躍は大いに期待したい山形人の一人なのである。
 

バスと乗用車との大きな違いとは?

2010-02-06 11:23:48 | クルマ社会の問題
 ここに2つのクルマの写真がある。
 申すまでもなく大型バスと一般乗用車であるが、この両者の「大きな違い」とはいったい何なのか。
 むろん、大きさにおいては拡大の差異があり、その他にも様々な差異はある。
 でも、まったく別の角度から差異を探せば、「マイカー甘やかし」を象徴する差異を指摘できる。
 その「差異」とは、ドライバー席のすぐ脇に「別の座席」が有るか無いかの違いである。
 一般乗用車のドライバー席のそばには当然のように座席がある。
 同乗者がたったの1名の場合はたいていその前列の運転者席の脇の座席に座る。
 だから、同乗者と運転者は走行中も会話する場合が多い。
 運転者自体も会話をしながらの運転の方が楽しく運転できるし、退屈な運転により「居眠り運転」に陥る危険を避けられるから、かえって安全運転に役立つと言う人までいる。
 だが、路線バスであれ観光バスであれ、乗客が運転士にバスの走行中に話しかけることは禁止されている。むろん、安全運転のためである。
 また、運転士がカーステレオの音楽やラジオを大きな音量で聴きながら走行させるようなバスに乗りたがる乗客は居るだろうか。ましてや携帯電話しながら運転する運転士のバスにも多くの乗客は不安を感じるであろう。むろん携帯電話しながらの運転は乗用車でも禁じられているのだが、警察の取り締まりもさほど厳しくなく、そのような光景は街角ではいくらでも目にすることができる。
 このように「動く公共空間」としてのバスと「動くプライバシー空間」の如き乗用車との間には大きな差異がある。
 しかし、行政が本気で国民・市民の「安全安心」の社会作りを目指すなら、この差異の撤廃、つまり、乗用車の前部の同乗者席の撤廃(ちょい無理があるかな)やカーステレオやラジオの設備などの撤廃をメーカーに求めるべきであろう。

マイカーは「半不動産」。でもCO2排出量は突出

2010-02-02 23:45:26 | 地球温暖化
 前回と前々回の記事のグラフにより、家庭生活(私生活)によるクルマの使用がいかに二酸化炭素の排出量において突出しているかがお分かりいただけるかと思う。
 でも、自家営業をやっている家ならともかく、普通のサラリーマン家庭で連日一日中クルマを乗り通しという家庭は少ないはずである。
 マイカー利用による長距離ドライブなんかは一月あたり一、二日、多くて三、四日程度であろう。つまり、ほとんどは通勤や、日曜日に郊外の大型店に買い物、子どもの塾や稽古の送迎、高齢家族の病院への送迎に使う程度で、平日ならば一日24時間のうちクルマを使用する時間は1時間~4時間であろう。
 中には平日のクルマ利用が平均1時間以内という勤労者も少なくないはずである。通勤に片道20分で、退社時もどこにも寄らずに帰宅して寝るだけのような場合である。
 だから、マイカーは半不動産とも言われている。
 市街地には数多くの「月極め駐車場」があり、今も空き家となった古い家屋や倒産や廃業の店舗などは矢継ぎ早に解体されて駐車場と化して街並み景観の崩壊が進んでいるが、それらの月極め駐車場は勤労者の通勤用で占められている。つまりは市街地の街並み景観の破壊はマイカーという「半不動産」によるものだと言えそうである。
 その「半不動産」がべらぼうに二酸化炭素を排出しているわけである。
 ましてや、高速道路の無料化により、土・日や大型連休、旧盆、年末年始の時などで長距離ドライブにでかけ易くなるとしたら、半不動産が動産となって、まさしく地球温暖化抑制に逆行に貢献することになり、中国・インドなどの自称「途上国」などはこれ幸いと二酸化炭素増大の施策に邁進することになろう。