島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

発電所で埋め尽くされるエコカー時代

2009-02-26 20:01:14 | クルマ社会の問題
 オバマ政権はビッグ・スリーなど自動車メーカーに対してハイブリッド・カーや電気自動車などのエコ・カーの開発と量産の支援を公言している。
 むろん、その点では先進的な日本でも各メーカーは一層それらの自動車の開発に力点を移動させようとしている。
 だが、いかに電力を効率的に消費しようとしても、家計に占める電気使用料はかなりの割合になるであろうことは想像に難くない。
 これにより電力会社はエコカー特需となって相当の増収となるであろう。
 しかし、火力発電を主力とする態勢が従来ならば、電気自動車とは申しても結局は石油の燃焼により二酸化炭素を排出し続けていることに変わりがない。
 だからと言って原子力発電に転換しようとしても増設や親切には反対運動の頻発が当然予想されるし、太陽光発電や風力発電も問題が多い。
 もし、1億台近い車両を動かす電力を賄うだけの太陽光発電所や風力発電所を新設するなら、日本の麗しい景観があちこちで大いに破壊されることは目に見えている。広大な農地が太陽光発電のパネルで埋め尽され(※注)、牧歌的な箇所が林立する巨大な風車群の回転による不気味なうなり声で悩まされることになろう。

 ※注:同一量の電力を発電する場合、太陽光発電施設の総面積は火力発電所の面
積とは比較にならない広大さになろう。
◆写真「上左」火力発電所 「上右」太陽光発電のパネル 「下左」風力発電の風車 「下右」このような大量のクルマを「地球に優しい発電」による電力だけで賄うことはできるだろうか。

飛行機も飛びにくくなる地球温暖化

2009-02-21 23:05:12 | 地球温暖化
 20日にノースウェスト機が千葉県沖上空で突然乱気流に巻き込まれ、43人が負傷した。無事だった乗客の女性も「非常に怖かった。もう二度と飛行機には乗りたくない」と語っていた(テレビのニュース)のが非常に気にかかってならない。
 というのは、これも地球温暖化の進展を表していると思えるからである。
 地球温暖化は単に気温を上げるだけでなく、気候をきわめて不安定にさせて激しい変動をももたらすものだからである。
 極端な豪雨や豪雪は水蒸気の異常発生によるものであり、また逆に異常旱魃は上昇気流の発生によるものであるが、互いに密接に関連し合って押し退けあうために地域的に、また時期的に極端な気候をもたらす。
分厚い雲の塊り(これ自体が複雑な渦を巻いていることが多い)に上昇気流が襲うと(または上昇気流と別の上昇気流や偏西風などがぶつかりあうと)、高速度で巨大な、しかも複雑な空気の渦が発生し、予測が困難な乱気流となるのであろう。

ありがとう中川財務金融大臣

2009-02-18 22:09:10 | クルマ社会の問題
 中川昭一財務金融大臣がGセブンでの記者会見でロレツが廻らなかったために各方面からの非難を浴び、ついに辞表を提出するに至った。
 飲酒による酩酊状態のためとの見方が一般的だが、風邪薬の飲み過ぎによるものだと中川氏本人は話している。
 でも、警察庁はきっと感謝していることであろう。
 交通事故を担当する警察庁は現在「飲酒運転」の撲滅に力を入れており、公務員の場合、飲酒運の発覚は即解雇という厳しさである。
 酒に甘かった日本社会もこと飲酒運転に対してはイスラム社会並みに厳格化している。
 だが、きわめて飲酒に厳しいはずのイスラム社会では交通死者数は日本を大きく上回る。つまり、ほとんどが飲酒以外の原因による事故死である。
 日本でも飲酒運転に対する罰則が強化される以前から飲酒以外の原因による死亡事故数が飲酒による死亡事故を大きく上回ってきているのだ。
 その中には薬物の乱用はもちろん、風邪薬の服用による事故もかなり含まれている。
 確かに風邪薬の説明書にはたいてい「服用の際は車の運転は控えてください」と記されている。つまりは、風邪薬の服用による車の運転は自分や他人に対して「命とり」になるということである。
 中川さんの風邪薬の過服用が本当だとすれば、まさに彼自身の政治生命どころか麻生内閣全体、自民党政権の「命とり」をも招きかねないものであったことになる。この政治的事件はまさしくたかが風邪薬、されど風邪薬であることを教えてくれた。クワバラ、クワバラ

どちらが関心事? 日本のマスコミ

2009-02-16 11:19:44 | 地球温暖化
 燃え盛る山火事とサッカー試合の写真の組合せだが、どれもオーストラリアに関係が深い写真ばかりであるが、ご存知のとおりオーストラリアでは大規模な山火事の頻発により犠牲者が2百人を超えることが確実となり、3百人近くになっても不思議でないとまで言われている。
 もう一つはサッカー・ワールドカップの予選試合でのオーストラリアと日本との対戦模様であるが、引き分けとなり、今後もオーストラリア・チームの予選試合の行方が日本では大いに注目されている。
 だが、日本ではサッカーの方がより注目されているようだ。
 山火事被害は単に死者数が多いだけの問題に留まらない世界的問題が凝縮されているのだが、日本のマスコミの扱いは、単に当局の避難勧告態勢の不備が死者数を増やしたという指摘が報じられている程度である。
 オーストラリアでは山火事は日常茶飯事で、自然の摂理の一つとして考えられてきたし、また油分を多く含むユーカリの木が多いことも山火事を頻発させているようであるが、従来はオーストラリアでもこんなに多くの死者を出すような山火事はなかったのであり、「自然の摂理」をはるかに超えた原因、つまり地球温暖化が白人社会にも刃(やいば)を向けた現象と見るべきであろう。
 温暖化による被害といえば、今までは太平洋の小さな島国の住民が海面の上昇で陸地に住めなくなりつつあるとか、エスキモーなどの極北の民族が氷の溶解で家が傾いたとかが報じられることが多かったが、いよいよ白人先進国、次には日本にも被害が襲う可能性が高まっていると言える。
 未曾有の経済不況の中に温暖化による被害が襲うとすれば、きわめて恐るべきダブルパンチであると言わねばならない。

郵政民営化の詳細なんぞ知らないよ

2009-02-11 23:53:54 | 時評
 政界は麻生首相の郵政民営化についての発言で大揺れである。
首相は国民が郵政民営化のことをよく知らないでいたと発言したことが大問題となっているのだが、それは確かではないか。
 麻生首相を弁護する、麻生内閣を支持し信頼するということとは大いに異なるのだが、実のところ私も郵政民営化のことについてはほとんど詳細を知らないでいたし、民営化法案を詳しく読んだ記憶もない。
 民営化した後に郵政公社を分割するという所までは知っていたが、それが四つの会社にするのだか、三つの会社にするのだか、それとも五つにするのだか、曖昧な認識しかなかったし、現在の分割された会社の正式な名称と機能を暗唱できない。
 その四つの会社とは、窓口ネットワーク会社、郵便事業会社、郵便貯金会社、郵便保険会社のことだが、特に最初の「窓口・・・」のことはあまり私の頭の中になかったのである。
 むろん、国民の中には郵政民営化について詳しい知識を吸収していた人も少なくなかったであろうが、むしろ私のようにきわめて希薄な認識と知識しか有していなかった国民の方が多かったのではないか。
 このような国民にして、このような首相ありなのである。
 ああ、おおいに反省さんなねのっだな(反省しなければならないです)ね。

この人は誰だろう?③ & 地球危機本格化?

2009-02-09 11:45:14 | Weblog
①と②に続く[朝日新聞GLOBE2月2日づけより]

    アメリカ民主党は鉄道派
 バイデン副大統領も、ワシントンとデラウェアを結ぶアムトラック「アセラ」で通勤していた=AP 勢いづく鉄道関係者が、さらに環境の好転を期待するのがオバマ政権の発足だ。労働組合を支持母体に抱える民主党は伝統的に鉄道支持者が多い。 
 副大統領に就任したバイデンの次男はアムトラックの役員だ。バイデン自身も上院議員時代は、地元デラウェア州から首都ワシントンまで1時間半かけてアムトラックで通勤した。下院運輸族のボスで、議会きっての「鉄道派」と目されるオーベルスターも民主党議員だ。
 オバマも選挙中に発表した政策で、「アムトラックは国内の多くの地域で唯一の信頼できる交通体系だ。新政権は国内高速鉄道網の整備を進める。速くて安全な旅客鉄道は、環境面でも、都市計画の上でも大きな利点がある」と述べている。
「米国はいま社会が変わる潮目にいる」と運輸省のヤシュメッツは話す。「この仕事に就いて30年、変化は起きなかった。今回は違う。いま鉄道政策にかかわることができるのは、とてもエキサイティングだ」 (了)(左の写真はアムトラック)

このシリーズの本文全体を1度で見たい方は、下記URLをクリック
http://globe.asahi.com/feature/090202/

◆地球危機本格化?
 ニュースでも盛んに報道されているようにオーストラリアの山火事による被害はかなりのものだ。死者は100人をかなり超えており、これは直接的には46度という異常高温がもたらしたものだが、この異常高温を地球温暖化の如実な表れと見做しても間違いでなかろう。
 世間では軽々しく「地球温暖化防止」を口にしてレジ袋追放とかが盛んになっているが、未曾有の不況を更に倍加させるようなことになりかねないものの、脱クルマとりわけ脱マイカーこそが地球温暖化対策のの切り札なのであり、この意味でも鉄道重視を唱えた米国新政権の取組みが注目される。(火災の写真はYahooニュースより)

この人は誰だろう? ②

2009-02-07 23:14:44 | クルマ社会の問題
◎前回記事の続き

    ・・・・・前 略・・・・・
 アムトラックを勢いづけたのは、昨年10月の投資改善法の成立だ。今年から5年間で総額97億ドルの政府支出がアムトラックに対して認められたのだ。7年ぶりの復活。実際の支出額は毎年の予算審議で決まるので、必ずしも満額が保証されるわけではないが、政府が「お墨付き」を与えた意義は大きい。法律はさらに、自治体と連携して長距離路線の整備改修を進めるための財政支出枠さえ認めた。
「鉄道予算はつねに足りなかった」と運輸省鉄道局副局長のマーク・ヤシュメッツは言う。
アムトラックの稼ぎ頭であるワシントンなどを走る北東回廊線は、線路、橋、車両、信号などインフラすべてが老朽化している。ボルチモアやマンハッタンの地下トンネルなどは、築100年ほど。非常に狭く、ダイヤが乱れる最大の要因になっている。保安上の危険性も長年指摘されてきた。
「在来線の速度を全体的にアップさせ、列車本数を増やし、信頼性を高めて(航空などから)乗客を奪いたい」とアムトラックのブラックは言う。
※ 写真の人物が誰かは結局次回で判明
   ・・・・・次回に続く・・・・・

次回まで待ちきれない方は、下記ホームページのURLにより閲覧を。
  http://globe.asahi.com/feature/090202/

この人は誰だろう? ①

2009-02-07 13:43:18 | クルマ社会の問題
 写真の右側の人物が誰かを知らぬ者は居ないだろう。
 しかし、左側の白人が誰かを知る者はまだまだ少ないように思える。ましてや、その氏名をはっきりと言える日本人は更に少ないであろう。
 今日は何故にこの写真を拝借したかは下記の記事を読めばわかってもらえよう。
 これは「朝日新聞GLOBE」というホームページの記載そのままであり、かなり長いので3回ほどに分けて掲載した。ぜひ続けてご覧いただきたい。

 世界で最も自動車が多く、航空網が張り巡らされている米国で、旅客鉄道の存在感はかなり薄い。「鉄道」と言えば、たいていは貨物鉄道を指すほどだ。それでも戦前は西部開拓以来の歴史がある鉄道大国だった。ところが航空運賃が列車並みに下がり、ガソリン価格が水より安くなると、人々は鉄道から離れていった。
 ところが最近鉄道がまさかの快進撃に転じた。ほぼすべての路線の乗客が増え、08年度は全体で前年度より11%増の2872万人、運賃収入は14%増の17億ドル(約1500億円)。こんなに好調なのは「創業以来初めて」(ブラック)という。
最大の追い風はガソリン価格の高騰だった。そのせいで航空やマイカーの利用が割高となり、ビジネス客を中心に、東海岸を走る特急「アセラ」の利用が増えた。ワシントン~ニューヨークの所要時間は約2時間50分。飛行機のほぼ3倍だが、空港までの道路渋滞も、靴まで脱いで調べられるセキュリティーチェックもないし、天候が理由の遅延や欠航も少ない。車内では携帯電話やパソコンも使える。アセラの一等席は時間帯によっては片道300ドル以上する。同じ区間の格安航空運賃の倍以上だが、それさえしばしば売り切れるようになった。
  ・・・・・以下、続く・・・・・
      ※ 写真の人物については次回以降に記述
 次回まで待ちきれない方は、下記ホームページのURLにより閲覧を。
  http://globe.asahi.com/feature/090202/

笑うに笑えぬ福笑い

2009-02-02 23:54:37 | クルマ社会の問題
 なるほどクルマ台数の飛躍的増加と走行距離数の伸長にもかかわらず、それに大きく反比例して交通死者の数は減少し、その引き換えとして自動車産業は存続を許されてきたようなものだと前回の記事で述べた。
 だが、生身の人間の命は生きながらえても都市、とりわけ地方都市の様相は「笑うに笑えぬ福笑い」の状態と化している。いわば「街は死に体」なのである。
 人間の顔にある目や鼻、口、眉毛が定位置になければそれこそオバケのような顔立ちになるように、現代の地方都市は中心街が崩壊し、まさしく都市としてのメリハリがまったく失われ、目・口・鼻などが定位置から外れてしまっただけでなく、顔の輪郭までめちゃくちゃに膨張して(本物の福笑いなら顔の輪郭だけは不変)それこそ恐ろしい様相と化してしまっている。
 中心市街地の衰退・空洞化と際限なき郊外への膨張(スプロール化)は主としてクルマ社会の進展が招いたものだが、同時に地方都市の経済自体が不安定になって更なる混乱と疲弊を招き、人心まで荒廃・不安定になり、コミュニティも崩壊過程にある。
「個人」としての生身の人体の死は減少してもコミュニティの崩壊は社会を殺伐としたものにしていくのではないか。だから地方社会でも凄惨な事件が相次ぐのである。