島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

またもや緑地がクルマに喰われる

2009-04-24 17:46:02 | クルマ社会の問題
 ここは住宅と複数の公共施設が周囲を取り囲んでいる緑地公園である。
 でも、この緑地がだいぶ削がれようとしている。
 というのは、これらの公共施設には数多い市民の出入りがあるために、この緑地公園の周囲は違反駐車のクルマで溢れるのが日常であり、それですら駐車スペースが足りなすぎるというマイカー族の度重なる“苦情”を受けて、ついに市当局では園内に駐車スペースを造成する運びとなったのである。
 むろん周辺住民の多くは緑地の維持を訴え続けているし、これらの公共施設にはそれぞれの駐車場は設けられている。しかも巨額な予算が投じられた地下駐車場も備えられているが、これらの公共施設群が建造されたのは約三十年も昔のことであり、自家用車の数はだいぶ少なかった。だからそれ相応の駐車場しか設営しなかったのだが、市はその後も駐車場の“新規開拓”に努めている。
 それでもクルマ利用者は増え続け、とうとう“禁断”の緑地公園へのクルマ進駐を認める方向を打ち出したわけである。
 クルマ離れが進んでいるとは言われているが、それでも市街地内の駐車場の数は加速度的に増え続けている。
 この“禁断の森”の開削によってもわずか十数台のスペースにしかならないようである。環境先進都市を標榜する市なのだが、エコバッグの推進などは呼びかけても「クルマをお控えください」とは言えないまことに“心やさしき”行政である。

速度感覚を麻痺させる広い道路

2009-04-21 22:33:39 | クルマ社会の問題
 先日、知人のクルマに同乗して郊外にでかけた。
 その知人も行き過ぎたクルマ社会や巨額の予算が投じられる道路づくりにはかなり批判的である。それでもクルマはなかなか手放せないようである。
 市街地の狭い道路から郊外の広い道路に入ったとたん、彼は法定上限速度をかなり超過しての運転を始める。
 なぜなら、同じ速度でも狭い道路と広い道路では速度感覚が大きく異なり、広い道路ではかなりのノロノロに感じられるようになるからのようである。
 なるほど、彼が上限速度に戻した際には小生も速度がのろく感じた。
 この感覚はちょうどジェット旅客機の窓から下界を眺める場合と同じようなものであろう。むろんジェット旅客機はべらぼうな速度で空を飛んでいるのだが、それほどの速度であるようには感じないものである。はるか下界の富士山は前方から後方へそれこそゆっくりと移動しているように見えるものである。
 つまりは、広い道路はドライバーの速度感覚を麻痺させてしまうものである。
 そして、警察までが多少の速度超過には“寛容”になってしまうようだ。
 最近は警察はむろん、一般社会までが飲酒運転にはきわめて厳しくなっている。
 だが、もともと飲酒運転による死亡事故の割合はさほど高くない。
 むしろ死亡事故の多くはスピードの出し過ぎにからむものが多いのだが、それでも警察は速度違反に寛容であるのは大きな矛盾である。
 「酒酔い運転」には厳罰で臨むが、「速度酔い運転」には寛容の精神で望むというわけである。40km/hでも殺人的速度であるのに、のろく感じるというのは既に速度感覚が麻痺した「速度酔い」に陥っている状態なのである。

※写真は十数前のもの。ここは山間部だが、平野部なら速度はのろく感じる。

歩行者に優しくない広い歩道

2009-04-13 23:51:07 | Weblog
 上の写真は山形県内の某小都市の歩道である。 
 それにしても人通りがあまりにも少ない割合に豪勢なくらいにゆったりした幅の歩道である。
 だから、この歩道はいかにも歩行者に優しい道路のようにも思われる。
 確かに、ゆったりした広い幅の歩道を歩く歩行者は車道を走るクルマと接触したり、はねられたりする危険はほとんどなくなるのかもしれない。
 ところが、広い歩道が新設される道路に限って歩行者の危険や不便は増大するのだ。
 第一に、その歩道の内側の部分の店舗等も改築を余儀なくされるのを機に、駐車ゾーンを歩道の内側に新設するのが相次いでその新設歩道を横断するクルマが激増し、歩道内でのクルマとの側面衝突の危険性が増し、またクルマの出入りの部分が切り込まれて傾斜するから、冬季に積雪や凍結すると歩行者は転倒の危険性が増す。
 そもそも「道路拡幅」とは歩道のみを拡幅したり新設することではない。
 むろん、車道こそ更に拡幅して車線も増やすことが道路拡幅の本来のねらいであり、歩道の整備はあくまで付随的なものである。付随的でありながら、いかにも「歩行者に優しい道路造り」のイメージが浮かび上がる。
 しかし、歩行者は歩道をまっすぐ歩くだけでは利便を感じない。
 車道の向こうの店に行きたい場合はすぐにでも車道を横断したくなる。
 だが、信号機のある横断歩道を渡るべきとされるが、そこまでは何百メートルも歩かなければならない。足腰が弱くなった老人ならば15分もかかるだろう。
 歩道もない狭い道路だった時代なら、真向かいの八百屋まではものの10秒で済んだのが、更に信号待ちで90秒、車道横断で30秒、更にその八百屋まで15分で、計32分ほどを要することになる。
 しかも車道拡幅に伴うクルマの交通量の増加と高速化による騒音と大気汚染の増加で静寂だった狭い生活道路の環境は悪化する。
 これで道路行政は歩行者に優しくなったとは断じて言えない。

危険と言われ始めた自転車族

2009-04-08 21:03:21 | クルマ社会の問題
 たしかつい最近のテレビの報道番組で、多ぜいの歩行者や子どもたちが歩く道をスピードを上げて疾走する自転車族が増えて、歩行者や子どもたちが危険にさらされることが多くなったことを報じていた。
 確かにクルマ(四輪車)通行禁止の道路を自転車が30km/hや40km/hで走るのは危険であり、TVリポーターも声を枯らして「35kmでは速過ぎる」と訴えていた。
 でも、クルマなら歩行者の多い歩道が未整備の生活道路でもごく当然のように40kmくらいは出して走っている。しかも制限速度の超過もごく普通である。
 しかし、そのような自転車以上の高速のクルマの走行を諌めるTV報道を見かけた記憶はほとんどない。
 自転車は軽いが、クルマは「軽」でも自転車の十倍以上の重量がある。
 それゆえ同じ40kmで歩行者をはねても殺傷力は格段に違うのである。

◆写真は新潟にて 坂の向こうは日本海 自転車は駅前で借りたレンタサイクル・・・確かこのあたりで横田めぐみさんが拉致されたようだ

江戸時代の交通事故対策

2009-04-04 11:24:21 | クルマ社会の問題
『車をひき、馬を追い、
 重き物を持ち候(そうろう)者ども、
 馬車を引っかけ、持ち候物を取り落とし、

 または、渡船に人を乗せ、
 其の船かえりて人を殺せし候類(たぐい)は、

 あやまちより出来候事にて、
 故ありて殺せし候とは同じからず候につきて、
 只今までは罪科も行われず候。

 然るに、近年、 
 これらの類、度々に及び候事は、
 下賎の輩、
 その慎みなき故と相見え候。

 然らば全て、其の罪なしというべからず。

 自今以後は、
 これらの類、
 例え過ちより出来候て、人を殺し候とも、
 一切に流罪に行われ、
 事の体によりて、
 なおまた重科に行われるべきものなり。』  (御触書寛保集成)