島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ⑥最終回◆

2013-11-28 11:45:12 | 原子力発電所
   当シリーズ⑤から続く

 そしてあらゆる人の自由を本当に考えるならば、あらゆる人のための設計をする必要がある。――勇士のためだけでなく。
都市に自由を構築しようと本当に真剣である人は誰でも、結局はコペンハーゲンへ巡礼をする。
 私は、ラッセ・リントホルム(市交通部の職員)とともに、9月の朝にコペンハーゲンのラッシュアワーに加わった。
 我々がルイーズ女王橋の向こうに進んだとき、太陽は秋のもやを通して照りつけていた。
 蒸気が湖から上がり、白鳥が漂い、羽づくろいをしていた。
 そして橋は、私が目撃したことのないようなラッシュアワーの光景で沸騰した。何百ものサイクリストがうようよと動きながら私たちの方へ流れてくるのだった。
 彼らはサイクリストが期待されるような格好ではなかった。彼らは、ヘルメットまたは相当の装備を着けていなかった。何人かの男は、ピンストライプのスーツを着ていた。誰も汗をかいていなかった。

 リントホルムが統計のリストを調べ上げたところ、その朝の人々は他のどの交通手段によるよりも自転車によって移動しようとするだろう。(37%)
 郊外を数えないならば、コペンハーゲンのサイクリストのパーセンテージは55%に達するだろう。
彼らは少しの根深い利他現象や環境への関心のために自転車を選んでいるわけではない。彼らは、利己心によって動機づけされているのである。
「彼らはただAからBまで行きたいだけなんです。」リントホルムは言った。「そしてそれをより簡単によりすばやくするとなると、自転車でそれをするってことなんです。」

 ボゴタの実験がすべての都市のひどい不公平を補うわけにはいかないだろうが、しかしそれは素晴らしい始まりだった。そしてたいへん驚いたことには、ほとんど誰の生活をも改善したのだった。

 TransMilenioが非常に多くの人々を非常に効率的に運んだので、自動車ドライバーは同様により速く都市を横断した。通勤時間は5分の1に減った。通りは静穏になった。
 ペニャロサの任期末までには、人々は彼らの車をそう衝突させなくなったし、互いに殺すこと(交通事故死)はめったになくなった。事故率はほぼ半分ちかくに下がった。そして殺人率(事故死亡率)も下がった。―ちょうど同国が全体としてはより狂暴になったときである。
 また、空気質の大きい改善が、あった。ボゴタ市民はより健康になった。
市は楽観的な気持ちの急増を経験した。人々は、人生が良くなった、そしてさらに良くなっていると信じた。―それは彼らが何十年も共有しなかった感情だった。

 ボゴタの繁栄はその後傾いた。
 TransMilenioシステムは、その民営運行がさらなるキャパシティーを加えることに失敗したので、死に物狂いの混雑に苦しんでいる。―しっかりした公共交通機関には継続的な公共投資が必要であることの証明ではあるが。
 楽観主義は衰えた。
しかしボゴタの変革の年々は、永続するレッスンを金持ちの都市に対して今まだ提起する。資源を費やし、みんなの経験を評価する方法で都市を設計することによって、私たちは、私たち皆がより強くなり、より溌刺と、より結びつき、より活動的に、より自由になるのを援助する都市を作ることができる。
 私たちは、都市が誰のためのものかまず決めなければならない。また私たちは、都市が変わることができると信じなければならない。

・これは「Happy City : Transforming Our Lives Through Urban Design」からの編集された抜粋である。著者:Charles Montgomery 発行:Penguin (£16.99)

・この記事は2013年11月4日に抜粋・編集された。

※翻訳は富田悦哉氏  ※写真はボゴタ市関連HPより

◆加速化する温暖化 空の安全にも影響か◆

2013-11-27 06:59:19 | 原子力発電所

 今日はボゴタの話は「お休み」

 知人から聞いた怖~い話。オバケよりも遥~かに怖い、まさに以前観た地球温暖化による大災厄の到来を描いた映画『デイ・アフタートゥモロウ』を彷彿とさせる内容。
 一昨日、A空港を飛び立って、国内のB空港を目指したが、ひどい悪天候のためなかなか着陸できず、諦めてC空港を目指したが、そこでもやはり悪天候により着陸できずに結局A空港に戻ったという。
 その間長時間飛行機は揺れに揺れ、ひどく怖い思いをしただけでなく、シートベルトを絞めたままトイレに立つことも叶わなかったようだ。
 映画でも旅客機が乱気流に捲き込まれて大揺れして乗客が慄いている場面をも思い出した。とうとう現実化したのか。国連、そしてIPCC、しっかりせよ! そして市民も各人の日常生活の中で何が一番の二酸化炭素排出の主要因であるかをよく考えて削減を実践すること。[※IPCCとは気候変動対策の政府間の国際協議機関のこと]
※ 写真は上下とも当映画関連HPより

◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ⑤◆

2013-11-25 23:25:08 | クルマ社会の問題
  ④から続く

同じことはサイクリングにも該当する。だが自転車には、怠惰な乗り手にさえ歩いている者より3~4倍速く旅行し、その間に使うエネルギーは4分の1という能力を与えるという付加利益があるのだ。彼らすべてが必ずしも、判事の超絶レベルに到達しないかもしれない。しかしサイクリストたちは、車・バスまたは電車の密封された環境では不可能な方法で、彼らの回りの世界に接続したと感じると報告する。彼らの旅行は肉感的で運動感覚的である。

1969年に、ヨーロッパ産業利益組合が若いアメリカの経済学者(エリック・ブリトン)に依頼した。将来人々がどのように都市を通って動くかについて予想把握することを
都市は複雑さを包含するために努力するべきだ、交通運輸システムだけでなく、人間の経験の中でも、と、ブリトンは言う。その人はまだそのフィールドで働いていて、パリに住んでいる。
彼は都市と会社に助言する。―古いモビリティ(ただ一つの移動方法にあわせて完全に厳しく組織されるシステム)を捨てて、新しいモビリティ(我々みんなが最も大きな多様な方法により自由に移動できる未来)を受け入れるよう。

「みんな古いモビリティを知っていますよね」と、ブリトンは言った。
「あなたが車に乗っているとする。そして、渋滞から抜け出せない。駐車場所を捜しながら何時間もかかって運転する。古いモビリティは足の悪い55才の女性にも関係がある。―来るかどうか確信が持てないバスを彼女は雨の中で待つのだ。
一方の新しいモビリティは、蒸留された自由だ。」

都市システムがいかに急進的に移動の自由を構築することができるかを示すために、ブリトンは彼のオフィスから私を案内した。―ルー・ジョセフ・バラへと。
我々は、ずらりと並んだ自転車の列の前に立ち止まった。
ブリトンは金属ポストの上に彼の財布をさっとかざして、その寝台から自転車1台を引き外した。
「Et voila! 自由!」彼はにやっと笑って言った。
パリ自転車計画(Vélib')が導入されて以来、完全にモビリティの様相が変わった。
Vélib' 艦隊の各自転車が毎日3~9回使われる。それは1日当たり20万トリップだ。
多数の都市は共有自転車プログラムに乗り出している。―ロンドン、モントリオール、メルボルンおよびニューヨークを含む。
2010年に、ロンドンはシステムを導入した。それは、都市の自転車狂の市長(ボリス・ジョンソン)にちなみボリス・バイクと呼ばれた。
パリでは、そして世界中で、新しい共有システムは、ドライバーを自由の身にしている。
多くの人々がVélib' 最初の年に自転車が好きになったので、自転車事故数は増えたものの、一人当たりの事故数は減少した。
どこの都市がサイクリングの急増に遭遇してもこの現象は繰り返すようなのだが、―自転車に乗る人が増えるほど、通りはサイクリストにとってより安全になる。―というのも、ドライバーは道路にサイクリストがいると予期してより用心深い習慣を採用するからだ。
多数が安全である。(数は力なり。)   ⇒ 続く

※写真はボゴタ市関連HPより  ※ 翻訳は富田悦哉氏

◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ④◆

2013-11-25 03:15:53 | 原子力発電所
  ③から続く

 人々は都市について語るとき、たいてい結局は、いかに多様な場所が見えるか、そこにあることがどのように感じるか、について話す。しかし、そこに止まることは、物語の半分を逃すことになる。―私たちが都市の大部分を経験する方法が速度であるので。私たちは他のどこかへ行く途中を滑るように通過する。都市生活は、そのなかに居ることと同じくらい景観の中の移動に影響される。

 ロバート判事(48歳、夫であり父)は、進行中のカナダのラジオ番組にかつて投稿した。―自転車に乗って食料雑貨の買い物に行くのがいかに楽しいか。彼が偶然サスカトゥーン(サスカチュワン)(1月の平均気温は-17度くらい)に住んでいるのでないならば、判事の供述書は注意を引かなかっただろう。その都市は、ほとんど半年凍って雪のままでいる。判事の経験した楽しみは、他のいかなる奇怪な選択肢よりも遅くて、難しくて、かなり不便なように見える。彼はある物語で説明しました。時々―彼が言った―彼は3才の息子を保育園から拾って、彼を二人乗り自転車の後部座席に乗せ、そして、彼らはサウスサスカチェワン川に沿って家へとペダルをこいだものだった。雪は都市の雑音を包み消した。判事がその名前を見つけられそうもない見事な色で、夕暮れは空を染めた。雪はそれらの色を反映した。それは空のように輝いた。そして、判事は冷たい空気の中で呼吸し、彼の息子が彼の後で呼吸しているのを聞いた。まるで彼らが一緒に冬そのものの一部になったように感じたものだった。

 ドライバーは、感情的な配当をたくさん経験する。彼らは、公共交通機関ユーザよりも生命のチャージにおいてはるかに多く感じることを報告します。高級車は(一時的であるにしろ)強力にステータスを提供するシンボル的価値を積んでいる。
これらのロマンチックな感情にもかかわらず、大きい都市と郊外に住んでいる通勤者の半分は、彼らが毎日しなければならない英雄的な旅行を嫌うと主張する。
都市システムは、彼らの力を中和するのである。

 交通の中で運転することは脳と体の両方に悲惨だ。都市で運転する人々の血は、ストレス・ホルモンのシチューだ。交通が悪化すればするほど、火事場の馬鹿力により短期的に、あなたのシステムはアドレナリンとコルチゾールで満ち満ちて、あなたの心臓ポンプをドキドキさせ、気道を広げ、注意を鋭くする。しかし長期的には、あなたを病気にする。
ヒューレット・パッカードの研究者は、英国のボランティアに彼らの通勤の間、電極キャップを着ることを説得して、彼らが運転していたか電車を選んだかにかかわらず、ピーク・アワーの旅行者が戦闘機パイロットまたは怒った抗議者の群れと向き合っている機動隊よりもひどいストレスで苦しめられていることを明らかにした。

  しかし、通勤者の1つのグループは楽しんでいると報告する。これらは、ロバート判事のように自分自身の馬力で旅行する人々である。彼らは歩く。彼らは走る。彼らは自転車に乗る。

 なぜ、よりゆっくり旅行して、より多くの努力を尽くすことは、運転するより多くの満足感を示すか?
答えの一部は、基礎的な人間生理学の中に存在する。
我々は、動くために生まれた。人体にとって動かないでいることは、クラシックカーが錆びつくようなものである。
ずっと長く動くのを止めていると、あなたの筋肉は萎縮する。骨は弱る。血は凝固する。あなたは問題に集中し解決することがより困難になることが分かるだろう。動かないことは単に死により近い状態というだけではない。それは、死を早めるのだ。

 ロバート・セア(カリフォルニア州立大学の心理学の教授)は、多数の学生に万歩計をつけさせ、そして彼らを日常生活に送り返した。20日のコースの後に、ボランティアは彼らの気分、態度、食事、幸せについて調査質問に答えました。そのボランティア・グループ内では、より歩いた人々がより幸せだった。  ⇒ 続く

※ 写真はボゴタ市関連HPより

◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ③◆

2013-11-20 19:28:53 | クルマ社会の問題
  ②からの続き

 だが、しばし私は質問を忘れてしまった。私はハンドルを手放すと冷風の中で両手を上げた。私は自分の幼年時代の故郷の道路、放課後の放浪、だらだら乗りや純粋な自由を思い出した。私は元気を感じた。都市は私のものだった。旅が始まった。

 幸福を作ったり壊すのに足るだけ、都市設計は本当に力を入れられているだろうか? 問題は考慮に値する。―幸福都市メッセージが世界中に根づいているから。
「20世紀の最もダイナミックな経済はすべての中で最も悲惨な都市を生み出した。」ペニャロサは、交通の轟音に負けずに言った。「私は、米国アトランタ、フェニックス、マイアミなんかの全く車が支配している都市について話している。」

 全くの富によって判断するのであれば、過去半世紀は、米国をはじめカナダ、日本、英国などの豊かな国の人々にとっては有頂天に幸福な時間だったはずだ。そしてまだ20世紀後半の繁栄の数十年は、幸福の繁栄を伴っていなかった。英国は、1993年から2012年の間に40%以上より豊かになったが、精神疾患や神経症の割合が増加した。

 2008年のcrashの直前に、ステファノ•バルトリーニ率いるイタリアの経済学者のチームは、米国における収入増加と幸福低迷の間の一見不可解なギャップを説明しようとした。イタリア人は彼らのモデルから経済的•社会的データの様々な成分を除去してみて、
そして見出した。すべての富に直面する人々の自己申告による幸福を抑制する唯一の要因は、国の傾ける社会資本すなわち私たちを他のものと関係づけ続ける社会ネットワークと相互作用であることを。それは、貧富間の所得格差よりもさらに腐食性が高いことを。

 私たちが他の人々について不平を言うのと同じくらい、社会砂漠ほどメンタル・ヘルスにより悪いものは何もない。私たちを家族とコミュニティーへさらに接続することは、心臓発作、脳卒中、がん、うつ病の経験の可能性を低くする。接続されている人々は、夜よく眠れる。彼らは長生きする。彼らは一貫してより幸せであることを報告する。

 社会的赤字と都市の形の間に明確な関連がある。スウェーデンの研究では、 45分以上の通勤に耐える人々は離婚確率が40%超であることが分かった。住宅が店、サービスおよび働く場所と混じり合った歩きやすい近隣に住んでいる人々にくらべ、単機能で、都心の外側の自動車依存地域で暮す人々は他の人々への信用がはるかに少なくなっている。

 チューリッヒ経済大学のカップル(ブルーノ•フライとアロイスシュトゥッツァー)は、ドイツの通勤者の仕事に行くために彼らがかかった時間の評価と、標準的な幸福の質問に対する彼らの答えを比較した。「全体的に見て、あなたはあなたの人生にどれくらい満足しているか?」

 彼らの発見は、一見単純だった。長くドライブするほど、小さい幸せの人であった。無感覚に明白であるとこれを片付ける前に、彼らがテストされたのはドライブ満足感についてではなく、生活満足度についてであったことを心にとめてもらいたい。人々は彼らの全ての生活を悪化させた通勤を選択した。シュトゥッツァーとフレイは、通勤に1時間かかる人がオフィスへ歩いて行く人と同じくらい生命に満たされるためには、40%より多くのお金を稼がねばならないことを見出した。他方、独りの人にとって、長い通勤を短い徒歩に交換すると、新しい恋を見つけるのと同じ幸福の効果がある。
 
 ダニエル・ギルバート(ハーバード大学の心理学者で「幸福の躓き」著者)は、通勤パラドックスをこのように説明した:たいていの良いものと悪いものは、私たちがそれらに適合するだけの時間が経過すると、あまり良くないものと悪いものになる。しかし、一定のままでいるものに適応することは、変わるものに適応するより非常に簡単だ。したがって私たちは、より大きな家の喜びにすぐに適応する。―家はいつも正確に同じサイズであるから。しかし私たちは、自動車で通勤することに適合することは困難であると分かる。―毎日がわずかに新しい形の悲惨であるから。

 嘆かわしいことは、私たちがいい生活(お金、機会、目新しさ、にぎわい、高価)であるのためにハイステータス都市へ群がれば群がるほど、それらの場所を汚染し混雑させたことである。その結果は? ロンドン市民が、英国で最も豊かな地域である都市にもかかわらず、英国で最も幸せ少ない人々に含まれることを、調査は示している。

⇒続く [※ 写真はボゴタ関連HPより]

◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ②◆

2013-11-15 18:54:17 | 原子力発電所
  ①に続く(ボゴタは南米コロンビアの首都)

市長としてペニャロサ初の、そして最も重要な行動は、犯罪へでも麻薬へでも貧困へでもない、自動車への宣戦布告であった。
彼は野心的な高速道路の延伸計画を捨て、かわりに彼の予算を注いだのは、数百マイルの自転車道、公園や歩行者広場の広大な連なり、そして市内初の高速輸送システム(TransMilenio:鉄道の代わりにバスを使用)に対してであった。
彼はドライバーに対し自動車で1週当たり3回以上通勤するのを禁止した。このプログラムは、何百万もの人々の都市生活習慣を変更した。また、それは半世紀間以上世界中の都市計画を主導した哲学の完全な拒絶だった。

任期の三年目に、ペニャロサは実験に参加するようにボゴタ市民に促した。2000年2月24日の夜明けをもって、自動車は一日中通りから締め出された。それが誰も交通事故で死ななかった4年の第1日目だった。入院はほぼ3分の1になった。街を覆っていた毒の靄は薄くなった。人々は、都市生活に関して過去数年よりもっと楽観的であると世論調査に答えた。

旅の早くから一つの記憶が私に引っかかっていた。恐らくそれは、時々都市で見つける幸福の快さとsubjective slipperinessをどちらも保持するから。再選のために活動していたペニャロサは、その日自転車に乗っているところを見られる必要があった。彼は叫んだ。「Cómo le va?(調子はどう?)」―彼を認識するように見えた誰にでも。しかし、これは彼が急ぎ、ハイペースなことを説明しなかった。―アンデス山脈の麓を望む市の北のはずれを横断したときである。彼についていくために私ができるすべてといえば、ブロックに次ぐブロック。―私たちが高い鉄のフェンスによって囲われた場所に到着するまで。

ぱりっとしたワイシャツとぴったりした制服を着た少年達がゲートから流れ出た。そのうちの一人(明るい目をした10歳)がペニャロサの自転車のミニチュア版で人混みを押し分けてきた。突然、私は彼が急いでいた訳を理解した。彼は、学校に息子を迎えにいくために急いでいたのだ。―他の親がタイムゾーンをいったりきたりしているまさにその瞬間と同じように。こうして、半球で最も平均的で、最も貧しい都市のうちの1つの中心で、父親と息子は校門から走り去るでしょう。―首都を横切るのんきな自転車ライドで。これはほとんどの近代都市で考えられない行為だ。太陽が落ちてアンデスの山々が赤くなるとき、私たちは広く開いた通りに進路の弧を描いて行った。それから自転車のために作られたハイウェイを西に向かった。子供が先に走った。その時点で、私はペニャロサのイデオロギーについてわからなかった。誰が言うべきだろうか? ―移動の1つの方法が別のものより良いと。誰が十分に知っているだろうか? ―幸福の理想都市を処方するために人間の魂が必要であると。

 ⇒ 続く

 ※ 写真はボゴタ関連のHPより



◆犯罪の街から幸せの街へと変身しつつあるボゴタ ①◆

2013-11-12 16:23:18 | クルマ社会の問題
Facebookでシェアしたサイト(英文)の日本語訳です。
翻訳文は冨田悦哉さんです。
このサイトの紹介者は井坂洋士さんです。

麻薬大国と揶揄されるコロンビアの首都ボゴタがクルマの抑制により市民が安心して暮らせる街に変身ししつつあるというサイトがあったので、紹介したい。
下記がそのサイトのアドレス。
http://www.theguardian.com/society/2013/nov/01/secrets-worlds-happiest-cities-commute-property-prices

以下が翻訳文[その①]

世界で最も幸福な都市の秘密

何が都市を住みよい場所にするのでしょうか? 移動手段?不動産価格?楽しい会話?
(チャールズ・モントゴメリー The Guardian 2013年11月1日)

都市生活は、そのなかに居ることと同じくらい景観の中の移動に影響される

二人のボディーガードがエンリケ•ペニャロサに小走りに付いていた。彼らの拳銃はホルスターに収まっている。そこに特筆すべきことは何もない―彼の職業・背景を示すような。ペニャロサはひと味違うキャンペーンの運動家だった。それはボゴタ市―誘拐や暗殺に定評のある都市―に関することだ。
変わっていたのはこれだった。ペニャロサは装甲SUVに乗り込んだりはせず、かわりに彼はマウンテンバイクに飛び乗った。彼のボディーガードと私はあっという間に後ろに取り残された。ロック・スターの通った跡のティーンエイジャーの集団のように。

数年前は、このような自転車に乗ることは「急進的」とされただろう。ボゴタ市民の多数意見で言えば「自殺行為」だ。もし轢き殺されたいか排気ガスで窒息したいなら、街の通りへ出ればよかった。しかしペニャロサは事態が変わったと主張した。「我々は、実験を生きている。」と、彼は私に呼びかけた。「私たちは、経済を修正することができない場合がある。しかし、私たちは、人々に尊厳と豊かな心を与えるために都市を設計することができる。都市が人々を幸せにすることができる。」

幸福の市長がレトリック・マジックを働かすのを最初に見たのは、2006年の春にさかのぼる。
国連は、今後数か月のある日に一人以上の子供が都会の病院で生まれ、一人の移民が首都の貧民街に迷い込むだろう、そしてその瞬間から、世界の半分以上の人々が都市に住むことになるだろう、と発表していた。2030年までに、約50億人が都市住民になると。

ペニャロサは主張した。ほとんどの都市のように、ボゴタは20世紀の二つの都市の遺産によって深く傷ついたままにされていた。最初に、都市は、自動車にあわせて徐々に新しい方向に向けられた。次に、公共の空間および資源は大部分が私有化された。この再編成はともに不公平―世帯の5のうち1だけが自動車を所有するという―かつ残酷だった。
都市の居住者は都市の最も単純な毎日の喜びを楽しむという機会を奪われた。社交的な通りで歩くこと、そのへんの公共の場所で腰かけていることをである。そして遊び(子ども)は大部分がボゴタの通りから姿を消してしまった。銃撃または誘拐の恐れのためにではない。通りが険しい速度によって危険にされたからである。 ⇒ 次回に続く

◆下記の新刊書の内容抜粋② 街毀しには米大統領も驚愕◆

2013-11-07 11:01:51 | 原子力発電所
著者は女性なのに、本の右上のジージは誰? これはアメリカのアイゼンハウァー大統領(1953-61)であり、書中には下記のように記されている。
◆アイゼンハウァーは後に、自身が作った州間高速道路法の影響について悔恨の思いをもらしていた。彼が、高速道路はアウトバーンのように街を取り巻いて走ると信じ、まさか街を切り裂く危険性があるとは思っていなかったのは明らかだ。
59年、彼は高速道路建設のためブルドーザーが街の建物を潰す光景に愕然とし、直ちに中止を検討すべく審理に付すよう命令したと言われる。しかし時すでに遅し・・・結局できたのは荒廃をくやむことだけだった。「自動車乗りに街の中心への乗り入れを許し、あらゆるスペースをクルマの駐車のために差し出すことになってしまった」と。
※ 写真「右」は県道(国道へ昇格予定)の拡幅計画地(以前は店舗と旅館)を期間限定で花壇づくりに勤しむ市民グループ。正面の建物とその背後の建物群はまもなく取り壊し予定。(山形市中心部) 

◆写真の新刊書の内容抜粋 ①◆

2013-11-06 21:04:23 | 原子力発電所
 16年(※注1)、ウッドロー・ウィルソン(※注2)は、アメリカで急速にその数が膨れ上がる自動車乗りたちが「我々が作るそばから、道路を埋め尽くしていく」とコメントしている。道路建設は急激なクルマの台数増加に追いつけなかったばかりではない。舗装化が加速すればするほど、クルマ購入と運転頻度が増加した。歴史家ジョン・レイはこう述べる。新しい通りや高速道路を建設してクルマを収容しようとする試みは「道路建設とクルマの競争」を誘発し、「その競い合いは今も続いているが、一貫して勝っているのはクルマである。」 
    ※注1:1916年  ※注2:当時のアメリカ大統領
 ◆↑ 約100年近く前のことだが、まるで現在の山形のようだ。
   ※ 写真「右」の花壇は道路拡幅予定地

◆共通するのはホウシャノウ◆

2013-11-02 20:58:10 | 原子力発電所
Y参議院議員の園遊会での行動に対しては当然批判的意見が多いが、一方では快挙とする声もある(特に反原発陣営)。
しかし天安門前での車炎上事件については日本国内では特に非難の声も英雄視する声も聞かれない。ともかく双方ともかなり思い詰めた上での行動のようだ。
また、双方に共通するのはホウシャノウに関係が深いということである。Y議員は福島原発の敷地内で高線量の中で働く人たちのことに想いを馳せており、もう一方がウイグル人が起こした事件だとすれば、当然民族主義的な過激活動ということになるが、新疆ウィグル自治区内ではウィグル人と漢族との格差が広がっているだけでなく、彼らの地が1964年から1996年にかけて中国の核実験が46回も行われた過酷な地であることを抜きにして論じることはできない。
当然、ウィグル人には被爆によるかなりの数の死傷者が出たことは想像に難くない。大気圏内の核実験は1980年までで、その後は地下での実験だが、西風でセシウム等が日本にも運ばれていたため、我々30歳代以上の日本国民は中国産放射能による被曝世代なのである。