島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

核実験の失敗だけは御免蒙る

2012-04-20 05:21:22 | 原子力発電所
 北朝鮮の「人工衛星」なるものの打ち上げは失敗した。
 だが、今度は核実験しようとしているのではないかと憶測され、北朝鮮に伴う不安はつきることがない。
 核実験とは言っても、いかに北朝鮮でも大気圏ではやらず、日本海に近い東北部の地下深くでの実験ということになるであろう。
 それでも、それが失敗した場合のことを考えると更に不安が募る。
 失敗により放射能が地下から大気中に漏れ出すということだってありうる心配があるからだ。
 その場合は、山形県など日本海側の放射線量も高くなるに違いない。
これでは日本は原発事故による放射能と北朝鮮由来の放射能の双方から「挟み撃ち」にされることになる。

悲しく響いた祇園精舎の鐘の声

2012-04-13 18:11:19 | クルマ社会の問題

 つい近日の記事で京都八坂神社の写真を掲載したところ、すぐお膝下の祇園で「信じられない」ようで「大いにありうる」大事故が起きた。
 てんかんを患っていた青年がクルマを暴走させて十数人を死傷させ、そのうちなんと7人もの命が失われた。
 前の2回の記事(4月4日および7日付け)でも説明したように八坂神社の祭神は牛頭天王という祇園精舎(古代インドの仏教寺院)の守り神であるが、平家物語では祇園精舎の鐘の声は「諸行無常の響き」があると語られている。
 つまり栄えあるものはいつかは衰退するということであり、現代に当てはめればクルマ社会ではないかということを論じたつもりであるが、この度の大事故はまさしく「クルマ社会のほころび」を悲劇的な形態で表出したものと言える。
「みやび」であるはずの世界遺産の京都でもクルマの騒音・振動はすさまじく、数年前に訪れた八坂神社の門前の大通りは猛スピードで疾走するクルマが多く、怖さすら感じたほどである。
 とうとう京都でもそんなクルマにより大惨劇が生じたわけである。

 ↑ 八坂神社の正門(再掲) ※見出し写真は数年前撮影
 

「ちりも積もれば山となる」とはこのこと

2012-04-09 00:28:21 | 原子力発電所

 河川敷にできた土まみれの低い丘陵。
 でも、これらの土はどうも虫やもぐらなども棲めそうな有機的な土壌ばかりとは言えないようだ。
 この「丘陵」の以前の姿はまだまだうず高い白無垢の「雪山」であった。
 つまりはまったく別の色んな場所(主に道路)からダンプカーなどで運ばれて積み重ねられた雪であった。
 ただの雪ならば春の到来とともにすっかり消えたり融けたりして何も残らなくなるはずなのだが、このように河川敷のかなり広い部分に山のように膨大な土の堆積が残っている。
 行政や町内会などから除排雪を依頼された建設業者は道路の雪だけを運んでいるつもりでも、路肩などに堆積された道路粉塵やタイヤに付着して後で路上の雪と混じってしまった工事現場の泥なども一緒に運んでしまう。
 また、積雪にはほんの“微量”ながらクルマの排気ガスに含まれていた二酸化硫黄や二酸化窒素などの汚染物質の微粒子も含まれている。
 むろん、道路粉塵や泥、排気ガス含有物質は運ばれた雪の量のごくごくわずかでしかない。
 でも、雪が融けてしまった跡に残された「土」の丘陵もかなりの高さである。
 それゆえ、これを見ただけで、すさまじく膨大な量の雪が市内各地の道路から運ばれたことに驚愕してしまう。
 つまり、そのためにも二酸化炭素も除雪車やダンプカーなどから凄い量が排出されたことになる。
 この「河川敷にできた新しい丘陵(ぼた山)」の「土」の成分のかなりの割合がクルマが起因の有害物質だとすると、微量のセシウムとは比較にならないほど健康に有害であると申すべきかもしれない。

 ↑ 3月31日の記事の見出し写真と同一だが、この時点(3月24日撮影)ではまだ残雪が見えていた

前回記事の回答

2012-04-07 00:16:40 | クルマ社会の問題
 最初の写真の八坂神社については祭礼が京都を代表する祭りとしてあまりにも有名な祇園祭であり、神仏混淆時代は牛頭天王を祭神としていた。
 牛頭天王は釈迦が説法した祇園精舎の守護神である。祇園精舎と聞けば、「祇園精舎の鐘の声」から始まる平家物語の冒頭のくだりを連想する人が多いと思われる。
 平家物語と聞けば、何と言っても平清盛の登場と権勢のことが連想される。
 そして平清盛の権勢が絶頂期の時に彼により大修築されたのが厳島神社であり、第三番目の写真である。
 その栄華を極めた平氏も清盛の死とともに権力基盤が傾き始め、滅亡へと向かう。

 さて、原発事故後も依然として衰えを見せないのが「クルマの渋滞」(四番目の写真)である。
 これは大量の化石燃料がまだ何とか供給可能だからである。
 クルマの大衆化により日本は本格的なクルマ社会を迎え、既に30年を経過した。
 このクルマの大衆化は工場での大量生産によりもたらされた。
 部品や関連物品を含めれば自動車関連産業の裾野はきわめて広大であり、大量生産のためには日本の原発列島化は避けられなく、54基をも数えるに至った。
 しかし、今なお大半のクルマは化石燃料により走っている。
 石油産業(二番目の写真)の主要なお得意先は「おクルマ様」であり、家庭の灯油は副次的な「おこぼれ」でしかない。だが、石油は国際情勢いかんで供給量に不安がある(ホルムズ海峡など)上に、将来の枯渇が懸念され、また地球温暖化の主力視されており、自動車業界も「脱石油」に懸命である。
 当然クルマ産業は「二酸化炭素を排出しないクルマ」としての「電気自動車」の開発と効率化、普及に力を入れている。むろん、電力の供給源を火力発電所に求めるのは矛盾するから、当然「原発推進」を国と電力業界に要望してきた。
 ところがフクシマの大事故が発生し、原発の増設どころか廃炉の傾向にある。
 そこで風力とか太陽光などの自然エネルギーによる発電ということになるが、たとえ琵琶湖の広さの土地に風車や太陽光パネルだらけにしたところで、旧盆の頃に電気自動車で帰省することなど困難になり、それゆえ高速道路が電気自動車で大渋滞することなどありえない時代が到来するであろう。
 まさに、隆盛を極めたクルマ社会は原発事故により衰退期を迎えようとしており、あたかも平家のごとしである。ただ春の夜の夢の如しと申すべきであろう。

ただ春の夜の夢の如し

2012-04-04 23:09:15 | Weblog

 これは京都の八坂神社。
 それから下に一見無関係に思われる三枚の写真。むろん、上の八坂神社との関係もわかりにくい。
 しかし、これら4枚の写真には関連性がある。
 どんな関連性なのか。
 ヒントは今回記事のタイトルにある。
 むろん、4枚の写真の一つ一つもヒントである。





 ともかく、日本の歴史と宗教、及び現代社会の問題に関心を向けている人士ならば、これらの写真相互の関連性と、ブログ主が何を訴えようとしているかを理解することができよう。

いよいよ「世も末」じゃ!!

2012-04-03 07:22:35 | Weblog
 放射能の被害から子どもたちを守るということで、多くの福島県の若い母親たちが子どもたちとともに山形県内に避難のためやってきている。その数は一万人を超えるとまで言われている。
 それも、事故原発からはかなり離れている福島市や郡山市などの中通地方からの避難者が多いから、放射能に対する恐怖がかなり強いことがわかる。
 確かに放射線量が高ければ、それだけ健康被害度も高くなるものの、滅多なことで「即死」に及ぶことはないはずなのだ。
 子どもたちの健康被害を怖れる母親は多いが、彼女たちとて自分の子どもが今すぐ死亡するとまでは考えていない。早くて数年先、多くの場合、10年、20年先に健康被害が現れることを心配して山形県など他県にまで逃れている。
 その将来の健康被害とて、あくまで「可能性」であって、必ず健康を損なうというわけでもなく、しかも実際に健康を損なう確率自体はかなり小さいようだ。ましてや死亡に至る確率は更に小さくなる。
 ところが、震度7が予想される首都直下型地震や南海トラフ地震による被災予想が公表されても、子どもたちとともに震度が低いと予想される地域や海外に逃れようとする母親たちのことは耳にしていない。
 また、原発事故による放射能拡散に伴い福島県を中心に東北地方全般や北関東で風評被害による観光客が激減したのと同じように、首都圏や東海、南海地方への観光旅行を控える傾向が強まっているとも聞いていない。
 震度7の地震が実際に起きたら、三陸地方での大津波被害や阪神大震災のように万単位や数千人が即死する可能性がきわめて高いのだ。
しかも、首都圏だけでなく東海以西全般の広範囲でそれらの怖れがあるというのだから、まさに「世も末じゃ」というべき状況である。
 それでも若い母親たちは避難しようとはしないし、旅行関連業界も首都圏等への旅行PRを自粛しようとする動きもない。
 つまりは、即死の可能性が高い巨大地震や巨大津波の可能性よりも即死の可能性がきわめて低い放射能の方を怖れるべしということのようである。
 まさに現在の日本では放射能ほど怖いものはないのである。