島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

文化貢献欠如のクルマ社会

2011-08-13 07:36:42 | クルマ社会の問題
 姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」(←クリック)の最近の記事と写真でもとりあげたが、あらゆる建築物の中で駐車ビルほど無骨で殺風景なものはなく、文化性が欠如しているものはない。
 もっとも現代建築は機能性重視、機能性優先のために装飾性を極力排除する傾向が強いものだが、それでもなんらかの機能美のようなものは留めているのが普通である。
 これに対して駐車ビルにはその機能美すら感じられるものは希である。
 駐車施設といえば他に平面施設としての駐車場、地下駐車場、そして駐車タワーがあるが、いずれも街並み景観を酷く損なっているものがほとんどであり、日本的美観にはそぐわない
 むろん、駐車タワーのような高さはないが、駐車ビルとて前術のように無骨で殺風景であることには変わりがない。
 ともかくも若者を中心にした「クルマ離れ」が進んでいると言われている中にあっても、市街地における駐車施設が占める面積は激増の一途を辿っているが、これらの駐車施設の「乱造」による街並み破壊は著しく進展するばかりである。
 駐車施設には風情、風格、情緒、潤い、優美、典雅、瀟洒などを感じさせるものはない。
 それゆえ、駐車施設が増えれば増えるほど街から文化的要素が蚕食されていくということである。
 今までもクルマ自体が文化財となったことはほとんど聞いたことがないし、クルマ生産の工場施設が産業遺産となったこともほとんど無いように思える。[もし存在を知る方には教えていただきたい。]
 古い街道が「歴史の道」として指定されることはあっても、高速道路などが文化的財産として永く後世にまで保存されるという見込みもなさそうである。ということは現代の道路はいわば消耗品でしかないということであり、付属する駐車施設もまた後世に長く伝えるべきものではなく、同じく消耗品なのであり、それゆえ文化性を備えておく必要性は無いということであろう。
 だから、駐車ビルが世界遺産に登録されることがあったら、それこそ奇跡であり、「想定外」ということになろう。

◆写真は姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」(←クリック)の写真とは同一対象(真ん中の建物が新しい駐車ビル)を別の角度から撮影したもの。 駐車ビルに特有の耐震用の斜めの支柱が目立たぬように左右を細長い建材でおおうようにしたが、かえって目をちらちらさせる外観となった。


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