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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

山形中心街で自転車専用レーン開通

2009-11-05 21:49:02 | クルマ社会の問題
 今日、山形市の中心街の国道112号「ほっとなる通り」で自転車専用レーンが開通した。
 その模様は、姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」に記事として写真とともに掲載したが、次回以降は当ブログにおいてシリーズものとしたい。
 今日付けの「山形の過去、現在、未来」は下記URLによりご覧いただきたい。
http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/
 

自転車族・歩行族がプラハ改造運動(4)

2009-11-04 22:51:20 | クルマ社会の問題
 プラハ市民にはプラハから脱出したい人が増えてきたという。
 ある人が「もう我慢ができない。出て行くよ。」と言うから「クルマの騒音や臭いが嫌になたからだろう?」と聞き返した。
 ところが彼は「そうではなくて、駐車場が足りないからさ」と答えた。
 
 これはこの映画『オート*メート』のマレチェク監督の話である。
 同じような話は山形でも耳にする。
 郊外や農村に住む人たちには山形市内の中心部には入りたくないと言う人が多い。なぜなら、駐車場を探すだけでくたびれるからだと言うのである。
 それでも、もはや山形の中心市街は駐車場だらけで、街並みは櫛の歯が多く欠け落ちたような醜悪な状態と化していてもそうである。
 それに対してさすがに世界遺産の街プラハには古い壮麗なビルが建ち並び、それらを毀して更地を駐車場にすることは不可能に近いから、プラハのマイカー族には不満が募るのは当然なのかも知れない。
 それならばプラハ市民ははるかに駐車のし易い山形にでも“亡命”してみたらどうだろうか。それだけ、日本の都市は駐車場の乱造により破壊されてきているといえるのである。
 ◆写真 ①市政府公認の自転車デモに向かう市民 ②でもクルマが多い道路ではやはり自転車は命懸け ③いよいよ壮大な自転車隊のデモンストレーション ④鳥の翼を背にした人が多い 前回と前々回の記事の写真で翼のキャラのシール

 上の写真はこの映画の各場面だが、下記のホームページでこの映画の一部が見られるので、クリックされたし。
  http://www.yidff.net/archives/113.html

自転車族・歩行族がプラハ改造運動(3)

2009-10-31 23:33:54 | クルマ社会の問題
   前回の記事に続く  彼らオート*メート運動体は単に彼らだけの“孤独な”活動ではなく、更に多くの市民や行政まで動かしたことに大きな特色がある。
 この映画にはプラハ市長、首相(脱クルマには否定的な発言)、クルマ産業のスコダ社長も登場し、それぞれの立場からの意見が述べられていたが、市長はなんとかオート*メートの要望に応じているようであった。
 また、運動体の代表がプラハ市議会で意見陳述する姿も見られた。
 ◆写真 [1]某日は自転車隊の動きが特に目に付いた [2]警察の姿もものものしい  [3]オート*メートの幹部と対面しているのは確かプラハ市長のようだ [4]確か自転車専用ゾーンの開通式に臨もうとしているプラハ市長

 

自転車族・歩行族がプラハ改造運動(2)

2009-10-26 00:21:14 | クルマ社会の問題
◎前回に続く
 この映画『オート*メート』の監督はチェコ人のマルチン・マレチェク氏で、単に映画人であるだけでなく、オート*メート運動の実践者でもあるようだ。
 題名の「オート」とは英語のAUTO(チェコ語でもAUTO)で当然クルマのことであるが、MATE(チェコ語ではMAT)は「仲間」の意味ではなく、将棋やチェスの「王手」のようだ。つまり、「クルマ社会に王手をかける」という意味になりそうである。
 真ん中の「*」は「☆」つまり希望の意味もあるようだ。
 だから、「クルマ社会に対しての見直し活動にはより良きチェコ社会への希望につながる」という抱負により彼らは活動しているわけである。
さて、写真の説明(翻訳字幕なしの映画より)になるが、①はプラハ市内で頻発する交通事件の様子(映画の冒頭) ②我が物顔のクルマ族に対抗する自転車族 ③歩道を侵略して設置された駐車スペース ④オート*メートの活動には常に警察が立ちはだかる。まるで暴走族扱い。
   TO BE CONTINUED

高額で当然、日本の高速道路

2009-10-21 22:21:02 | クルマ社会の問題
 高速道路無料化の論拠の一つとして、日本の高速道路ほど使用料が高額な所はないから外国の低料金や無料に倣うべしというのがよく挙げられる。
 だが、日本と外国、とりわけ欧米の場合とは色んな面で状況が異なる。
 第一に、日本の場合は地形が複雑にして平地が少なく、この起伏が多過ぎる地形に安全な高速道路を建設するにはかなり高度な工学技術を要し、それだけでも建設費は格段に高額になる。[ドイツの場合は丘陵地帯も起伏はなだらか]
 平地は平地で市街地や豊穣な農地が多く、私有地が多いうえにそもそも日本の地価は高いので、用地買収費はむろん高くつき、用地交渉に要する人件費も長年月を費やすだけにべらぼうに嵩んでくる。しかも地権はきわめて細かく複雑に入り組んでいる場合が多いから用地交渉は一層長期化する。
 また、騒音や振動に関する環境対策や安全対策、きめの細かい道路パトロールや点検、度重なる補修、さらには世界一の豪雪地帯である日本海沿岸の除排雪作業などを加味すれば、日本の高速道路の料金が高くて当然ではないか。
 しかも、ドイツなどの場合はヒトラーの時代に高速道路建設が盛んであったことからわかるように、そもそもが軍事的用途を主として建造されている。

「いのちの道」が泣く高速道路での渋滞

2009-10-19 00:04:34 | クルマ社会の問題
 新聞もテレビも鳩山政権の高速道路を含む道路建設の抑制策に対し案の定地方から各論反対の声が沸き起こっている。
 前回の記事でも書いたように、やはり「いのちの道路」の建設凍結とは何ごとか、新政権は尊い人命を軽視しているようなものだという声が大きい。
 住宅地の周囲にある道路はむろん住民には日常生活に不可欠な道路であるが、いつのまにか国道などの高規格道路や高速道路までが「生活道路」となり、更には「人命にかかわる道路」に“変身”しているようだ。
 たしかにすべてのクルマが走行する道路は「生命にかかわる道路」であることは間違いがない。ただし、クルマの走行による死亡事故が絶えることはないという意味でのことである。
 つまり、「人命を救助」するための道路である以上に「人命を死に追いやる」道路である場合の方が多いと言えそうである。
 それにも拘わらず地方では病人や負傷者を迅速に病院に運送するためには高速で走行できる道路の建設は不可欠と主張されるのが普通だ。
 だが、千円乗り放題施策の導入以前から大都市圏や連休・旧盆・年末年始などでは高速道路の渋滞が問題になっている。
 ましてや民主党がマニフェストで公約している高速道路の無料化が実施されたら、渋滞はさらに格段にひどくなることは目に見えている。これでは病人を乗せたマイカーは言うまでもなく、救急車でさえも迅速には走れない。
 ということは、既に多くの高速道路は「人命を救うのが困難」な道路になっていることを物語っている。(むろん、地域や時期、時間帯にもよるのだが。)
 不思議なことに「人命」のたに高速道路は不可欠と言う人も、救急車等の迅速な走行を妨げる不要不急のクルマの横行を抑制すべきだと言わない。
 高速道路など無くても一般道路を走行するクルマが少なければ、救急車も病人を乗せたマイカーも一般道路でも制限速度内でさえスムーズに走れるのである。
 本気で「人命」を尊重するなら、一般道路においても不要不急のクルマの抑制を主張し、かつ渋滞を多発させて緊急車輌の迅速な走行を妨げる高速道路の無料化公約の撤回を民主党政権に強く要望すべきなのである。
 ※ 写真は関連HPより

高速道路の無料化問題を考える ⑥

2009-10-05 23:47:42 | クルマ社会の問題
 高速道路使用無料化を公約している同じ民主党政権が高速道路建設予定路線について工事実施凍結を打ち出している。
 これにより、地方の高速道路建設促進派はかなりの打撃を受けていることであろう。
 彼らは「高速道路の必要性」のを「命の綱」とか「生命線」との言葉により訴えることがきわめて多い。つまり、救急救命のための車輌(必ずしも救急車ではないようだ)が迅速に遠隔地の病院に到達するには高速道路が不可欠だという。
 しかし“観光振興”が必要性の第一として挙げられることはまずない。
 山間僻地に住む家庭に急病人が出て救急車も間に合わない場合は自家用乗用車に急病人を乗せて離れた町場の病院に高速道路経由で運ぶこともあるだろう。
「急病人や怪我人の迅速な搬送」が高速道路建設の“大義名分”の第一として訴えられると行政はとたんに弱くなる。
 だが、せっかくの高速道路が頻繁に渋滞を繰り返すようでは、救急車はむろん、急病人を乗せた一般車輌にとって高速道路は「命の綱」としての役割を果たせなくなる。
 高速道路は大都市圏に近いほど1000円乗り放題導入のはるか以前から渋滞が日常化していた。ましてや無料化されれば、さらに渋滞は頻発するようになるであろう。
 どうして高速道路でも渋滞するのかを、料金所があるからだとか、さらには昇りになるとドライバーは無意識で減速するからであるとかの“研究”結果までが報告されている。しかし、そんなややこしい因果論を持ち出すまでもない。
 要するに、不要不急の一般車輌の高速道路の乗り入れが多過ぎるから渋滞が多く発生するのである。
 どうしても高速道路の必要性の第一を持ち出すならば、乗り入れる車輌に明確な優先順位を設定し、かつ交通需要管理を厳格化すべきであろう。
 即ち、第一に救急車などの緊急車輌。第二に、定時性が肝要なバスなどの公共交通車輌。第三に、トラックなどの営業用・業務用の車輌とし、乗用自家用車は最後に位置づける。[※身障者等が乗車の「福祉車輌」も高位にランク付けられるべきであろう。]むろん、緊急車輌は無料か低料金、そして自家用車は高料金にする。こうすれば、不要不急の車輌の乗り入れは激減し、救急車はスムーズに走行できることになろう。
 
 
 

山形映画祭でクルマ社会見直しの映画

2009-09-30 22:18:02 | クルマ社会の問題
 隔年開催の山形国際ドキュメンタリー映画祭が10月8日から15日まで山形市内の6会場で開かれる。
 インターナショナル・コンペティション部門15作品の中で『オート・メート』という作品はチェコのプラハでのクルマ社会見直しの運動を綴ったものである。
 この作品の上映日時と会場および山形映画祭について詳しくは下記URL。
   http://www.yidff.jp/2009/ic/09ic01.html

 また、当ブログで6月17日から24日までの間に4回シリーズ「道路の整備で限界状況を迎えた山村」で紹介した上山市(山形市の南隣)の古屋敷集落を訪ねるツァーと上記映画祭の原点のドキュメンタリー映画ともいうべき小川伸介監督の『ニッポン国古屋敷村』の上映会を紹介したい。
 詳細は下記写真をクリックくだされたし。

高速道路の無料化問題を考える ④

2009-09-21 21:57:56 | クルマ社会の問題
 このゆったりした道路はどんな道路なのか。
 ほとんどクルマが走っているようには見えないが、あえてクルマの姿が見えないタイミングを狙って撮影したためでもある。
 その方が道路の形状や外観が把握しやすいからでもある。
 だから、この道路は農山村部を縦断する道路であるにもかかわらず、普段はかなりのクルマの通行が見られる。むろん、朝の通勤時間帯にはかなりの通行量になる。
 通勤時間帯の通行量が多いというからには走行するクルマの多くが普通乗用車ということになる。
 しかし、この道路の本来の建設目的は普通乗用車の走行のためのものではない。
 この道路の一部は現在「県道」に格上げされたが、前後は今なお広域農道またはスーパー農道となっているから、農林水産省からの予算支出により軽トラックなどの農業用車輌の走行のために建設されたはずであるが、通常走行するクルマの大半は農業用以外の車輌である。
 この広域農道は一種の高規格道路であるために車線数は決して多くはないものの、ゆったりした幅であるために、走るクルマの多くは高速道路と勘違いしているかのようにかなりのスピードを出している。
 いわば農水省はマイカー族のために事実上の無料の高速道路を建設してやったようなものである。
 高速道路無料化の提唱者は本来高速道路は無料化されることを前提として建設されているのだから、無料化するのは当然だと述べているが、それなら農業用車輌の走行のための道路であることを前提とした「広域農道」を県道や国道などの一般道路に変更するのはおかしなことと主張するべきであろう。
 ついでに、高速道路についても走行する車輌には優先順位があるべきであろう。
 つまり、緊急車輌を最優先とし、次に路線バスなどの公共車輌、トラックなどの業務用車輌と続き、普通乗用車は最後尾とすべきであろう。
 たとえ緊急車輌等は無料としても、普通乗用車(ほとんどは私用の走行で緊急性は低い)まで無料とはすべきではない。

高速道路の無料化問題を考える ②

2009-09-12 22:01:15 | クルマ社会の問題
 今日は山形市内南部の地図により、過密な道路状況を紹介したい。
 6本の幹線道路が南北に走っているが、一番西側の国道から一番東側の県道までを距離にすると約4kmである。つまり、この4kmの間に6本もの幹線道路が走っているわけであり、平均するとその間隔は1kmに満たないことになる。
 この中で戦前からの道路はわずかに2本だけで、旧羽州街道(現県道)と一番右の現県道(旧国道13号)である。
 現在の国道13号は当然クルマ社会の進展により旧国道13号に代わって新しく切り開かれたものである。また、あとの3本の幹線道路(東北中央高速、国道、県道)はごく近年に新設されている。
 つまり、クルマ社会の著しい進展によりこの地帯の幹線道路は戦後しばらくしてから3倍にも増えたことになる。この現代人、特にクルマ使用者の強欲ぶりにはあきれるばかりである。
 古い2本の県道は歩道もまともに整備されておらず、片側1車線でしかないから、50km/hの制限速度を大幅に超過するクルマはごく僅かだが、新しい国道と県道においては、交差点の前後以外の区間では60km/hの制限速度を大幅に超過して走るクルマが大半であるから、事実上の「無料」の高速道路であり、それだけに「有料」の東北中央高速道路を走るクルマは確かに少ない。
 こう考えると、高速道路とそれ以外の幹線道路の大きな差異は「有料」か「無料」かにあるのではなく、建設資金の出所の違いにあるのであり、つまり「借金返済」の義務を要する道路か不要な道路かの違いでしかない。
 クルマ社会の進展は確かに日本の経済発展に大きく貢献してきた。だが、あまりにも過剰なクルマ社会の進展は一方で、事故の多発や大気汚染、地球温暖化、中心市街地の空洞化、公共交通の衰退、街並み景観の崩壊、公的機関の財政難など様々な弊害や負荷も生み出している。
 それゆえ、高速道路に限らずすべてのクルマ走行可能な道路は税以外の直接的な「受益者負担」つまり「有料」とすべきであるが、他の中小道路との交差が多過ぎ、それだけ料金所設置は不可能なために、有料化を断念する代わりに税金において大幅な負担増を求めるしかなくなるであろう。(とりわけ自家用車)
 新設や改修(つまり拡幅)された国道や県道の郊外部分が事実上の無料の高速道路化し、片や地方の高速道路の利用が低迷している現実を見れば、確かに高速道路の「無料化論」にも一理はある。
 もし、民主党が公約する高速道路の無料化を是認するとすれば、やはりクルマ所有者・使用者(とりわけ自家用車)に対する課税強化は避けて通れなくなるし、「渋滞解消」策による公共交通機関充実の最良の手段としても有効であろう。